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6-2




 埋め尽くすのは興奮に胸を踊らす人、人、人、その熱量で暖房機器もいらないようだ。コートをクロークに預けられなかったから暑くないか心配だったが、風邪をひいているから丁度良かったな。


 そのまま壁際に沿って奥へ進む。俺は音楽さえ聴こえてくればそれで満足なんだし、後ろのほうで大人しくしていよう。


 ファンのみんなは少しでも近くでアーティストを感じたい一心から、前のめりになっている。この位置だと観客の頭しかみえないが、少しスペースがあって余裕のあるいい場所だ、開始時間まで体を休めよう。壁に寄り掛かりながら目を閉じ深く息を吐くと、呼気が喉をチクチク刺激して咳が出る。マスクをしているのに腕を口元に当てる仕草をしてしまう。



「めっちゃ楽しみ!早く始まらないかな」


「噂じゃデビューするらしいよ。応援しててよかった〜」


「俺、今日のためにマジで仕事頑張ったわ!」



 耳にみんなの話し声が届いてくる。


 凄いよな、ここにいる人達は誰かを自分のこと以上に応援して大切にしている。どうしてそんなに他人に夢中になれるんだろうか、どうしてそんなに幸せそうに笑うのだろうか。



「もっとグッズ買っとけばよかったよ」


「私の好きな曲歌うかな〜」


「マジでさ、ピアノの子戻って来て欲しいな」



 それはあいつが魅力的な音楽を奏でて、先導するから差し詰めその対価だ。


 世の中に自分という唯一無二の存在を知らしめファンを扇動させる、きっとこれからもそれは広がって世界中に届くんだろうな。


 ごちゃごちゃした思考を整理するため、一週間ほど前に開けたピアスに触れ、ホールの安定具合を確認する。落ち着き始めているが、まだ少し痛みはあるから油断できない。



 俺は本当にこの人達へピアノを届けたいのか。

 あれ、俺はどうしてピアノを弾いていたんだっけ。



 周りの話し声が黄色い悲鳴に変わったので、ゆっくりと目を開けたがライトが消えて真っ暗になっているので、現実味がない。そんな中、前方からさっきの悲鳴をはるかに上回る声が上がったから、きっとあいつらが登壇したんだな。


 急にストロボが焚かれ反射的に目を細めれば、聞き慣れた楽器の音でホール中がいっぱいになる。ライブの始まりに観客全員が声と手を挙げ、あいつらを待ってましたとばかりに歓迎する。照明が落ち着き周りが見渡せるようになったと思ったら、ギターソロになり、同じフレーズを繰り返しながらテンポを上げていく。その先の音楽を求める欲が掻き立てられたタイミングで、ピタッと演奏を止められてしまい、お預け状態となる。


 煽ってるつもりかよ、そう悪態をつきながらも口角が上がってしまう。パチパチと拍手をみんなと一緒に送ると、少ししてあいつの声が聞こえてきた。



「いや〜、みなさんこんちは!そして今日は来てくれてありがとう!奥までいっぱいじゃん、超嬉しいね」


「お陰様でこうやって活動できてるよ」


「そうそう。だから今日は結成当初に歌ってたカバー曲とかも、やりたいなって考えてるんだよね」


「こっちこっち、ここ空いてるよ」



 トークに耳を傾けていると、人の合間を縫って隣の空いているスペースに小声で会話をする、二人組の女の子がやってきた。なんとなく気になり、視線だけ動かして女の子達を見る。



「ありがとう、ゆっくり聴けそう」


「何かあったらすぐ言ってよね」



 あ、交差点で後ろに居た女の子達だ、また巻き髪の子がロングヘアの子を気遣っている、随分と仲良しだな。そうか彼女達もここに用があったから道中一緒になったのか、さっきのことは今だに恥ずかしいから、ライブに集中して忘れよう。


「よし!トークライブじゃないんだし、いい加減歌おう。一曲目、」


 ファン達が歓喜の声を上げて応える。


 今度はドラムが綺麗なハイハットオープンでカウントを取ったら、ギターとベースがそれに続く。それに呼応するよう頭痛がして思い出した、そうだ風邪ひいていたんだっけ。





「これいい歌だね。初めて聞いたけど、好きだな」



 あれからさらに二曲が終わり、四曲目のスローテンポな曲に差し掛かった今、ホール内の興奮が微睡みの中に浮いているような心地よい感覚になる。巻き髪の子が友達に語りかける声も、とても優しかった。



「うん、私も大好き」


 分かる、俺も好き。


 楽しんでいるのも束の間、悪寒がするので腕を組んで体を守ろうと体制をとる。やっぱり駄目だ、ちゃんと休んでいないから体調が悪くなる一方で、辛くなってきたな。この曲が終わったら帰ろう、あいつには連絡を入れて後日また会おう。



「そうなの、本当に大好きだったの。この歌もこのバンドも」


「そっか」


「でももう聴けない、これが最後。リーダーは優しくて熱い人だから待ってるって言ってくれたけど、現実的に考えたらさ、田舎に帰って生活するのが一番かなって」



 突如始まったロングヘアの子の吐露は止まることを知らず、さりげなく様子を伺うと目には涙が溢れてしまわないよう必死に力前を向いていた。まるでこの音楽と光景を脳裏に焼き付けているようだな。


 他人事のように眺めていたら、自分の奥底に埋め込んだものを掘り返されているような気持ち悪さが充満する。悪寒がするはずなのに肩甲骨の間や脇に汗がじんわりと滲んできている。


 帰った方がいいな。


 仕事も今晩は休むと連絡をして、それでゆっくりして、月曜日になっても良くならなければ病院に行って。まとまらない頭で成すべきことを順序立て気味悪さから気を逸らす。立ち去ろうと足を動かしてみたが、どうも思い通りに従わない。ぬかるみに膝まで浸かってしまったのだろうか。



「母親である私が、こんなこと言うのは無責任だって分かってる」



 やっぱりそうか、この子はあいつの話にあった元キーボードの子だ。コートを着込んでいるのでまったく分からなかった。


 やめてくれ、その先を聞きたくない。



「でもときどき考えちゃう、この子がいなければまだ私はあそこに居られたのかなって」



 俺は周りの人々への迷惑も顧みず荒々しい動きで、入ってきた扉へ一目散に向かった。






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