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6-4 ※軽度な自傷表現あり




「お客様、聞こえますか?」



 少しずつ見慣れた世界が戻ってきた、いつのまにか膝と手を床につけてへたり込んでいる。驚いた、めまいってこんな風に上も下もなくなるんだな。荒い息を繰り返して酸素を取り込むと、ポンプが全身に巡らせてくれる。


 次第にはっきりしていく意識を周囲に張り巡らせれば、店員の彼が一際ゆっくり背中を摩ってくれていた。決して俺を急かすようなものでなく、それは優しい手つきだった。



「ごめん、君に迷惑かけちゃったな。もう帰るからお会計をお願いします」



 覆い被さる髪の隙間から横目に顔を見て告げると、彼の方がよほど俺よりも焦った表情で言葉に詰まっているおように見えた。そりゃそうだよな、店で何か問題でも起こされたら困るもんな。


 平静を装って立ち上がればまだ頭が少しふわふわしているが、歩くのには問題がなさそうなのでもう一度「大丈夫」だと一言念押しする。君に迷惑はかけたくないからね。



「嘘つき」


「えっ」



 突然の真剣な表情と、予想外の厳しい返答に虚を突かれ俺は変な顔を晒していただろう。彼とは出会ったばかりだが、その短期間でもそう簡単に相手を否定するような人柄とはとても思えなかったからだ。何も答えられずにいるといつもの声音に戻って、俺の体を支えてぐいぐい厨房に進んで行く。



「辛いなら休みましょう、狭いですが奥に部屋がありますから。そこで横になってください」


「いやいや、だ、大丈夫だから」


「みんなそう言うんですよ、限界なんてとっくに自分では分からなくなっているくせにね。大丈夫、大丈夫って口癖のように言うけど、必要のない痛みを受け続けることなんてないんですよ」



 返答に噛み付くような熱い意志をぶつけられても、よく知るオーナーの言葉やバンドマンの歌と同じだけすんなりと受け取れた。だから俺は肯定する代わりに黙って彼に従うことにした。骨ばった

肩に添えられた手が「絶対に離さない」と頼もしく力強くて、やっぱり優しかった。


 そのままカウンターの中を通って進んで行くと小さな厨房があり、流しの前に白いほっかむりをしたババアがこっちを向いて立っていた。前回と同じ仏頂面をしているので、小動物になった感覚になる。やっぱりババアと似ているから慣れないんだよな。



「そっちに寝かしときな」



 ぐいっと顎で反対側を指すと洗い物を始めた。彼が「ありがとう、マスター」とお礼を伝え、そのまま畳張りの休憩室へ連れて行ってくれた。



「見得を切ったけど、布団とかはないから座布団で許してね。あといま暖房を入れたから、コートは預かるよ」



 真ん中に小さな炬燵が置かれ、備え付けられた棚には小さな薄型テレビが置かれている。ぼーっと部屋の中を眺めていれば、あっという間に手際よく横にさせられ上にはブランケットを掛けてくれていた。



「僕は仕事に戻るけど、もし何かあったら気軽に呼んでくださいね」


「ごめん、ありがとう」



 返事の代わりに微笑みを返し襖を少しだけ開けたままにして戻って行った。天井を見上げると今の心を映し出したような複雑な木目があるので目で追いながら、受けた優しさを噛み締める。


 一円の徳にもないのに、最近会ったばかりの人へここまでできるなんて、どれだけ人ができているんだろう。それどころか他の客が大勢居るのに、時間を取らせてしまって悪いことをしたな。


 あいつにも悪いことをした。せっかくライブに招待してくれたのに途中で抜け出してしまった、後から連絡を入れておかないと。色々と言い訳をつけて興味ない振りをしていたけど、この歳でも人からちやほやされる夢をみないわけがないんだよな。むしろ残念なことに、他の人よりも一層その気持ちが強いだろう。


 落ち着いてきた体調と代わり騒めき出した心を落ち着けるため、袖を捲り上げ両方の腕を掻きむしる。ババアと母さん譲りの白い肌に血が滲んだみみず腫れがいくつも痕を残していく。


 人を認められない優しくできないくせに、自分ばっかり都合良く認められて、優しくされて、喜んでいるなんておかしいだろ。こんなの、自分勝手な母さんと一緒じゃないか。


 掻きむしるスピードを上げ、その行為自体に夢中になる。これは今までの楽になるのとは違う、罰だ。


 自分勝手な自分への罰なんだ。


 部屋中にぼりぼりと爪が皮膚を滑る音が充満する。


 馬鹿な俺は考えを改められない、だから身体で覚えないと、ヘ音記号を覚えたように。


 ガシャン!


 突然厨房の方から高く頭に響く音が鳴り、意識が逸れる。「なんだ?」首を捻り開いた障子の隙間から音の方を確認すると、ババアが床に落ちたボウルを拾い上げている。洗い物をしていて手が滑ったんだろうな、飛び跳ねた心臓に言い聞かせると、背中を向けたままのババアから声が飛んでくる。



「大丈夫だから安心して眠りな。ここには人を踏み躙るような愚か者はいないよ」



 本当はお礼を言うべきだったんだろうけど、声が震えたら恥ずかしくて静かに寝床へまた背中をつけた。また天井を見つめるが、さっきもこんなに木目が歪んでたかな?


 耳に溜まった雫がさらに溢れて首の奥まで伝う感覚がこそばゆい。捲り上げた袖を下ろして乱暴に袖で拭い、そのまま目を閉じる。今はよく眠れそうな気がするんだ。






私生活が慌ただしい状況ですので、

不定期で更新していきたいと思います。

よろしくお願いします。


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