異世界人生満願成就……じゃなかったの!?
いい人生だった!
平凡に普通に暮らしていた私は、中学校の卒業式後、なぜか突然、異世界に転移してしまった。とんでもない目にあったのだけれど、なんだかんだで無事、天寿をまっとう……かどうかはわからないけれど、十分に歳を取ってから穏やかに死を迎えた。
それはもう波乱万丈な人生だった。
良き出会いにも恵まれた。
運命的な恋もした。
数多の危機を乗り越えた。
泣いて、気合い入れて、突撃して、踏ん張って、大事なものを守りきった。
愛する人と結ばれて、幸せな家庭を築き、かわいい子供を授かって、まっとうに育てきった。
世界は無事だったし、家庭は円満で、金運もそこそこ良かった。
まさに満願成就。神様ありがとう。
異世界に転移してしまった時に声をかけてくれた女神様は、ちょっと頼りない感じだったけれど、それでもずっと私をサポートしてくれた。女神様のお友達も皆さんとても親切で、生涯、私と家族を温かく見守って手助けしてくださった。
かくして私は、愛する人達に看取られて、思い残すことなく穏やかに異世界での生に幕を下ろしたのだった。
な・の・に!
「なんで私、ここにいるの!?」
懐かしき日本の自宅……の信号二つ手前の交差点。中学校の卒業証書の入ったバックを手に、私は呆然と立ち尽くした。
たしかにその昔、私は「元の世界に帰りたい」と泣いて駄々をこねたことがある。だがその後、あの世界で自分がやらねばどうにもならないことがあると思い知らされ、がむしゃらに立ち向かった。
「今は私はここでなすべきことをする! だから、女神様、一緒にがんばりましょう!!」
メソメソする女神様の襟首を引っつかむ勢いでハッパをかけ、慰め、愚痴を聞き、打開策を相談し、パワーアップのための特訓に付き合った。姉妹のように、親友のように、気取らず逃げず、全霊で彼女と付き合い、あの世界のために身を賭した。
愛する夫が、引退した身にもかかわらず戦場に担ぎ出され、帰らぬ人となった時も「もう一度会いたい」と泣いた。けれど、死者を蘇らすことはできないという女神様の言葉はもっともだと前を向いた。
振り返らず、惜しまず、後悔なきよう駆け抜けた。
「で……なんで今さら?」
アスファルト舗装をクッション性のいい靴で歩く感覚と、どこも痛くない軽い体に戸惑いながら家路を辿る。角のたこ焼き屋のお客が手にしていた醤油マヨの香りが凶悪すぎて、逃げるように早足になる。
大通りから一本奥に入った住宅街にある我が家が見えた。たしかに我が家だ。だがこんな風だっただろうか。あっちの世界の建築を見慣れた目に、主観で何十年ぶりの自宅はどこか違って見える。
あ、裏のおじいちゃんの畑に家が建ってる。
違和感の正体は我が家の背景かと気づいた。だが、そこが自分が小学生の頃の思い出として畑だったのは覚えているが、この中学校卒業時点で新築の家があったかどうかは記憶が定かではない。なんならさっきのたこ焼き屋の隣のカフェも印象になかった。子供時代というものの記憶は、今の私にとって果てしなく遠い。
それでも玄関ドアの前に立つと懐かしさに胸がいっぱいになった。
我が家だ!
そして……。
「おかえりなさい。早かったわね。もっとお友達とゆっくり話していてよかったのに」
お母さん!
卒業式のあと、友達と写真を撮りあったりしていた私に「先に帰るわね」と一声かけていった母。あの時、もっとちゃんと返事をすればよかったと何度も後悔した。二度と会えないと思っていた母。子育て中何度も「お母さんって、こんなに大変なんだ」と思い知り、返せない恩の重さに愕然とした。
その母が、目の前にいた。
「……ただいま」
「何? 何かあったの?」
「ううん、なんにも」
「お昼、食べましょ」
ソース焼きそばとお茶の美味しさに目眩がした。
§§§
「現代科学って偉大」
トイレを済ませて、泡ハンドソープで洗った手を吸水性抜群のタオルで拭きながら、私はこの世界に戻ってきた実感を噛み締めていた。
電気、水道、キッチンのガスコンロ。
夢に見たテクノロジーとインフラが当たり前に完備された日本社会は偉大だ。
「恵理、コンロの電池切れちゃったみたいなのよ。買ってきてくれる?」
「はーい。……それ、そんなところに電池あったんだ」
近所のコンビニに電池を買いに行き、文化格差に愕然とする。
うわー、製造業と物流の圧倒的勝利をあらためて見せつけられると感動するなぁ、まさにコンビニエンス!
魅惑のお菓子コーナーで誘惑に負けたチョコレートと電池を買って帰る途中で、ふと思った。
これ、食べさせてあげることできないんだな。
あっちの世界では、美味しいものはなんでもわけた。小さなタルトも切り分けて、一人分が一口にも満たなくなったそれをみんなで「おいしいね」と言いながら笑顔で食べた。
これを食べさせてあげたら喜ぶだろうな……独り占めして食べられることよりも、そちらの思いが胸をついて鼻の奥がツーンとした。
ちょっと重くなった足取りを横断歩道の手前で止める。道に描かれたこんなただのシマシマの意味を自分がまだちゃんと覚えていることに苦笑する。一時停止してくれたトラックに小さく一礼して道を渡る。平凡な……平凡な日本仕草。
トラックの荷台に描かれた黒猫には魔術絡みの意味なんかなくて、ただの引っ越し屋さんのロゴ。
私は帰ってきた。
我が家に、日本の小さな日常に。
桜が咲いたら一年生。もはや迎えることはないとあきらめていた高校生活が始まる。
私はそこではたと足を止めた。
勉強さっぱりわからないんですけど!
どうしよう。必死で勉強して受験した難関高校だ。中学の勉強がどの程度必要かなんて分からないが、すっかり異世界ナイズされた地理と歴史の教養と、きれいさっぱり忘れた現文古文理数系。過酸化水素水と二酸化マンガンという単語が頭をよぎったが、火炎化精霊水と爆散溶岩のイメージの方が強すぎてどんな特性のものだったか思い出せない。
詰んだ。
青空を見上げたら、影がさした。
「どしたの?」
「えっ!?」
完全に不意打ちで、間近から思いがけない声を聞いて、思わず飛び退いた。
「いや、そんな反応しなくても……というかようやく会えたのに迎撃態勢で身構えないでよ」
苦笑している相手の姿を二度見した。
ラフな黒トップスにボトムはデニム。
でもサラサラのプラチナブロンド、湖水のような瞳、鼻梁のスッと通ったすっきりと整った顔立ち。私を楽々見下ろす高身長。記憶にあるよりも肩幅は狭く筋肉も付いていないが、それは間違いなくあちらの世界で一番思い出深い相手で……てか、若っ! 初めて会ったときより若いってどういうこと!?
「なんで? どうしてあなたがここにいるの!?」
「ん? ああ、本日、隣に引っ越してきました。どうぞよろしく」
菓子折りの袋を手渡される。
地元の銘菓のご贈答用定番品。
「わあ、コレ好き」
「って、言ってたよね」
ニコニコしている相手を見上げる。
異世界の英雄。住宅街の路地に似合わない美形。滑らかなネイティブ発音の日本語が、その顔からでてくると違和感しかない。その髪に白髪はない。顔に古傷もない。つやつやピカピカの美青年。でも相手は私と一緒にいたときの記憶があるらしい。
「本当にあなた?」
「だよ」
困惑がストレートに顔に出たらしい。
彼は私の眉間を人差し指でグリグリした。
「また、そんな顔して」
「子供扱いはやめてよ」
「君、子供じゃないか」
「あなたも」
「君と一緒に“憧れの高校生活”を送りたかったからね」
「だからって……無茶苦茶だわ」
あなたは戦争に行ったままで、二度と会えないはずだったのに。
「こんな、待つのも“もしも”も全部諦めちゃったあとで……」
「ごめんよ」
彼はいつだってそうしてくれていたそのままに、私をそっと抱き寄せてくれた。
「ただいま。そしてはじめまして」
家の前の路上でやることではないという理性がぎりぎり働いて、私は彼にすがって大泣きするのを我慢した。
§§§
「で、再会は嬉しいんだけど、あなたどうやってこっちの世界にきたの?」
私は自宅のカーポートの隅で、彼に小声で詰め寄った。
「だいたい高校に通うには入学試験とかあるし、それ以前に役所の書類がちゃんとしてないとダメなんだからね。この世界はあっちの世界みたいに貴族の一存で何とかなっちゃうってわけじゃないのよ」
「ああ、それは大丈夫。法的手続きは万全だから。ほら、マイナンバーカード」
市役所で転居手続きもちゃんとして住民票も移したよって、ファンタジーな王子様的美貌で言われると違和感しかない。
「一体全体何をどうしたらそんなことが……」
「君だってこっちからあっちに行ったんだから、そんなに不思議じゃないだろう」
「私は普通にそのまま突然、ポンって転移しちゃったんだもの」
女神様の諸々のサポートのおかげで何とかなったが普通は野垂れ死に一直線だ。
「あなたに出会えていなかったら、野っ原か路地で簡単に死んでたわ」
「いい拾い物をしたよ」
ニコニコしているが、拾われて世話になりっぱなしだった身としては面白くない。
「あなたが転移する側なら、今度は私が支えたかったわ」
「残念。転移じゃなくて転生だからね。それに生まれ変わっても君を支えられる男でいたかったから、そこはがんばった」
自宅住まいの高校生が身元不明の不審者を扶養するわけにはいかないだろうと冷静に指摘されて言葉に詰まる。
なんでこの世界の常識をこっちが指摘されないといけないのだ。
「だから、困ったことがあったらなんでも頼ってよ」
「うう……」
でも、目下の困り事というと高校のお勉強なんですが……と相談すると、彼は素晴らしい笑顔で「任せて」と答えた。
「今度はこっちが君の家庭教師をしてあげよう」
「えええっ」
「ちなみに入学式で新入生代表のスピーチやってくれって言われる程度には成績いいから」
「それ入試トップ!」
「君が持ってた知識チートと言語チートって奴は便利だよね」
異世界転生転移特典!!
「やっぱり女神様、ひとくち噛んでるの〜!?」
「うん。今、家に居るよ。会いに行く?」
§§§
再会した女神様は、いつもどおりのノリで、いつもとは違って質量のあるボディアタックをかましてきた。
「エリ〜〜〜っ!」
「ぼふぁっ」
「えーん、会いたかったよう〜」
「お前が泣くな。ほら鼻かんで。うぇぇ、実体あると面倒だな」
「びどいぃ〜〜」
聞けば、あっちの世界で散々世話になったのに私の望みを叶えきれなかったのが神として口惜しかったのだという。
「だから保留にしていた分、全部叶えちゃうことにしました」
「うん?」
「ほら、常々、私に日本で一緒に行きたいところややりたいことがあるって言ってたじゃないですか」
そんな気もする。
「一緒にカラオケ行きたい」って言って、概念を詳細に説明してモドキな事象を発生させてもらったこともあったっけ。
「おしゃれなカフェでお茶もできます」
「こいつそのために店まで用意して……」
「まだ言っちゃダメ〜っ!」
女神様は彼の口を塞ごうとしてワタワタしていた。相変わらず隠し事が下手だなぁ。私が大好きだった二人がそうやって仲良さそうにしているのを見るとほっこりする。
私はこれまでと同じように、諸々察した上で気づかないふりをした。
「ありがとう。一緒に甘味楽しめるのうれしいわ。……チョコ食べる?」
「うん!」
「あなたもお一つどうぞ」
「ありがとう。これは“ばれんたいんでー”?」
「3月だからノーカウント」
「残念」
幸せそうな笑顔の二人を見ながら久しぶりに食べたコンビニ菓子のチョコレートは、とっても美味しかった。
「あちらでは、エリにいっぱい苦労させちゃいましたからね」
向こうで生きている間、世界のため、皆のためと、私が脇に置いて見ないようにして忘れた望みを、女神様はずっと忘れずに心に留めていたそうだ。
この際全部叶える気なのだと、チョコを食べ終えた彼女は、とびっきり可愛らしい笑顔で得意そうに胸を張った。
「青春倍返しです! できなかったこと全部やっちゃってください」
私は胸が詰まってしまい、何と答えていいかわからなくて、隣にいる一番頼りになる人を見上げた。
「ただし恋愛はもう一度僕とだよ」
私は今度こそ最愛の人の胸にすがってわんわん泣いた。
女神様がサービス特盛にしてくれた青春はちょっとばかり斜め上にすっ飛んでいたが、とてつもなく楽しかった。
人生って素晴らしい。
本人は満足しているっぽくても、もっと幸せになって欲しかった、苦労ばっかりだったじゃんという思いがあったから、全部何とかしてやったぜ! だって神だもん!! ……という女神様です。
高校生活はきっと賑やかw
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