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014 ゲート

ザワザワ、ドヤドヤ

 

スーパー銭湯『ダンジョンの湯』が一般営業を開始した最初の週末。

 

「はい、大人二名様ですね! タオルはそちらからお持ちください!」

 

ハルは首に巻いたタオルで滴る汗を拭い、レジに次々と一万円を叩き込んでいく。

 

都心のど真ん中、謎の魔力式ボイラーによる湯ざわりと、青スライムによるエステの噂は、ハルの想像をはるかに超える数の人間をこの狭い洞窟へと引きずり込んでいた。

 

「社長、男湯の脱衣所、ロッカーが足りません! それにエステの待ち時間も、現状ではお客様の不満になります!」

 

頭にタオルを巻いたパイが、透き通るような白い肌を汗でテカらせながらバックヤードから駆け込んでくる。

 

「ひぃぃ、スライムエステ、ご案内5時間待ち……」

 

白衣を着た黒目が、目の下の隈をさらに濃くして、コンクリートの壁に背中を預けてへたり込んでいる。

 

「くそっ、手が回らない! いくらみんなが一生懸命働いても、従業員の数が絶対的に足りない!」

 

ハルは千円札の束を握りしめ、悲鳴を上げた。

 

      ◇

 

数日前。

 

ガァン! ガキン!

 

大浴場のさらに奥。拡張工事中のエリアに、硬い岩を砕く音と金属がぶつかる音が反響している。

 

「オーライ! そこ、もう少し右! ……よし、下ろせ!」

 

黄色いヘルメットを被った男の怒声。

 

黒光りする太い鉄骨がゆっくりと傾く。

それを動かしているのは、重機ではない。

 

アースゴーレムが、ひんやりとした泥の腕で直接鉄骨を担ぎ上げていた。

 

「おう、岩頭。力あるなあ。次はそっちのセメント袋、三十個奥に運んどいてくれ」

 

紫色のニッカポッカを穿いた人間の職人が顎でしゃくると、アースゴーレムは顔のない頭を揺らし、セメントの山を軽々と持ち上げた。

 

ハルは、その光景を見下ろしてニヤリと口角を吊り上げた。

 

「……見事なものだな」

 

隣に立つ矢良内が、白いヘルメットの顎紐を指でなぞりながら呟く。

 

「だろ? ヤラさんに頼んで、外の土建屋から人間の職人やアルバイトを三十人ばかり雇い入れたんだ。いくらモンスターの腕力があっても、ミリ単位の細かい配管とか、愛想のいい接客は人間に任せたほうが早いからな」

 

ハルが誇らしげに鼻を鳴らす。

 

休むことを知らない魔物たちが重い資材を運び、人間が技術と経験でそれを組み上げていく。

 

「それに、エステ部門にも強力な新人が入ったんだぞ」

 

ハルはガラス張りのパーティションの向こうを指さした。

 

「はい、肩甲骨の裏側ですね。青スライムちゃん、そこを重点的に吸ってあげて」

 

淡いピンク色のエプロンを身につけた三十代半ばの女性が、青いゼリー状の魔物を滑らかな手つきで客の背中へ這わせている。

 

「あの人、元は霞が関のキャリア官僚だった客の一人なんだ」

 

「……なんだと?」

 

矢良内が眼鏡の奥の目を丸くする。

 

「毎日ここでスライムに毛穴の汚れを吸わせてるうちに、国会答弁の書類を作ってるよりスライムの世話をしてる方が幸せだって気づいちゃったらしい。給料は今の半分でいいから雇ってくれって、コンクリートの床に額を擦り付けてきてさ」

 

「国家公務員の地位をドブに捨てる行為だぞ……」

 

「いいじゃん、本人が幸せそうなら。彼女のおかげでエステの回転率が三倍になったよ」

 

ハルは笑い飛ばした。

 

「だけどさ、ヤラさん。職人や資材が増えたのはいいんだけど」

 

ハルは、はるか後方、ダンジョンの入り口を指さした。

 

雑居ビルの104号室。

 

その古ぼけた一枚の鉄扉で、安全靴を履いたアルバイトの人間たちや、エステのお客さんが行来している。

 

見事にボトルネックとなっていて、渋滞が発生していた。

 

「あそこ、普通のドア一枚だろ。朝の通勤時間帯なんて、あの狭い枠をくぐるの何分も待たされてるんだよ。もっとデカい資材を入れたくても、ドアの枠に引っかかって入らないし」

 

「……確かに。これだけ広がった空間に対し、出入り口がドア一枚というのは、あまりにも効率が悪い。だが、現実のビルの構造上、あれ以上扉の枠を広げることは物理的に不可能だぞ」

 

矢良内が眉間に皺を寄せる。

 

「ふふっ。相変わらず、ニホンの常識に囚われていますのね」

 

玉座代わりのパイプ椅子に腰掛け、苔茶を飲んでいたリンが、優雅に脚を組み替えた。

 

「リンちゃん?」

 

「ハル、あなたは最近の営業で、どれほどのDPを稼ぎ出したかわかっていますの?」

 

一日数百人の客が、このダンジョンで汗を流し、スライムに癒されている。

 

生み出されるDPは、初期の頃の比ではない。

 

「あの扉……わたくしたちの言葉で『ゲート』と呼びますが、あれはDPを消費することで、拡張することが可能ですわ」

 

リンは空になったコップを置き、立ち上がった。

 

「ジャイアントトロールすら通れるようなものを巨大なゲート。今のわたくしたちのDPなら、造作もないことですわよ」

 

ハルと矢良内は、無言で視線を交わした。

 

      ◇

 

「……つまり。この104号室の扉はそのままにして、新しいゲートを繋げればよろしいのですわね?」

 

玉座代わりのパイプ椅子に腰掛けたリンが、泥にまみれた長靴を脱ぎながら尋ねた。

 

ハルと矢良内は、顔を見合わせた。

 

「そのままにして? リンちゃん、出入り口を広げるんじゃないのか?」

 

ハルが首を傾げる。

 

「ええ。この扉を広げても、ビルの入り口の扉でまた詰まるのでしょう? でしたら、無理にここを広げる必要はありませんわ。DPを支払い、出口となる『枠』さえ用意すれば、ゲートはいくつでも増やして繋げられますのよ」

 

リンは、カップに入った濁った苔茶を、小指を立てて優雅にすする。

 

はるか奥の工事エリアから、アースゴーレムが岩盤を砕く音が低く振動して伝わってくる。

 

矢良内は、タブレット端末のガラス面を滑らせていた指をピタリと止めている。

 

「……いくつでも、増やせる?」

 

矢良内の声が、微かに裏返った。

 

「ええ。もちろん大きさによって消費するDPは跳ね上がりますけれど。ダンジョンマスターの許可があれば、別の場所に設置した扉から、直接この階層へ入る道を開通させることが可能ですわ。ニホンとつながってるゲートだってそうてすもの」

 

「ちょっと待ってくれ。それって……」

 

ハルはリンに詰め寄り、両手でパイプ椅子の冷たいパイプをガシリと掴んだ。

 

「例えば、北海道と沖縄にそれぞれドアの枠を置いて、両方ともこのダンジョンに繋げたらどうなる?」

 

「どうなるも何も。ホッカイドウ、オキナワがどこかは分かりませんが、扉を開けてこのダンジョンに入り、もう一つの扉から出れば、そこですわ。ただそれだけのことですの」

 

リンが、不思議そうに小首を傾げる。

 

「うおおおおっ!」

 

ハルが、両腕を天井に向けて勢いよく突き上げた。

 

「どこでもドアじゃん! なあヤラさん、聞いたか!? これ、日本中に扉を作ったら、飛行機も新幹線もいらなくなるぞ!」

 

ハルは頬を紅潮させ、スニーカーの底でコンクリートの床をバンバンと踏み鳴らす。

 

「東京から大阪まで、運送会社の大型トラックをこのダンジョン経由で通してやるんだ! 通行料をボッタくっても、ガソリン代と高速代と人件費を考えたら絶対こっちを使う! 物流を完全に牛耳れるぞ! ボクたち、日本を支配できるんじゃないか!?」

 

頭の中に、空き箱から溢れ出る一万円札の山と、ボロアパートを抜け出してタワーマンションの最上階でモヤシ炒めを食べる自分の姿が鮮明に浮かび上がる。

 

ハルが腕を振り回して跳ね回る横で。

 

ゴトッ

 

矢良内の手から、タブレット端末が床の砂利の上に滑り落ちた。

 

「……ヤラさん?」

 

ハルが振り返る。

 

矢良内の顔から、スッと血の気が引いていた。

彼はかけていた銀縁眼鏡を外し、指の腹で目頭を強く押さえる。

 

カタカタカタ

 

矢良内の青白い唇が、微かに痙攣するように震えている。

 

「……ヤラさん、どうしたんだよ。腹でも痛いのか?」

 

「……お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか。いや、ある意味では、正確に本質を捉えているのかもしれん」

 

矢良内は、喉の奥から絞り出すような低い声で呻いた。

 

「交通網の崩壊。既存の航空会社、鉄道会社、物流ネットワークの完全な死だ。職を失った人間たちが街に溢れ、日本経済の前提が根底から覆る。だがそれは初動だ。結果として、いずれ誰もがお前に頭を下げるようになる。お前の言う通り、すべて国民はお前の支配下に入る、と言ってもいい」

 

矢良内は眼鏡をかけ直し、血走った目でハルを睨みつける。

 

「それだけではない。物理的な距離をゼロにする『扉』の存在が諸外国に知れ渡れば、安全保障の概念すら消し飛ぶ。軍隊が国境を越えずに、首都のど真ん中へ直接現れることが可能になるのだからな」

 

「あ……」

 

ハルは開いた口が塞がらなくなった。

 

儲かる、すごい。

そんな単純な稼ぎの話ではない。

 

ハルは、自分がとんでもなくヤバい地雷の起爆スイッチを踏み抜いたことに、ようやく気付いた。

 

「……少し、待ってくれ。いや、待ちなさい」

 

矢良内はスーツの内ポケットから、黒く分厚い、見慣れない形状のスマートフォンを取り出した。

 

彼の額には、じっとりと冷たい汗が浮かんでいる。

 

「接続テストは、一旦保留だ。この件は、私の裁量権を完全に超えている。話が、話がデカすぎる……!」

 

矢良内は綺麗に結ばれていたネクタイを乱暴に引き緩め、早口でまくし立てた。

 

「俺の所属する省庁のトップ……いや、総理官邸の意向を直接確認する必要がある。国家の根幹に関わる事態だ」

 

矢良内はそのまま背を向け、日本との出入り口へと向かって駆け出した。

 

いつも足音を殺して歩く彼が、革靴の硬い底を激しくコンクリートに叩きつけて走っている。

 

バタンッ!

 

「……なんか、ヤラさん、すっごい勢いで出てっちゃったな」

 

ハルが、ぽかんと口を開けたまま呟く。

 

「大げさですわね。ただゲートを二つ繋げるだけだというのに」

 

リンは呆れたように肩をすくめ、再び濁った苔茶を一口すする。

 

ハルは、静かになった鉄扉と、優雅にお茶を飲むリンを交互に見比べ、ダンジョンが引き起こした途方もないスケールの事態を、いったん忘れることにした。

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