5-2
「つ、着いた」
息の苦しさが残っているけど、お店の裏にあるドアを何回か叩く。
少し待っていると「はーい」と声が聞こえて、お母さんとおばあちゃんの真ん中くらいの女の人が出て来た。僕はお母さんが出てくると思っていたのでなんて言えば良いのか分からなくなり、ただ息を吸ったり吐いたりした。
女の人が下を向いて、やっと目と目が合った。
「僕、どうしたの?」
女の人の顔は驚いているが優しく聞いてくれたので、戸惑いながらも自己紹介をして一番知りたかったことを聞く。
「お、お母さんは、居ますか」
「小春ちゃんの子だね、ちょっと待ってて」
「あ、ありがとう」
「いいよ。寒いから中に入ってなさい」
小さな玄関に僕を入れてくれるとドアを閉めて、その人は奥へ歩いていく。急に暖かくなったのと走って疲れたせいで、頭がぼーっとしてきた。
そのまま何も考えないで立っていると、女の人が歩いて行った方からお母さんがやって来た。
「あんた何してんの?」
いつもはあまり僕に興味がないけど、今はびっくりした顔でこっちを見ている。その質問に「えへへ」と笑って返事をした。きっと心配だったんじゃなくて、ただ不思議だったのかも知れないけど、お母さんの気持ちが僕に向いててすごく嬉しい。
この間に急いでお話をしないと。
「あのさ、明日の授業参観だけど、来る?」
言いたかったことをいきなり言って、黙る。行こうか考えているのか、何も言わないでじっとこっちを見て動かない。ほっぺは赤くなっていて、目は眠たそう、また酔っ払っているんだ。すこし経ってゆっくり口が動いた。
「んー、忘れてた」
長い髪の毛を掻きながらへらへら笑ってそう言った。
やっぱりそうだって分かっていたけど、そんな笑いながら言うくらいなら「知らないよ」って怒って言われた方が良かったな。
「明日ね、行くよ」
えっ。
ほ、本当だよね?嘘じゃないよね?そう聞きたいのに口がパカパカ動くだけで、声が出てこない。きっと池の鯉たちがご飯を欲しがるときみたいだっただろうし、それを見て僕の言いたいことが分かるお母さんは「信用な」と優しく笑う。
「い、一時間目からだからね!」
「はいはい、分かったから早く帰りな」
「う、うん」
お母さんの気持ちが変わっちゃうと困るから、すぐに急いで帰らないと。振り返って取手を回し勢いよくドアを開けたら、待ってましたと外の冷たい風が暖かい家の中に入ってくる。来るときは寒いのなんてへっちゃらだったのに、なんでだろう今は嫌に感じる。
それでも帰らないといけないから、頑張れるようにいっぱい息を吸って一歩、足を動かす。
「ちょっと待ってな」
体の半分が外へ出たところでお母さんがそう僕を引き留めるると、どこかへ消えて行く。その先を見てるとすぐに戻ってきて、手には黒い何かを持っていた。
「これして帰んな」
「これなあに?」
ぐいぐい胸に押し付けてきた黒い物を広げてみるとマフラーだった。ぴょこぴょこ毛玉があって古いこれはお母さんがよく使っている物だけど、寒がる僕のために貸してくれたんだ。
嬉しい、こんなの初めてだよ。ぎゅっと抱きしめた胸から顔を上げて「ありがとう」とお礼を言いたかったけど、もう背中を見せて歩いていってしまった。
僕はしっかりと首にマフラーをぐるぐるに巻いて、今度こそ外へ出た。帰りは行きと違ってのんびりと歩いて帰った。足は疲れていたし、もっと寒くなっていたけど、来るときには気付かなかった綺麗な星空が見れた。
なんだかふわふわした心で家の玄関を開ければ、そんなのも束の間、おばあちゃんにものすごく怒られた。
「こんな時間に子どもがふらふらしていたらね、間違えて車で轢いた人にいい迷惑だよ!」
唾を飛ばしながら大きい声で続けて「ご飯は食べ終わったからあんたの分はないよ」と言われた。僕が悪いって思ったし、それに心がいっぱいだったからお腹が空いていたのも忘れた。
それよりも、夜になかなか眠れなくて困った。たくさん走って疲れたのに、明日のことやマフラーのことを考えると目が覚めちゃう。心はまだまだ踊っていたい、眠りたくないみたいだった。
「はい、みなさん。今日は後ろが気になるけど、前を向きましょうね」
二回手を鳴らして先生がクラスみんなが前を見るようにする。いつもなら先生がこうやって声をかければ静かになるけど、そうならない。教室の後ろに立っているお父さんお母さんをチラチラと何回も見て、コソコソ近くの席の子とお話ししている。
「今日の国語の時間は、将来の夢についての作文を発表してもらいます」
まだ来ないお母さんを、後ろのドアが開くたびに確認しちゃう。もう始まるのに、何してるんだろう。いや、でもそうだよね、考えたらいつも朝早くに帰って来てそれから寝ているんだもん。
今日も家を出るときに部屋を覗いたらよく寝ていたし、時間ギリギリに来るつもりなんだよきっと。あ、もしかしたらお化粧に時間がかかっているのかもしれない。お母さんはお化粧が好きだから。
「出席番号順にいきますよ。一番の人、お願いします」
「は、はい。ぼ、僕の将来の夢は」
一番の子が起立して、原稿を胸の高さまで持ち上げ読み始める。ときどき言葉に躓くことがあるけど諦めずに続けていく。彼はサッカー選手になりたいんだ、小さい頃お父さんに教えてもらったのがきっかけだってさ。僕は運動が苦手だから羨ましいな。
次の子は看護師、その次の子は学校の先生、そのまた次の子は美容師と、僕には思いつかなかった将来の夢が色々と出てくる。なんだかみんなの夢を聞いていると、最高だと自信のあった自分の作文が駄目な気がする。
お母さんも来てくれるのに、本当にこれで良いのかな?いや、きっと大丈夫。数日前に先生へ提出したとき「とっても良い夢ね」って言ってくれたんだから。そう言い聞かせ、ドッドッと暴れる心臓を落ち着かせながら、順番とお母さんが来るのを待つ。