大日本帝國、捨て身の秘策
昭和19年6月、サイパン陥落の知らせは大日本帝國首脳部に衝撃を持って受け止められた。
「ヒトラーやスターリンという怪物が暴れる隙に、アングロサクソンの檻から逃れられるかと一縷の希望を持ったが、夢で終わったか。
やはり我が国はアングロサクソンの掌でしか生きるのを許されないようだ。
もはや敗戦は避けられない。
あとはいかにうまく負けるか、敗戦後の日本が生きていける条件を整えることを考えねばならない」
昭和帝の言葉に内大臣の木戸幸一が動く。
そして極秘でメンバーが集められた。
木戸は、大局観を持ち、感情に左右されず今後の日本を考えられる冷静沈着な者に声をかけた。
集められたのは、重臣から岡田啓介、若槻禮次郎、外交官の吉田茂、そして陸軍から石原莞爾、宇垣一成、海軍からは堀悌吉であった。
最初の会議では議論が交わされる。
「サイパンを失った以上、このまま戦争を続ければ本土への空襲もあり得る。
ドイツへの攻め方を見ていれば、アメリカは非戦闘員への攻撃を躊躇わないだろう。
いや、継戦能力を奪うために、積極的に民衆を殺戮してくることは明らかだ」
長老格の岡田が口火を切る。
「アメリカが今までにやってきた原住民への殲滅や有色人種への激しい差別を考えれば、日本人を殺すことなど有害動物の駆除とでも考えているのでしょう。
彼らは口では綺麗事を言いながら、手には銃を持って殺戮するのがいつものやり方です」
アメリカの容赦のないやり口について石原が指摘する。
「そう考えれば、現段階で降伏することが犠牲を少なくするためには最善ではないか」
上座にいた昭和帝がそう提案する。
「陛下、我々には今の国民とともに、将来の日本人への責任も有しております。
今、降伏すれば、アメリカは現在の我々の勢力圏をそのまま手に入れます。
そうすれば中国人や朝鮮人への慰撫や逆らった者への見せしめに日本を過酷な待遇に突き落とすことは火を見るよりも明白。
植民地にはしなくとも、第一次大戦後のドイツよりも劣悪な条件を突きつけ、今後100年は日本は立ち直れないことになりましょう」
吉田茂がそう言うと、百戦錬磨の政治家である岡田や若槻も同意する。
「ではどうするのか」
「どこかでアメリカに痛撃を与えて、そこで有利な条件で和平が結べれば・・」
沈痛な表情の昭和帝の問いかけに岡田が自信なさげに言うが、昭和帝は、「それは難しかろう」と反問する。
沈黙が続く中、石原が口を開く。
「まだ軍人はもちろん、国民も敗戦という受け止めはしていません。
勝てずとも日本国民の全力を尽くして戦い、これ以上は民族の滅亡となる、そういう考えを共有しなければ、国内で内戦すら考えられます」
「そうですな。
昨年早々に降伏したイタリアなど、内部分裂やそれまでの同盟国ドイツに占領されるなど醜悪極まりない負け方で、世界の笑い者です。
勝ち方よりも負け方こそが難しいとはよく言われること。
日本民族が世界でこれからも生きていくためは恥ずかしい負け方はできません」
宇垣一成の発言に、これまで黙っていた堀が続いて話す。
「私は戦争は悪だと思っており、できるだけ早期に和平すべきだと考えます。
しかし、アメリカはこれまで日本人排斥法をはじめとして陰に陽に我が国を圧迫し続けてきました。
それを見ると、ここでアメリカを信じて身を委ねることは処女が山賊を信じるのに等しいことでしょう。
いいようにされて、ぼろぼろにされるだけです。
同じ負けるにしても、相手に舐められて終わるのか、一目置かれるのかでは全く異なります。
陛下、あと半年か一年、日本の戦いぶりをアメリカに、世界に見せてやりましょう。
そして和平の機を待つ、今はそれしか言えません」
海軍創設以来の頭脳と言われる堀の言葉は重みがあった。
それを持って第一回の会議は終了した。
その後、戦局の推移により断続的に開催された会議は昭和20年5月に緊迫感を持って開かれた。
同盟国ドイツが降伏し、いよいよ日本にアメリカの全ての戦力が向けられることになるのだ。
出席者の表情は重苦しい。
「もはや海軍の戦力は尽きている。
沖縄は占領され、日々空襲警報が鳴り響いている。
そして本土上陸も目前。
目の前に迫る終戦への絵姿をどう描いていくのか、議論をいただきたい」
内大臣の木戸幸一の声が響く。
堀が挙手した。
「フィリピン、硫黄島、沖縄と日本軍は十分に戦いました。アメリカも我が国が強敵であることがわかったでしょう。
これ以上の抗戦は日本民族の滅亡や分裂すらありえます。
いよいよ降伏の時期を考えねばなりません。
そこで石原さんと私で考えた構想をお聞きください」
石原莞爾が立ち上がる。
「私の持論である世界最終戦、そのアメリカの敵手は、残念ながら日本ではなく、ソビエト連邦になりました。
この戦争の終わった後は、米ソで世界は二分されるでしょう。
その時に日本はどこに属するのか。
当面は、言うまでもなくアメリカ陣営に入らざるをえません。
問題は、アメリカが我が国をどう扱うかです。
半植民地で一次産業しか認められず、原材料や人的資源を拠出するだけなのか、貿易・工業国として繁栄を遂げることが許されるのか。
そのためには米ソの対立が鍵です。
国際情勢の中で我が国の戦略的な位置が重要性を帯びれば、アメリカは我が国の復興を後押しせざるを得なくなります」
堀は一枚の地図を広げた。
見慣れた日本を中心とした地図である。
堀はそれを逆向きにする。
「大陸から見た日本です。
日本列島は大陸の勢力が太平洋に出ようとする時にその防波堤になっています。
逆にアメリカから見れば我が国が敵側に回れば、この戦争と同様に日本から太平洋に進出されます」
「何が言いたいのだ?」
岡田が半ばわかったような顔で訊ねる。
「つまり、大陸までアメリカの勢力圏となれば我が国の価値はないも同然です。
大陸がアメリカと対立すれば、アメリカは太平洋を我が物とするために我が国が敵側に付くのを阻止しなければならないのです」
堀の説明を石原が補足する。
「具体的に申しましょう。
今、ソ連は中立を保っていますが、あの餓狼のようなスターリンが弱った獲物を見逃すはずもありません。
早晩、何らかの理由をつけて満洲をはじめ我が国の勢力圏内に攻めてくるでしょう。
今大陸におけるアメリカの戦力は無いに等しい状態です。
ソ連が攻め込めばシナは共産圏になる確率が高い。
そうすれば日本を挟んでアメリカとソ連が対峙することとなり、アメリカは日本を重視せざるを得なくなると考えられます」
堀と石原の説明を聞き、しばらく沈黙が続く。
「君たちは、あえてソ連に攻め込ませるというのか。
今でも米軍の空襲で多数の民衆が死んでいる。
ソ連が攻めてきて大陸を席巻すれば、満洲や朝鮮にいる日本人に大きな被害が出るだろう。
尚且つ、それは下手をすればドイツのように北日本と南日本のように国を分割されることになりかねん。
そのようなことは認められん!」
若槻禮次郎がいつもの紳士ぶりを捨てて喰ってかかった。
「そのお気持ちは私も同様です。
しかし、国際情勢は冷酷なもの。
国益を鑑みれば、先ほどの堀・石原さんの策はこれしか無いでしょう」
吉田茂の発言に、他のメンバーは苦渋の顔で頷く。
一人顔色を変えない宇垣が平然と話し始める。
「ならば、政府には阿呆の真似をしてもらわねばならん。
ソ連の善意を信じて仲介を頼み、満洲は無防備なまま晒しておく。
邦人の帰還も進めない。
満洲やシナはやむを得ないが、北海道を取られることのないように気をつけねばならん。
樺太と千島までで止めることだ」
大体の方針が決まり、次回からは鈴木首相や東郷外相、阿南陸相などの閣僚を入れることとなる。
メンバーが退出しようとした時、沈黙していた昭和帝が泣き笑いのような声を発した。
「維新以来80年、営々と築いてきた大日本帝国が無に帰し、元の日本列島に戻ることになるのだな。
これまで夷狄に侵入されたことのない国土を占領されるとは、明治大帝や皇祖皇宗、また国民に何と詫びればよいのか。
この戦争が終わることには全力を尽くすが、敗戦後はその責任を取る。
アメリカが戦争責任を問うてくる時に朕を差し出せ」
「陛下、過ぎたことを言っても始まりませぬ。
開戦の詔にあったように我らは自存自衛の為に戦ったもの。決して恥じるものでありません。
敗戦となったのは、我ら臣下の力が及ばなかったところです。
陛下の尊厳を侵されることは、日本民族が侵されるのと同じ。
そのようなことのないよう全力を尽くします」
吉田茂がいつもの人を食ったような態度を改め、厳粛に言う。
それを持って会議は終了した。
7月末、ポツダム宣言が発せられたのを受け、会議が開かれた。
「これを見れば、アメリカは日本を占領し、再軍備を許さないとある。
産業復興や貿易を許すとあるが、結局はアメリカの意のままになることは間違いない。
アメリカをして、我が国の復興や再軍備を認めると言わせる為には、その為の環境を作らねばならん。
当初の計画通り、やはりソ連の参戦を待たねば降伏はできないな」
宇垣の言葉に石原が言う。
「シナの駐留軍の話では、国民党と共産党はもはや日本の敗戦を見越し、その後の内戦に備えて互いに睨み合っているとのこと。
国民党はアメリカの膨大な援助を横流しし、幹部は私服を肥やし腐敗している。それに対して共産党は毛沢東という男のカリスマの下、軍紀は厳しく戦意も旺盛と聞く。
ここにソ連が入ってきて共産党を支援すればおそらくシナは共産党のものとなるだろう」
その後は各自が意見を述べた。
「朝鮮はどうなるだろうか。
日本にとって、朝鮮、特に南朝鮮の確保は安全保障上、死活的に重要だ。
朝鮮半島が全て共産圏になると九州は常に臨戦体制となる。
そもそも日清戦争も南朝鮮の確保が目的であった。
なんとか南朝鮮はソ連に渡さぬようにできないか」
「ソ連は我が国が降伏する前に攻め込もうと必死でヨーロッパから兵力を回している。
準備出来次第、満洲に攻め込むだろう。
それを考えれば、朝鮮は後回しになり、南半分はアメリカが確保できるのではないか」
最後に堀がまとめる。
「いずれにしてもソ連の侵攻が確認できれば直ちに降伏に踏み切ることです。
ソ連が攻め込む前では米軍が大陸に橋頭堡を確保し、シナに国民党政権が生き残るかもしれません。
一方、ソ連侵攻から遅すぎれば我が国が分割される恐れが出る。
ギリギリのタイミングを見計らわねばなりません」
堀の言葉に、鈴木首相がわかったと言う。
方針は固まった。
文民の若槻は民衆への被害を心配し、岡田や宇垣が質問するのを、閣僚が答えた。
「それにしても3月には東京への空襲で10万人の死者、6月までの沖縄戦では20万人、更に連日のように各都市に空襲が行われている。
また、噂の新型爆弾や上陸戦が行われればいかほどの被害が出ることか。
ソ連の参戦がそれよりも早いことを祈るばかりだ」
「アメリカは硫黄島や沖縄戦の死傷者の数に驚き、ソ連の参戦を求めているようです。少なくとも本土上陸よりは早くなるでしょう」
「大統領が、親ソのルーズベルトから反共のトルーマンに代わってよかった。
数少ない明るいニュースだ。
ルーズベルトならば日本を分割することも呑んでいたかもしれないが、トルーマンは許すまい」
「陸軍の抗戦が鍵となる。
関東軍は対米戦に振り向けられてもはや形ばかり。
ソ連軍が国境から侵攻すればたちどころもない。
その一方で、千島などは頑強に抵抗して北海道には一歩も踏み込ませないようにしなければ」
「在外邦人は早めに撤収させられないのか」
「我が国がソ連を信じているということを示す為にはできません。
駐ソ大使や一部の大使からはソ連の仲介など働きかけるだけ無駄だと厳しい意見が来ていますが、間抜けのふりをして無視しています。
後世、どれほど無能と言われることでしょう」
現政府閣僚の鈴木首相や東郷、阿南、米内などが議論を交わす。
もはや方向は定まり、政府がそれを実行する段階となった。
この会議の役割は終わったと堀と石原は視線を交わした。
8月に入ると事態は急展開した。
6日に広島に原子爆弾が投下された。
悲惨な被害に衝撃が走る。
「ソ連はまだ宣戦布告しないのか?
これ以上の国民の被害には耐えられない。
もはやポツダム宣言を受諾すべきである」
そう言い出した昭和帝と重臣が協議するうちに、8日についにソ連からの宣戦布告が行われた。
鈴木首相と東郷外相は、ようやく来たかという思いであった。
翌日には広島に原子爆弾が落とされ、ソ連が満洲に攻め込んできた。
「早くポツダム宣言の受諾を発信せよ!」
昭和帝の焦りをよそに、鈴木首相は閣僚と連携し、陸軍の暴発を抑えつつ、粛々と手続きを行う。
8月9日、御前会議でポツダム宣言受諾を決定、10日にポツダム宣言受諾を通知、そして14日に終戦の詔が出され、15日には玉音放送が行われた。
それから怒涛のような2ヶ月が過ぎた。
10月のある日、東京の目立たぬ家に数人の男たちが集まった。
簡素な食事と菊の御紋が入った酒が振る舞われる。
「なんとか予想の範囲内で収まった。
310万人の犠牲をそう言うことが許されないとは知っているが、そう言わせてくれ」
「陛下と鈴木首相の判断でギリギリで間に合いました。
あれより早くても遅くても今よりも悪かったでしょう。
日本は大陸との最前線となり、南朝鮮も確保できました。
シナは遅かれ早かれ共産党が全土を制覇し、国民党は台湾あたりに逃げ込むのではないですか」
「こうなればアメリカも綺麗事は言ってられまい。
当初は非武装など言うかもしれないが、シナが失われれば日本を武装化し、大陸との冷戦に協力させざるを得まい」
「それにしてもソ連が予想通りの動きでよかった。
このシナリオの最大の懸念はソ連が仲介に乗り出してくることだった。
スターリンが目先の利益でなく、長期的に東アジアを欲するのであれば、我が国の懇願に応えて和平の斡旋をすべきであった。
うまく和平となっても我が国はシナ、満洲や朝鮮から撤退せざるを得ない。
そこを埋めるのはソ連しかない。
加えて、空襲や原爆で対米感情が悪いところに、救世主のように出てくれば親ソ感情は高まる。
終戦後の日本共産党の後ろ盾となれば共産党政権もあり得た。
和平交渉に失敗しても、悪役は断ったアメリカであり、ソ連に好感を持つことは確か。
どう転んでもソ連にはメリットしかない。
それを火事場泥棒のように侵略し、暴行略奪にシベリアで強制労働。
これで日本人の対ソ感情は決定的に悪化した。
アメリカには棚ぼただろう」
「それにしてもこれからの日本はアメリカの機嫌をとって生きていくことになるのか。
神武天皇以来、外国の支配下に入ったことのない我が国が惨めなものだ・・」
ポタポタと涙が落ちる音がする。
そこに豪快な笑い声がした。
「はっはっは
何を暗くなっているのです。
力は抜きんでているが、短慮で自分勝手、すぐに引っ込もうとする大男が、いい気になってガードマンの役目を果たしてくれるのです。
これを利用しない手はありません。
今まで我が国が担っていた大陸の圧力を彼らに受け止めさせ、その間に身軽になった我が国は稼いで豊かになればいいのです。
アメリカの西進の動きはまだ続くでしょう。
まずは分割された朝鮮でシナとぶつかり、ロシアと対立し、東南アジアへも進出しようとするでしょう。
明治以来の日本がやったことの二番煎じですな。
おまけにヨーロッパではドイツが引き受けていたロシアからの防波堤もやらなければならない。
堪え性のない国のことだ、この戦争から80年もすれば、もう嫌だと引き受けた責任を投げ出すのではないですか。
我が国はそれまであの頭の悪い大男の懐に入り、奴の財布から稼げるだけ稼ぐのです」
「吉田君の予想は景気が良くて、いいね。
では、マッカーサーをあやし、我が国をうまく軽武装で経済大国とできるように、吉田君を総理に推そう。
陛下、よろしいですね」
「頼むぞ」
「お任せください」
吉田茂の胸を叩く音と笑い声で宴は終了した。
それから吉田の予想通り、シナは共産党のものとなり、中国を自国の政略圏にというアメリカの目論見は外れた。
更に朝鮮では共産圏の拡大を防ぐ為に、中共軍と血みどろの戦いを演じる。
台湾に逃げ込んだ国民党を支援し、東南アジアへも旧宗主国に代わって進出し、民族独立の動きと対立する。
ベトナムでの戦いに倦んだアメリカは得るものなく撤退した。
「ついにアメリカの西進が止められたか」
吉田茂の弟子、佐藤栄作はアメリカの動きを注視し、その弱みをついて沖縄を返還させるのに成功した。
それは昭和帝の悲願でもあった。
アメリカがアジア各地で戦い続ける間、日本は平和憲法をお題目に軍事では協力せずに、物を作って売りつけ、国を豊かにすることに専念した。
その様は、自らを打ちのめしたアメリカが罠にかかり苦しむところに漁夫の利を得るかのようであった。
終戦から四十数年が過ぎた。
昭和63年も終わりに向かう頃、昭和帝は病床にあった。
皇居の窓からは煌々としたバブルの華やかな夜景が見える。
「長かった朕の治世がようやく終わる。
310万人の戦没者たち、見てくれているか。
お前たちの犠牲は無駄ではなかった。
我が国の経済力はアメリカを超えたぞ。
長い戦いだったが、今我々はアメリカに勝ったのだ。
鈴木、岡田、若槻、吉田、宇垣、石原、堀、共に苦労した者はもう皆死んだ。
日本の有史以来の繁栄を見届けて死に赴けるとは、朕は幸せだ」
翌昭和64年は1月7日で終わった。
長い昭和時代を禱り続けた昭和帝が没してしばらくしてから日本は長い氷河期、第二の敗戦に入ることとなる。