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011 1000DPの左官職人、ヴァン「パイ」ア

「……なあ、リンちゃん。一つ聞いていいか?」

 

ハルは、目の前に跪く妖艶な吸血鬼から視線を外し、リンを見やった。

 

「なんですの? ハル」

 

「この人、1000DPなんだろ? ゴブリンが10、あそこで岩を砕いてるアース・ゴーレムが100。……1000って、ボクらがこの一ヶ月で必死にスライム揉みくちゃにして、千人の客から絞り取って、ようやく貯めた全財産だよな?」

 

「ええ。安価な魔物ではありませんわね。ですが、お値段以上の働きは保証しますわ」

 

リンは胸を張り、ふふん、と誇らしげに鼻を鳴らす。

ブラウスに包まれた形の良い胸がふるりと揺れた。

 

「ちなみに、ですけれど」

 

リンが、いたずらっぽく声を潜めた。

 

「ダンジョン内で、人間が命を落とした場合。その魂が還元されて得られるDPは、通常の百倍に跳ね上がりますの。つまり、人間一人の命で100DPですわね」

 

「……は?」

 

ハルの背筋に、冷たい汗が伝う。

 

千人の来客。百倍。十人。

 

簡単な算数の答えが、ハルの脳髄を鈍く殴りつけた。

 

「……ってことは。コイツ、人間十人の命と等価ってことかよ!」

 

「ええ。そう考えれば、いかに彼女が高価で、優れた存在かお分かりいただけるでしょう?」

 

リンの言葉に、ハルはゴクリと喉を鳴らした。

 

改めて、目の前の女を見る。

 

透き通るような肌。整いすぎた顔立ち。夜会服のような外套の下に隠された、暴力的なまでに豊かな胸の膨らみ。

 

(人間十人分の、重み……!)

 

ハルは、自分の手を見る。

 

セメントの粉で真っ白になり、接着剤の匂いが染み付いた、しがないフリーターの手。

 

そんな底辺の自分が、十人分の命の結晶である気高き吸血鬼に、これから命じようとしている作業の内容を思い出し、ハルの胃の底がキュッと縮み上がった。

 

「……ええと。君、名前は?」

 

「わたくしども下級の魔物に、名はございません。ハル様の口から与えられた音を、生涯の誇りとして名乗らせていただきます」

 

吸血鬼の女が、紅い瞳を伏せて恭しく答える。

リンが呼び出した魔物だが、主としてハルに仕えるよう調整されていた。

 

「名前、か……」

 

ハルは腕を組み、女の全身を上から下へ、そして、外套を押し上げるような胸元のふくらみで視線を止めた。おっぱい。

 

「パイ。君の名前は、パイだ」

 

「……パイ。ヴァンパイアの、パイ、でございますね?」

 

「……ああ、そうだ。そういうことにしておいてくれ」

 

ハルは視線を泳がせながら、誤魔化すように咳払いをした。

 

「素晴らしい名です。この身命、パイという名に懸けて、マスターに捧げましょう」

 

パイは胸元に手を当て、深く頭を下げる。

 

「よし。じゃあ、早速なんだけど。……パイ、これ、持ってくれる?」

 

ハルが背後に隠し持っていたものを、恐る恐る差し出す。

 

泥だらけの、金属製のコテ。

 

そして、ホームセンターで買ってきた『速乾性・防水モルタル』と書かれた二十キロの紙袋だ。

 

「……左官作業、でございますね」

 

パイは一切の表情を変えず、静かにコテを受け取った。

 

「あ、ごめん! やっぱこんな泥仕事なんていやかな?」

 

「お気になさらず。吸血鬼は、アンデッドでございます」

 

バサッ

 

パイは漆黒の外套を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を肘までまくり上げた。

 

「アンデッドの肉体には、乳酸が溜まるという生理現象がそもそも存在いたしません。つまり、疲労の概念がないのです。夜間の重労働において、わたくしの右に出る者はおりません」

 

パイは、どこからか取り出した白いタオルを、美しい黒髪をまとめるように頭にキュッと巻きつけた。

 

妖艶な夜の住人が、一瞬にして『現場の姉ちゃん』へと姿を変える。

 

ザシュッ、ザシュッ

 

パイはトロ舟と呼ばれる緑色のプラスチック容器にモルタルの粉を流し込み、水を加え、スコップで見事な手つきで練り始めた。

 

「おお……すげえ。怪力ってわけじゃないのに、無駄な動きが一切ない」

 

ハルは目を丸くする。

 

アース・ゴーレムのような岩を砕く力はない。だが、その動きは精密機械のように正確で、なにより全く息が上がらない。

 

「ハル様」

 

モルタルを練っていたパイが、ふいに手を止めてハルを見た。

 

「このモルタル、砂とセメントの配合比率がコンマ二パーセントほどずれています。水分の蒸発速度を計算すると、これでは五年後にひび割れを起こす可能性があります」

 

「えっ」

 

「それに、あちらの排水溝へ向かう水勾配(傾斜)。水糸の引き方が甘く、中央部分に一ミリのくぼみが生じています。やり直しを推奨いたします」

 

紅い瞳が、容赦なくハルの素人仕事を射抜く。

 

「ひぃっ! すいません監督!」

 

1000DP分の知性と器用さ。

 

それは、決して妥協を許さない『完璧主義の現場監督』の誕生を意味していた。

 

「……ほらハル、手が止まっていますわよ。夜が明けるまでに、大浴場の基礎を終わらせるのでしょう?」

 

作業を見ながらリンが、楽しそうに笑う。

 

「くそっ、なんで社長のボクが一番こき使われてるんだよおぉぉッ!」

 

深夜のダンジョンに、泥まみれになったハルの情けない悲鳴が響き渡った。

 

     ◇

 

翌朝。

 

「……終わった。完璧な水はけだ」

 

ハルは大の字になってコンクリートの床に倒れ込み、荒い息を吐いていた。

 

広大な大浴場予定地。

 

パイの厳しい指導(ダメ出し)の下、洗い場となる床には美しい傾斜がつき、排水溝へと一直線にモルタルが敷き詰められている。

 

「お疲れ様でございました、ハル様」

 

パイが、冷たい水を含ませたタオルをハルの顔に乗せる。

 

頭にタオルを巻いたパイの顔には、汗ひとつ浮かんでいない。

 

「……ああ。お前、マジで有能だな。1000DPの価値、十二分にあったよ」

 

ハルは顔の上のタオル越しにくぐもった声で褒めた。

 

「結構。基礎工事は文句のつけようがない」

 

コツン、と革靴の音が響き、矢良内が歩み寄ってくる。

 

彼は綺麗に仕上がった大浴場の床を見渡し、眼鏡を押し上げた。

 

「だが、根本的な問題が一つ残っているぞ。入則社長」

 

「問題? あとはタイル貼って、浴槽作るだけだろ?」

 

タオルをどけて起き上がったハルに、矢良内は冷ややかな視線を下ろす。

 

「これだけの広さのスーパー銭湯だ。大量のお湯はどうやって沸かす気だ?」

 

「え?」

 

「業務用の大型ガスボイラーを導入し、地上から配管を引っ張るとなれば、一千万円など一瞬で吹き飛ぶ。それに、ダミー会社のビルで大量のガスを消費すれば、確実に怪しまれるぞ」

 

「あ……」

 

ハルは間抜けな声を漏らした。

 

箱(浴槽)を作ることばかり考えていて、中身(お湯)をどうやって沸かすかという現代の常識が、すっぽりと抜け落ちていたのだ。

 

「ど、どうしよう。せっかくここまで作ったのに、水風呂だけのスーパー銭湯になっちゃう……!」

 

ハルが頭を抱えた、その時。

 

「ハル様。何を慌てているのですか?」

 

パイが、不思議そうに首を傾げた。

 

リンも、呆れたように小さくため息をつく。

 

「ハル、あなたは時々、ここがどこだか忘れますのね」

 

リンは指先で小さな赤い火の粉を躍らせてみせた。

 

「わたくしはこれまで、建材などはニホンのものにおんぶにだっこでしたが、お湯を作るには必要ありませんわ。ここには、わたくしたちの魔力があるではありませんか」

 

ハルと矢良内は、同時に顔を見合わせた。

 

現代の常識と、異世界の魔法。

 

その二つが交差する、新たな設備開発の扉が、今開かれようとしていた。

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