013 極秘面接からどん底フリーター医者への採用通知 行き先は、ダンジョンでした
ザァァァァッ!
コンクリートの洗い場に、熱いお湯が勢いよく流れ込んでいく。
「よっしゃあああッ! ついに大浴場にお湯が張られたぞ!」
ハルは腕を突き上げ、湯気で白く曇った浴場内で歓喜の声を上げた。
一ヶ月に及ぶ過酷な泥仕事と、未知の『火の魔石』によるハイブリッドボイラーの構築。
そのすべてが結実し、巨大なスーパー銭湯の設備が完成した瞬間だった。
「これで一般の客もガンガン入れて、売上倍増だ! スライムエステの回転率も上げていくぞー!」
ハルが鼻息を荒くして野望を語った。
翌日。
矢良内が、暗い顔色で、申し訳なさそうに告げる。
「大浴場はいいが、スライムエステの一般向け営業は認可できないことになった」
コツン
コンクリートの床を鳴らし、スーツ姿の矢良内が歩み寄ってきた。
彼は眼鏡をハンカチで拭きながら、営業開始にストップをかける。
「はぁ!? なんでだよ! お前ら官僚は毎日あんなに気持ちよさそうにスライムに吸われてるじゃないか!」
「我々は事情を知っている身内だから自己責任で済む。だが、一般国民相手となれば話は別だ。常識的に考えて、得体の知れない魔物の体液を肌に直接触れさせるなど、厚労省が黙っていない」
矢良内は眼鏡をかけ直し、ハルを見据えた。
「健康被害の懸念がある以上、政府として一般営業の認可は下ろせない」
そこまで言って、大きくため息をついた。
「すまん。急にこんなことになって。俺も掛け合ってみたが……」
「じゃあどうすればいいってのさ! ここまで金と労力かけて、いまさら身内専用の秘密クラブで終わらせる気かよ!」
ハルは頭を抱え、濡れた床に膝をつく。
「……条件を引き出すので精いっぱいだった。専属の産業医を一名雇え」
「産業医?」
「そうだ。医学的見地から『あのスライムは人体に健康被害を及ぼさない』と保証する、専門家の責任の所在……つまり、ハンコが必要だ。それさえあれば、書類上はクリアできる」
矢良内の言葉に、ハルは顔を上げた。
だが、すぐにまた深くうなだれる。
「医者!? うちみたいな知名度どころか部屋に窓もない怪しい会社に、まともな医者が来るわけないだろ!」
◇
翌日。
ハルは、入り口のサロンにパイプ椅子を並べ、面接官としてふんぞり返っていた。
ハローワークと、深夜のコンビニに置かれている怪しい求人誌に『急募・産業医・アットホームな地下の職場です・スライム完備』と書き殴った広告を出したのだ。
「まあ、来るわけないよな……」
ハルがため息をついた、その直後。
ギイィ……
エントランスの扉が、重々しい音を立てて開いた。
「あ、あの……面接、希望……なんですけど……」
蚊の鳴くような声とともに、一人の女が入ってきた。
身長は低く、ちんまい。
ボサボサの黒髪の隙間から覗く目の下には、酷い隈が刻まれている。
整備せず着続けてるのだろう、どこかヨレヨレのリクルートスーツを着た彼女は、室内だというのに挙動不審に周囲をキョロキョロと見回し、怯えたように肩を揺らしていた。
到底、有能な医者には見えない。
「えっと、君、本当に医者?」
ハルが疑わしげに尋ねると、女はビクッと肩を跳ねさせた。
「は、はい……黒目、妹紅です……クロさんって、呼ばれてました……。これ、免許……あります……」
黒目は震える手で、クリアファイルに入った医師免許証を差し出した。
ハルが受け取って確認する。
透かしも入った、間違いのない本物の国家資格だった。
「クロさん? なんでこんな怪しい地下の求人に。医者なら、もっとまともな病院で引く手あまただろ?」
ハルが当然の疑問をぶつけると、黒目は俯き、ボソボソと暗い声で語り始めた。
「研修医までは……終わったんですけど……採用予定だった病院が、院長の横領で突然潰れちゃって……」
「あー……」
「それで……他の病院の面接も受けたんですけど……私、コミュ障で……面接官の目を見ると吐き気がして……全部、落ちて……もう、家賃も払えなくて……」
黒目の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
不憫。
圧倒的なまでの、負け組エピソード。
ハルの胸の奥で、強烈なシンパシーが爆発した。
冷静に考えれば企業面接で勝手に泣き出したヤバい女なのだが、ハルは気にしなかった。
(分かる……! ボクもこのダンジョンに来る前は、半額弁当をおばばに奪われてモヤシをすすってた底辺だったから……痛いほど分かるぞ!)
ハルは勢いよく立ち上がり、パイプ椅子を蹴り飛ばすようにして身を乗り出した。
「採用!」
「ひっ!?」
突然の大声に、妹紅が首をすくめる。
「即採用だ! 今日から君は、株式会社ダンジョンの立派な専属医師だ! で、給料はいくら欲しい?」
ハルが太っ腹な社長の顔で尋ねる。
妹紅はおずおずと指を絡ませ、上目遣いでハルを見た。
「えっと……て、手取りで……じゅ、十五万……いえ、十二万でも……ご飯が食べられれば……文句、言いません……」
「お前、医者だろ!? どんだけ自己評価低いんだよ!」
ハルは思わずツッコミを入れた。
しかし、そのどん底の自己評価にすら、かつての自分を重ねてしまう。
「……馬鹿野郎。医者を月給十二万でこき使ったら、ボクがブラック企業の社長になっちまうだろ。初任給は二十五万! 社会保険も(ヤラさんに頼んで)完備してやる!」
「に、にじゅうご……!? あ、ありがとうございますぅぅ……!」
妹紅はその場に崩れ落ち、ボロ泣きしながらハルを拝んだ。
◇
かくして。
「……よし。これで書類の要件は満たした。厚労省は私がねじ伏せよう」
妹紅が震える手で『健康に害なし』の書類にハンコを押し、矢良内がそれを受け取って頷いた。
最大の障壁だったお役所の壁は、一人の不憫なポンコツ女医によってあっさりと突破されたのだ。
一応、本人も試してみていた。結果、少なくとも直ちに害はない、と言うことだった。
なおスライムエステを受けた妹紅が、すっきりした顔立ちの美人であったことは、鏡を見た本人がもっとも驚いていた。
「これで一般営業再開だ! リンちゃん、表の看板ひっくり返してきて!」
「ええ。忙しくなりますわね」
ハルとリンが、営業再開に向けて意気揚々と声を掛け合う。
その奥。
真新しい白衣を着せられた妹紅は、サロンの隅っこに用意された小さなパイプ椅子の上で、両膝を抱えて体育座りをしていた。
「ひぃぃ……」
妹紅の視線の先では、アースゴーレムがうごめきながら壁を掘り、妖艶な吸血鬼のパイがセメント袋を両脇に抱えて涼しい顔で歩いている。ゴブは、灯りの下で日本の本を読んでいた。
「……魔物、化け物……まだ、慣れないなぁ……」
ガタガタと震えながら、妹紅は自分の白衣の裾をきつく握りしめた。
株式会社ダンジョンに、全く頼りにならない専属医師が加わった瞬間だった。
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