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2-1 ※自傷表現あり



軽度ですが、自傷行為を行う場面がございます。

ご注意ください。






 帰り道の記憶がなく気がついたらアパートに着いていたが、事故をしなくてよかった。


 気持ち悪い。


 急いで自転車を停め、部屋に駆け込んだらそのままトイレへと向かう。便座に顔を突っ込み、空嘔吐や嗚咽を何度も繰り返すが、すっきりしないまま心と腹の中に重い異物が残る。

 スッキリさせるためにいつも通り慣れた手つきで、左手の人差し指と中指を口に入れ喉の奥を突く。人の内側の生温かさが指に伝わり、粘り気のある唾液が纏わりつくが、否が応でも嘔吐することができる。

 しかし、最後に食事してから時間が経っているので胃液しか出ない。その少量に、渦巻いていた感情も乗せて全て吐き出す。


 胃液が鼻をツンと刺激するので、さらに促され止まらない蠕動運動に身体を任せる。嗚咽を漏らしながら、古びたトイレに顔を突っ込んでいる自分はどれだけ愚かだろうな。頭の中で自分を客観的に思い浮かべては、やるせ無い気持ちになる。

 だいたい吐き出すと、体力を使って疲れたので湯船にもたれかかる。タイル張りの床がひんやりと体を冷やすので気持ちよくて、口の端に付いた唾液すらもそのまま体を横たえる。



 「どうせこんな気持ち悪くなるなら、小さいカップラーメンにしとけばよかったな」



 天井を仰ぎながら力なく呟く。

 いい加減こんな事は、辞めなければと分かってはいるが、何か自分で処理しきれない感情に直面すると、別の痛みを与えて逃げる癖がある。自傷行為というものをやめられない。

 逃げられるならどんな痛みだっていい。一瞬で激しいものから緩く長く続くものと色々と試してきた。もちろんこんなことは痛いし苦しいし、馬鹿だって分かってるがそれでも、その痛みが続く間は問題から目を背けられる。


 それがただの一時しのぎだと分かっていても。


 今みたいに計画もなく衝動的に行うときもあれば、もう身体を傷付けるための道具を探すのに夢中になったりと、気持ち次第で行為の意識レベルは変わった。

 数日前は何回目か分からないピアッシングをした。これはじくじくした鈍い痛みが数日間続くので、一回で割りがいいと感じて昔からよくやっていた。痛みが引いてきた頃にまた痛みを取り戻そうとピアスをいじってしまうので、開けては塞がってを繰り返していることもある。

 そんなこんなで気づいたら、今は左右合わせて九個の穴が安定して空いている。これをお洒落だと見る人もいれば、気持ち悪いと見る人がいるから、全ての人に好かれるなんて無理だよな。


 しばらく呆けていた、歩けるだけの気力が戻ってきたので、湯船に手を掛けて起き上がり流しで口を濯ぐ。冷たい水が「しっかりしろ」と喝を入れてくれるようだ。けれど口先ばかりすっきりしても、心根の汚いところまでは綺麗にできない。

 おぼつかない足取りで奥の部屋へと向かう。



「夜からはコンビニか」



 次の仕事まではやや時間があるから、しっかりと休んで行こう。布団の上に体を横たえて、万年床の力を借りる。目の前には祖母の家を出るときに持ってきた電子ピアノが、事の原因であるバンドマンとの出会いを思い出させる。

 あいつと最初に会ったのは数ヶ月前で、秋の長夜が過ぎ本格的な寒さがやってきた頃だった。なんでも組んでいたバンドメンバーのキーボードが抜けてしまったらしく、新しい人を探していると。

 それを昔からの付き合いがあった、フィラメントのオーナーに相談したら「良い無名ピアニストがいるぞ」と俺の存在を知ったらしい。その後、俺は気づいていなかったが、客として何度か来店して腕前を見定めていたらしい。



「一緒にバンド組もうぜ、キーボードを探してたんだよ!」



 今日同様、あの爽やかさと熱量で演奏後に接触してきたのが始まりだった。

 もちろんバンドにはまったく興味がないので、最初から断り続けているのだが、一向に諦めてくれない。良く言えば根気があり粘り強いが、悪く言えばしつこく不愉快な奴。つまり自分の人生、逆風に抗ってもがいて生きて行くことができる向上心の塊で、自分とは正反対の人間だった。

 そんなあいつとは基本、関わりたくない。まだ遠目から見ている分には大丈夫だが、自分の世界に入られたら己の不甲斐なさを痛感して潰れそうになる。



「俺は何か人生を変える努力をしたのか」

「人の役に立てるようなことはしているか」

「過去に甘えて現実から逃げているんじゃないか」

「その挙句、自傷行為で哀れな振りか」



 自問自答で心の中がぐちゃぐちゃになる。そこから気を逸らすため、また傷付け、同じ過ちを繰り返す。



「馬鹿だよな。知ってたけど」



 自分に吐き捨てる。

 あいつは嫌いだし、関わりたくない。

 ゆっくりと目を閉じ深呼吸をすると、少し感情の整理がついてきた。大丈夫だ、いつもの俺の世界は続いていく。




「いらっしゃいませー」



 コンビニオリジナルのメロディに合わせて来店のチャイムが鳴ると、意識しなくても口が勝手に動き出す。今夜は土曜日、深夜一時を過ぎているにも関わらず平日と比べて客足がある。今も寒さを物ともしない若さ溢れた賑やかさで、飲み会後と思われる男女がご来店だ。



「だよな!イカれてるだろあいつ」


「ヤバッ、言い過ぎじゃね」



 語気を強めて自分を大きく見せようとす話し方の男は、肩で風を切って歩いており、対応に注意がいるかもしれない。考えすぎならそれでいいし、年々接客業で働いていると切り抜け方が身についてくる。

 女の子の方は寒いのか暑いのか、ミニスカートにニーハイブーツといった出で立ちだ。「お前には関係ない」と言われたらそれはそうなので、深夜の労働を頑張る自分へのご褒美だと思って眺めておく。

 残念ながら入店してそのまま雑誌コーナーを通って、奥の飲料コーナーに消えていった。この二人はまだ、飲む気なのだろうか。店内の端と端に居ながら、二人の話し声がレジまで聞こえる。ちょうど他の客が居ないからいいが、居たら注意したいくらいだ。


 なんだかんだ昨日はあれだけグチャグチャだった感情も、一日経てば山は超え通常に仕事に勤しめる。歳を重ねたからこそ、やっとこの波との付き合い方が分かってきた。

 抗っても無駄、過ぎ去るのを待つのみ。

 次の週末はシフトが金曜日と土曜日の二日休みになっている。いつも通りフィラメントへ演奏に行って、土曜日はあいつにハッキリと断る。

 よし、万事解決だな。



「すみません、先輩」



 目を閉じて計画を立てていると、大学生くんが声を掛けてきた。



「俺が担当してる発注業務なんですが、確認したいことがあるので、レジお任せして良いですか?」


「もちろんいいぜ。もし、急に客が増えたら呼ぶな」



 品出しとか他の仕事を始めると、急にレジが忙しくなるのはコンビニ仕事あるあるだから、一応伝えておく。



「はい、お願いします」



 軽く頭を下げ、裏に消えていった。

 やはりものの数分で、狙ったかのように来店のチャイムがなる。ほらな、あるあるだ。



「いらっしゃいませー」


 さっきの女の子と同い年くらいの女の子が一人で来店したが、そのまま化粧品類のコーナーに消えて見えなくなった。こんな時間にうら若き乙女が一人とは、危ないな。

 酔っ払い二人組は相変わらずのテンションで、やっと飲料コーナーからおつまみコーナーへと移動していた。どちらの客が先に来てもさっさとさばけるよう、右手をレジスターに添わしておく。

 先に支払いへ来たのは、一人で来店した女の子の方だった。



「お願いします」



 そう淡々と告げ、生理用品だけ一つレジに置いた。感情の起伏はあまりないが、一言こうやって気を遣ってくれるだけで、接客のストレスが一気に癒される。



「ありがとうございます」



 こちらも返事をし、以前雑誌で「店員が男性だと買いずらい」といった内容の記事を読んだのを思い出した。いつも以上にジロジロ見ないよう気をつけ、手早くバーコードを読み込み、紙袋の用意をする。



「三百三十四円です」


「はい。これでお願いします」


「千円お預かりします」


 必要最低限のやり取りだけどすごく心地良い、波長が合うのだろうか。これで金銭を出すのは終わりという旨を伝えてくれるし、トレーへの乗せ方も優しい。



「六百六十六円のお返しです」



 こんな真面目そうな良い子に対して、数字が不吉すぎるな。

 ジロジロ見ないよう今さっき決めたばかりなのに、一目顔を見ようとお釣りを渡す際に目線を上げた。

 グレーのロングコートに目を引く鮮やかなロイヤルブルーのマフラーを巻いているが、それに負けず劣らずの綺麗な顔立ちをしていた。



「ありがとうございました」



 目を奪われていると、店員の俺よりも先に軽く微笑みながらあいさつをして去ってゆく。艶やかな長い黒髪が後を引くように、さらっと揺れる。



「あ、ありがとうございました」



 出遅れた俺は出口へ向かう背中へ向かって、急いでお礼を言う。

 とても良い子だった、内面の美しさは外見に表れるとはこういうことだろうな。みんながあの子みたいな客だったら世界は平和なのに。余韻を噛み締めて味わったら、この出来事を糧に残りの仕事も頑張ろう。


 今日は良い一日になりそうだ。







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