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4-3




「さてとそろそろ本題に入るぜ」



 メニュー表を元の場所に立てかけ、真剣な顔でこっとを見据える。例の嫌いな目線に体を強張らせながら、俺も負けじと自分の意思を目線に乗せこいつに向き直る。



「今までおまえに何度も伝えてきたけど、俺がギターボーカルをしているバンドに、キーボードとして加入してほしい」



 一番の目的を簡潔に伝えると膝の上に手を置き、頭を下げてきた。今までの軽い言い方とは異なり少し驚いき、その様子に俺も居住まいを正す。



「今は主にライブハウスで演奏をしたり、自分達で録音して動画サイトにアップしたりしている」



 前半は耳にタコができるくらい聞いていたが、いつもそこで話を切り上げてしまっていたので、後半の活動については初めて知った。

 続きを促すように黙ってこいつを見つめ続ける。



「少し前からライブハウスの方はお陰様で満員だし、動画サイトの方もとある一曲は数百万再生を超えたんだ。そして、ついにレーベルからメジャーデビューしないかってスカウトが来たんだ!」


「すごいな」


「ちなみに今後はJ-popをベースに、様々なジャンルの要素を取り入れたいと考えている」



 正直、そこまで多くの人に音楽を届けていたとは想像しておらず、素直に称賛の言葉が漏れた。



「そういうことか。それでジャズピアノやクラシックピアノを弾く俺に声を掛けてきたんだな」



 的を得ていたみたいで、「ザッツライト!」と声を上げながら突き刺さるんじゃないかという勢いで、人差し指を向けてくる。オーナーから俺のことを聞いたと言っていたしな。




 こいつを置き去りにし、自分の世界で熟考する。


 好きなことをしてそれが多くの人に認められ、ましてや生きていくだけの稼ぎになる。正直そんな成功を歩み始めている同年代に心が曇った。俺はこれまで生きてきて何をしただろうか、ただただ無機質に繰り返される毎日に価値はない。


 膝の上で組んでいた手に力が入り、爪が肌に食い込んで痛い。


 いや待て、曇る必要なんてないんだ。


 今まで俺はピアノで食っていきたいと考えたことはないじゃないか、ただ幼少期からの生活の延長で続いているだけじゃないか。もともと納戸が基本スタイルだからな。


 もちろん大人になって時々高級なピアノに触れられたり、隣人を気にせず目一杯フィラメントで演奏するのは満更でもないが。

 考えを巡らせながらふと引っ掛かることがあるので聞いてみる。



「ちょっと待てくれ、そんな順風満帆なのになぜ、今更キーボードに俺を勧誘するんだよ」



 今いるメンバーで軌道に乗っているならわざわざ揉めるような、中途加入なんてせずにそのままやっていけばいいんだ。



「揉めるもとじゃないか」


「やっぱ気になる?実はな」



 鬚を生やしていないくせに、オーナーみたく顎をすりすりと触りながら話し始める。



「元々うちのバンドはギターボーカルの俺、ベース、ドラム、キーボードの四人で大学生時代から組んでいたんだ。その頃は、空いている時間をただ潰せればよかったんだ」



 それからこいつの話を整理すると、この四人で組んだバンドが去年頃から軌道に乗り始めた。しかし、半年程前にキーボードを担当していた女の子が懐妊したということで、脱退を申し出てきた。


 こいつは待っている旨を伝え、引き留めようとしたみたいだが、当人から悪阻が酷くて辛いのと、今後の経済面を加味して辞める意思は変わらなかった。当事者でもない自分が無理強いする訳にもいかないので、残念だがそれを承知したらしい。


 その後はスリーピースバンドとして変わらず活動を続けていたらしいが、スカウトされたのはキーボードが揃っている、そのころの音楽だったようでメンバーを補填するよう言われた。最初は事務所から良いメンバーを紹介すると言われたそうだが、こいつが断ったらしい。



「言っちまったんだよな、自分達の音楽は自分達で作りあげたいんですってさ」


「随分と言ったな」


「分かってる!少し生意気言ったかなって分かってるさ。でもそうやって自分達にこだわりがないとさ、潰されちまいそうな気がするんだ」


「分からなくもないな」



 同情してやると横に置いてあったギターケースに抱きつきながら、わざとらしく「うっうっうっ」と嘘泣きをしている。忙しい奴だな。


 なんて冷めた目で見ている一方で、言葉にしたことは嘘じゃなかった。人生、ましてや音楽や芸能界なんて個性と個性のぶつかり合いだから確固たる物がないと、ぶれて己を見失いそうだ。


 こいつは俺が想像しているよりも、ただのお調子者の馬鹿ではないみたいだな。


 なんとなく気まずくなってお互い沈黙が訪れる。一度緩んだと感じた爪もこいつの長い話を聞いていたら、また深く手に食い込んでいた。それはくっきりと新月間近の三日月のようだった。


 話の切れ目を見計らったのか、彼が料理を軽々と安定感のある腕で運んできてくれた。今回ババアじゃないのは厨房から遠いテーブル席に座っているからだろうか。一瞬振り返って、厨房の方に目を向けるが店の構造上、中まで見れない。



「お待たせしました。ご注文のハンバーグセットとカレーライスです」


「どうも、俺がハンバーグで」



 二人の声に反応して正面を向き直ると、そっと目の前にお皿とカトラリーが置かれる。そのままレシートをプラスチックの筒に刺したら、彼は挨拶をしてすぐに返ってしまった。俺たちが真剣な会話をしているのを汲み取ってか、前回のような世間話はなしだった。


 少し物悲しいな。



「冷めない間に先食おうぜ。ほらよ、スプーン」


「ああ、そうだな。いただきます」





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