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師弟の物語

師弟の物語

作者: 千羽

「はぁ……はぁ……やっ、ばい……これ、むり!」


 黒狼に追われてからどれくらい経っただろう。

 森の奥でこっそり魔法の練習をしていたら、巣が近かったのが群を連れて襲ってきた。

 魔力は尽きて魔法は出せないし、残っていたとしても黒狼に通じるような魔法はまだ習得してない。持ってきた木刀は時間稼ぎのために投げつけて失ってしまった。

 何度か飛びつかれた拍子には激痛が走って視界が朦朧とした。

 逃げるしかないのに……痛いし、呼吸もうまくできないし、前も見えないし、脚も動かなくなってきた。


「うあっ」


 次々と迫ってくる木を避けきれず態勢が崩れて体が浮いた。

 その瞬間、死ぬんだと確信した。


 いろんなことが頭で渦巻いた。 

 言いつけを破った自分が悪い。暗くなる前に森から出るべきだった。

 森の奥に入らなければよかった。

 そもそも隠れて魔法の練習なんてしなくてよかったんじゃないか。お父さんとお母さんに頼み込めば魔法の教師だってつけてくれたかもしれない。その可能性が低いからこそこそやってたんだけど……あぁ、もっと生きたかった。

 やりたいことだっていっぱいあったのに。明日は妹の誕生日でとっておきの魔法を見せてやろうと思ってたのに。

 なんで僕が。


 後悔や憎悪がぐちゃぐちゃした心の中が、すん、と穴が空いたように何も無くなった。


 木に寄りかかって自分の身体を見下ろすと、見ていられないほどにボロボロだった。

 何度も爪で引っ掻かれて至る所に傷がある。

 よろけた時に受け身を取らなかったせいで身体の内側がジンジンと痛む。

 見えないけれど顔も酷いことになってるんだろう。……まあいいか。


 ドタドタと無数の足音が迫ってくる。鋭い眼光が続々とやってくる。

 枝葉の隙間から差す月光がその姿を顕にすると、無意識に左手が上がった。

 ボッ、ボッ、と掌から点火の音が鳴るが、一向に火が出る気配はなかった。

 追い詰めたと言わんばかりに速度を落として囲んでくる黒狼を前に、生存本能はまだ死んでいなかった。


 それでもやっぱり、魔法は使えない。肩が下りる。抵抗できない。涙でさらに視界が悪くなる。


 黒狼が再度迫って来るのを感じて、そっと目を瞑った。




---




「君、まだ生きてる?」


 少女の声。

 鉄の鋭い音。

 氷が砕ける音。

 獣の遠吠えとうめき声。

 グチャグチャとした気持ちの悪い音。

 いろんな音が混在している瞼の奥の景色が気になった。



 そこには大量の黒狼の死骸と、今も尚戦っている少女の姿があった。

 よくは見えないが、戦っていることはわかった。

 

 彼女は誰だ。

 どこから来たんだろう。

 助けてくれた?

 なんで。


「ああ……」


 キーン、と耳鳴りがした。

 頭もぐらぐらして、意識が朦朧とする。

 怪我をしているはずの身体はなぜか感覚がない。

 あるよな、腕。

 

「生きてるなら意識しっかり!」


 少女が戦いながらこちらに叫んだ。


 そうだな。

 このままでいたらすぐに死ぬ気がする。

 体が目覚めてきて、痛みが再熱してきた。


 少しでも長く意識を保とう。

 それが今の僕にできる最大限の努力だ。



 身体を動かすと傷が開きそうなので、止血はできなさそうだった。

 なので、痛みを少しでも誤魔化すために、少女の戦闘に意識を向けた。


 目を凝らす。


 俊敏な動きで黒狼の攻撃を躱し、その際に首や腹を斬って殺す。合間に残ってる奴も魔法で凍らせたり切り裂いたりして殺していく。

 目はいい方だと思っていたのだけど、怪我のせいか動きを追うのが精一杯で、なんの魔法を使っているかはよくわからなかった。


 しばらく見ていると、少女が魔法を使う際に口が動いていないことに気が付いた。

 詠唱をしていないのだ。

 自分以外で無詠唱で魔法を扱っている人を、初めて見た。


 剣を振って攻撃を躱しながら、精密な操作が必要な無詠唱魔法を平然と使っている。

 鼓動が高鳴った。

 血がぷしゅっと吹き出た気がしなくもない。

 心の底からワクワクした。



 いつの間にか辺りに黒狼はいなくなっていた。

 あるのは地面に重なる死骸だけだ。

 どうやら僕の意識逸らし作戦は成功したわけだ。うしし……なんて思っていると、激痛が襲ってきた。

 思わず嗚咽が漏れる。


 少女は剣についた血を振り払って鞘に納め、一息つくと、こちらに向かってきた。


「よかった、まだ生きてる。今治すから」


 少女は血相をかいて僕の側に跪いた。


「ヒーリング」


 声と同時に光が灯り、気付けば傷は癒えていた。

 十数分前の苦痛が嘘だったかのようだ。

 身体が治っているかを躊躇いながらも確認する。

 痛くないし、動くのだけど、身体が重くなったように感じる。

 怠い。なんでだ。


「はい、口開けて」


 くらくらした頭を支えられて、少女に水筒を口に当てられる。


「ぐあっ……うう」


 喉に詰まった血が吐き出される。

 そしたら、無性に喉が乾いた。


 気付けば、筒からは水滴がポツポツと垂れてくるだけだった。

 まずい。

 全部飲んじゃった。

 怒られる……。


 そう思いながら、恐る恐る少女の方に視線を向けると、少女は心配そうに様子を見ているだけだった。

 怒ってないみたいだ。よかった。


「平気?」

「……はい。ありがとうございます……」

「よかった〜」


 少女はニカッと笑う。

 綺麗な人だ。氷のような瞳。肩につく金髪。少し男らしさを感じる明るい笑顔。

 鼓動が早くなる。

 体が熱い。

 怪我のせいで体調が悪くなったのだろうか。

 血の巡りが早いように感じるからきっとそうだ。


「ほら」


 差し出された手を取って起き上がる。

 立ってみると背がだいぶ高い。

 つま先で立って腕を伸ばしても頭のてっぺんには届かなそうだ。


 

 少女の立ち姿にはどこか、父さんのような雰囲気を感じた。

 身体を被うローブは所々擦り切れて薄汚れている。色々なことを経験して、戦って、死ぬような思いをしてきたような。

 歴戦の冒険者の貫禄がある。

 僕を助けてくれた彼女は、凄い人なのだとその瞬間にわかった。



 少女がローブを脱ぎ捨て、剣を地面に置いた。


「よし、じゃあわたしに続いて〜、ほいっちにっさんっしー」

「……にーにっさんっしー」

「そうそう」


 急な体操に戸惑いながらも、軽く身体を動かした。

 身体が本当に治っているかの最終確認のようだ。


 腕を伸ばしたりしているうちに、血流が良くなった気がする。

 それと同時に鼓動もどんどん早まる。

 もしかしてと思いおでこに手を当ててみると、熱い。

 熱が出ていた。

 治癒魔法の副作用だろうか。

 傷は癒えても、身体の方が追いつかないらしい。

 あんな大怪我を一瞬で治すとなると、こうなるのも納得できる。


「よし、大丈夫そうだね。熱はしばらく安静にしてれば治るよ」

「本当に、ありがとうございました……」

「いいけどさ。森の奥は危険だって周りの人に言われなかった?」

「言われてました……」

「……君にはまだ早かったね。もう森には入らないほうがいいよ。あいつら巣にまだ残ってるだろうから」

「はい、気を付けます……本当にすみませんでした……」

「謝るなら親にね。夜も遅いし、心配してるよ」


 少女は一通りの説教を終えると、僕の頭を撫でた。


 もちろんわかっている。

 帰ったら正直にすべてを話して、反省しよう。



 それから、少女は黒狼の死骸を宙に浮かして森の外へ運び出し、一箇所にまとめて燃やした。

 僕は少し遠くの方でそれを見て感嘆しているだけだった。


「魔物の死骸を燃やさないとアンデットやゾンビになるので、必ず燃やしてくださいね」



 月が照る空には黒い煙が充満して、獣臭と灰の臭いが目と鼻にツンと刺さった。



 少女がローブを着て剣を腰に携える。


「じゃあ、またあえたら」


 今にも彼女は立ち去ろうとしていた。


「あの」


 少女が足を止める。

 そういえば、名前を聞き忘れていた。

 いつかまたあえた時、恩返しできるように名前だけでも知っておきたい。


「名前を、教えてもらえないでしょうか」

「あ、そうだね、自己紹介もしてなかった」


 彼女は再度僕と向き合い、手をこちらに差し出す。


「わたしはアーシャ。君は?」

「っ……ソラです」


 手を取り、握手をする。



 彼女の背中を見送った。




 今日は災難だった。

 大元僕が全面的に悪いのだけど。

 でも父さんが言っていた、辛いこと苦しいことは経験だと。もし同じことが起こったら、その時に以前の経験を活かすのだと。

 今日は経験を積んだのだ。そういうことにしよう。


 それに、素晴らしいものも見れた。

 彼女の戦闘の情景が目に焼き付いている。

 華麗な剣捌きと無詠唱の巧みな魔法は、きっと忘れることはない。

 思い出すたびにあの痛みがぶり返しそうなのが怖いが、その時はその時だ。


 おかげで目標ができた。

 やりたいことは山程あれど目標がなかった僕にも、目標が……夢ができた。


 強くなる。

 優しくて、かっこよく。

 彼女……アーシャさんのように強くなる。


 そしていつか。あれほどまでに強くなったら―――






 * * * * * *






「―――というのが俺と師匠の出会いです」


 窓から射し込む光と、小鳥の囀りが聞こえる温かい朝食。

 食卓を三人で囲って、俺は思い出話を語った。


「本の中の物語みたい。かっこいい」

「うう……恥ずかしいのでその話はあまりしないでください……」


 主に羨望の眼差しを送るメイドのエリス。

 顔を手で隠してやまないアーシャ師匠。


 少し顔を覗き込んで見ると、師匠の顔は赤かった。

 何をそんなに恥ずかしがっているのか。


「あの時の師匠すごくかっこよかったですよ」

「違うんです……違うんです……」

「?」


 師匠がしおしおに縮んでいくのに首を傾げていると、トントンと肩を叩かれる。

 エリスが口を寄せて耳打ちしてくる。

 なにか心当たりがあるらしい。


(アーシャ様はね、実は昔…………)


ごくり。


(イキってたらしいよ)


!!!!


 目がかっぴらいた。

 視線の先の恩師はショックを受けたような顔でエリスを見ていた。

 聞こえていたらしい。


 あのアーシャ師匠が。

 普段はお淑やかで優しく、修行の時は少し厳しいけどわからないことがあればなんでも教えてくれて、街に出たらスイーツに目がないような可愛さもあって、歴史に残ってもいいくらい強いのに一切驕りなんて見せない、あのアーシャ師匠が。

 イキってた?

 身の毛もよだつような意外な話だ。


 嘘なんじゃないかとエリスに疑いの目を向けると、


「な〜ん〜で〜言〜う〜の〜!」

「あう、あう」


 エリスは幸せそうに泣きじゃくる師匠に揺らされていた。

 俺の視線に気付いたのか、親指を立ててくる。

 それは師匠に触れられていることへの喜びを表しているのか、教えてやったから感謝しろと言っているのか、どっちだ。

 まあいいか。あとで詳しく聞かせてもらおう。

 

 とりあえず、師匠の様子を見るに本当の事らしい。



 朝から師匠の意外な過去を知れた。

 今日は特別な日でもなんでも―――あ、いや。

 特別な日だった。かなり。


 忘れていた。というより、さっきの衝撃で記憶が吹っ飛んだ。



 今日は卒業試験の日だ。






 * * * * * *






「二週間後に卒業試験を行いたいと思います」


 それは晩御飯を食べている時、唐突に言い放たれた。

 スプーンを手に固まって、前に座る二人を交互に見る。

 師匠はこちらを真剣な眼差しで、エリスは静かに視線を落としていた。どうやらエリスは先に話を聞かされていたらしい。


 慌てで動悸が止まらなかった。


「試験は昼に行いたいと……」

「ちょっと待ってください……急すぎますよ」

「そ、そうですよね。先に経緯から説明します」

「お願いします」


 師匠はどこか焦っているように見えた。

 俺も平静を保とうとしたけど、そんなわけにもいかず声は震えていた。

 スプーンを置いて、深呼吸をする。



「まず、卒業のことは一年ほど前から考えていました。もう教えることはないなとその時点でわかっていたんです。ソラは成長が早いですから。

 ですが、ある日機転がありました。

 ソラが世界一周するのが夢と言ったこと。世界を旅するのには知識や技術が要ります。それを教えなければ私は役目を果たしたことにならない。だからかなり長い時間をかけて、教えられることは全部教えたつもりです。

 私はソラに世界を見てきてほしいです。そして世界にソラを知ってもらいたいです」


 師匠は涙ぐんだ声で丁寧に説明をしてくれた。

 自分の涙腺も震えてるけど、今は我慢する。


「少し、早くないですか? まだここに来て二年しか経ってないですよ」

「いえ、十分だと思います。あなたは1教えれば10にしてしまうような人です。ソラは凄いんですよ」

「でも……」

「いいですか? 力量は才能の有無や努力量で測るんです。年月は二の次ですよ。あなたはどちらも凄まじかった。授業後に何時間も魔法を使ってる生徒なんて、私は見たことありませんよ」


 師匠は恥ずかしくなるほど俺を褒めちぎった。

 隠れてやってた魔法の特訓がバレていたことへの恥ずかしさもあって顔が熱くなる。

 でも、見ていてくれたんだという安堵もあった。


「照れちゃって」

「そりゃ照れるでしょう……」

「ふふ」


 師匠にここまで褒められたのは初めてだった。

 嬉しかった。ずっと憧れの人だ。この世界で一番強い人だ。嬉しいに決まってる。


 それから少しの間、自分がどんな顔をしてるかわからなくて顔を上げることができなかった。



 俺はアーシャさんに憧れてここに来た。強くて華のある戦い方に惹かれて、それを目指した。

 アーシャさんの下で色々学ぶことができた。自分は知りえなかっただろう魔法の技術や、剣鬼に届くほどの剣技。他にも、読み書きや計算、料理まで教えてもらった。人間性にも見習うことがあるし……彼女の何からなにまで良く思えた。

 一緒に暮らしていく中で、俺はアーシャさんに憧れとは別の何かを抱いているような気がしていた。アーシャさんに初めて会ったときの一目惚れのような心の火照りがあった。幸せな日々に、ずっとこれが続けばいいなとすら思ったことがある。

 離れるにはまだ惜しいと、幼い感情が残っている。


 でも、いつかは離れることになる。遅かれ早かれなんだ。割り切らなきゃいけない場面はいずれやってくる。それが今なんだ。そう自分に言い聞かせた。


 試験は全力で挑む。

 試験内容はたぶん、魔法の実技試験か、師匠との対戦。

 どっちがきても、絶対に手は抜かない。手を抜けばきっと師匠にバレるし、怒られる。



 意思が決まり、気持ちは落ち着いた。



「ソラ、卒業試験を受けることに異議はありますか?」

「いえ、ありません」

「では、試験の説明をしたいと思います」






--- ---






「んん……」


 ソラに話を終えた後、アーシャ様は自室のベッドに突っ伏して動かなかった。

 頑張って伝えようと努力していたから、こうなるのも無理ないかもしれない。泣き疲れもあるだろう。

 でも、普段のアーシャ様とソラではなく、師匠と弟子という立場で話をしていたのだから、もう少しビシッと決めてほしかった気持ちもある。泣くなら後で私の胸で泣いてほしい。

 まあ、外野がどうこう言えたものではないのだけど。



 にしても───


「本当に良かったのですか?」

「……何が」

「ソラ、本当に出ていっちゃいますよ」

「弟子はいずれ離れていくものなの。遅かれ早かれなの」

「今は師弟どうこうの話ではありません」

「……」


 師としての思いではなく、アーシャ様がどう思っているのか。今はそれが大事だ。


「あなたは恋を逃しても良いんですか」

「……そんなの、そんなのいやだ……」


 シーツに皺が浮く。

 起き上がってこちらに抱き着いてくる。

 ああ、可愛い。これを待ってた……わけじゃない。


「そんなのいやだよ……」

「じゃあ、どうしますか?」

「……でも、ソラにはソラの人生があって……」

「なに言ってるんですか。最近のアーシャ様はいつもそうです! 周りにばかり気を遣って自分のやりたいことなんて後回し。それじゃダメですよ! 初恋くらい、自我を出してぐいぐい行かなきゃ!」

「……!!」


 肩を掴んで真正面でガツンと言ってやる。

 恋の手伝いだ。これくらい言わないと後押しにならないだろう。


 私はアーシャ様の使用人。アーシャ様の身の回りのお手伝いをする役だ。アーシャ様の目的を全力で応援する。もし失敗してしまったら慰める。

 未練が残るのは告白してフラれることよりも悔しい。やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいい。



 アーシャ様は目を擦ってから、もう一度背中に手を回してくる。


「そうだよね。ありがとう、エリス」

「いえいえ。頑張ってください、アーシャ様」



 覚悟が決まったようだった。






--- ---






 草花で彩られた広い草原。

 空は快晴。風は少し冷たい。

 絶好の試験日和だ。

 何をするかは知らない。でも、なんとなく予想はついている。


「試験内容は二つです。一つは私の使った魔法を再現すること。その後、私と戦ってもらいます。私に勝つことができたら、卒業となります」

「っ……わかりました」


 やっぱりそうだった。でも、実際に本人からの口で言われると緊張が奔った。



 全員が腰に真剣を携えている。

 俺と師匠は試験用に。エリスは立会人として剣を持っていた。絶対にないだろうけど、俺と師匠が暴走し始めたらエリスが止めてくれるっぽい。


 師匠はついでに杖を持っていた。立派な杖だ。こんなに綺麗な杖今まで見たことない。

 先には黒く大きい水晶がはめ込まれていて、覗き込んだら飲み込まれそうな禍々しさがある。


「師匠も杖を使うんですね」

「こんな時くらいしか使う機会がないのでずっと置物になってました……せっかくですから今日はこれを使います」

「なるほど」


 師匠と出会ってから初めて杖を持っているところを見た。持ってるどころか頬ずりまでしている。

 剣を持ってるところしかみたことがないから違和感が拭えない。


「この水晶、黒龍の眼球らしいですよ。火、水、風、土の四つに適正があるんだとか」

「凄いですね! 師匠が注文して作ったんじゃないんですか?」

「いえいえ。黒龍なんて私じゃ倒せまんし、龍の眼球なんて素材人間が入手できたら奇跡です」

「ではどなたから?」

「王様からです」

「王様から! すごい……ん? 王様は人間ですよね?」

「え、ええ……」

「じゃあ師匠は奇跡を置物にしていたんですね……」

「……あまりそこには触れないでください」


 師匠の赤面は杖に隠れた。



 仕切り直して。


「それでは、試験を始めます」

「お願いします」

「今から使う魔法を真似てもらいます。とても難しいのでよく見て、感じてください」

「わかりました」


 師匠が杖を構えると、辺りに温風が巻き上がった。小さな台風ができた。火と風の混合魔法で、かなりシンプルだ。

 じっくり十秒それを保ったあと、その台風を囲うように地面から土壁が生えてきた。土の魔法で初歩的なものだ。土壁で、視覚的に台風が見えなくなった。でも、中で激しく渦巻く魔力は見える。ジーっと目を凝らして魔力を感じていると、突然中の魔力が消えた。そして土壁が下がり、そこにはクシャクシャの草花がパラパラと落ちているだけだった。


「以上です」

「凄いです、師匠」

「ふふ。ではやってみてください」


 師匠はこちらに杖を差し出した。


「いえ、杖は使ったことがないので要りません」

「ですが、先程の魔法はこの杖じゃないと難しいかもしれません」

「大丈夫です。もうイメージはできてるので」

「……わかりました」


 手を構えて、想像と魔力に集中する。


 さっきの魔法に威力はさほどない。あれは技術重視の魔法だ。火、風、土の三つを同時に操り、視覚的に見えない場所に魔力を注ぎ続けなけらばならない。そして最後は中に魔力を注ぐのを止め、土壁を下す。最後で大事なのは、土壁に注いでいる魔力と台風に注いでいる魔力を見間違えないこと。

 ……うん、できる。




「よしっ!」

「さすがですね。一次試験は合格です」

「ありがとうございます!」

「少し休憩してから、二次試験に移りましょう」

「はい!」


 魔法実技の試験で師匠があの魔法を選んだということは、あれが一番魔力の精密操作が必要な魔法なんだろう。それができたことに、とても満足している。嬉しくて仕方がなかった。


 あとは、師匠との対戦。

 勝てば卒業、負ければ続投の勝負。

 今まで二回木剣で戦ったことがあるが、そのどちらも手加減をされて負けた。だから、勝ちたい。あなたが今まで教えてきた生徒は、あなたに匹敵するような人間であると知ってほしい。それに、試験の時くらい勝たせてほしい。試験に落ちるのは格好悪い。教わったことを全部活かして、殺す気で挑む。


 準備運動をしていると、あっという間に休憩時間が終わった。


「では、始めましょうか」

「はい」


 距離を取って向かい合い、鞘に手をかざす。間にはエリスが立ち、審判の役目を担った。


「これから二次試験を行います。お二人とも準備はよろしいでしょうか」

「「はい」」

「ルール説明から……始めと合図をしたら試合開始です。試合は私が止めと言うまで続けてもらいます。止めは私の独断で入れさせていただきます。お二人とも殺す気でやってもらって構いません。もし大怪我をしても私の治癒術で治せますから、安心してください」

「不安になること言わないでください……エリスなら止めてくれますよ」

「ですよね……でも俺は、殺す気でいかせてもらいます」

「! はい」


 既に集中力は高まっていた。

 エリスなら絶対に止めてくれるという信頼の下、止められないくらい速く動く。それくらいじゃないと、師匠に勝てない。

 全力で、絶対に勝つ。



 目を合わせてお辞儀をする。


「始め!!」


 エリスの声と同時に、剣を抜いて前に踏み込んだ。


 ゾワっと怖気が襲ってきた。師匠の敵意、殺意が身に染みて伝わってくる。今までにない感覚だった。押し潰されそうになる。体が思わず止まった。

 一瞬の怯みを隙と見た師匠は、尋常じゃない速度で間合いに入ってきた。

 鋭い金切り音が平原に響き渡る。


 俺は教わったことを全力で駆使して師匠を迎え撃った。

 剣の攻防の最中、俺は師匠よりも半歩遅れていることに気付く。身体の至る所にツーと痛みが走る。


(これじゃ遅い! もっと……もっと速く!!)


 そうして地面を踏み込む度、自分の限界を次々と破っていくような感覚と共に体が軽くなっていった。心なしか、相手の動きも遅く見える。

 ついさっきとは逆に、俺は師匠に傷を与えることができていた。


 攻防には魔法も混ざってきたが、緩む地面、後ろから迫ってくる氷矢、目に見えない風刃、すべてに対応してみせた。

 師匠は、戦闘では瞬発力が最も大事だと言っていた。相手より速く最適解を出した方が勝つ。そして最適解は頭で考えるのではなく、本能に身を任せるのだと。

 それが今、完璧にできていた。


(勝てる!!)


 俺の勝ちが見えた。


 そう思った時、師匠の踏み込みや姿勢に違和感を感じた。

 師匠の剣術には型という型はないはずなのに、そこに型を感じた。これは師匠の剣じゃなく、剣神流の剣だ。


(速い───)



 まばたきをした瞬間、景色がまるで変っていた。地面に足は着いていなくて、剣は手から抜けていた。

 正面にはエリスの顔があり、奥には青空が見える。エリスに抱っこされていた。

 ゆっくりと地面に降ろされて、エリスは片手を上げて声をあげる。


「止め! 勝者、アーシャ!」


 師匠との勝負に敗北し、卒業試験は不合格となった。






---






 乾いた頬にツンツンと指が突いてきた。


「治療終わったよ」

「……ありがとう」


 エリスに試合中に負った怪我を治してもらっている間、負けた瞬間のことを思い出していた。

 敗因は、慣れと甘えにあったと思う。

 ずっと臨機応変に対応していた剣と魔法への慣れと、勝てると思ってしまった甘えが意識を反らし、一瞬の最大出力に付いていけなかった。

 負けた。自分の弱さを痛感させられた。まだまだ師匠には届かないのだと目に見えて証明された。死ぬほど悔しい。


 また目が淀んできた時、肩を叩かれた。


「ソラ、少し話しましょうか」

「……はい」


 隣に腰掛ける師匠は物凄く疲れているようだった。

 魔法実技の後の実戦はさすがに厳しすぎた。魔法の操作で疲労感が半端ない。

 俺も今は集中力がほとんどない。


 師匠は気持ちよさそうに草花に寝転がった。


「強かったです……私は基本自分の戦い方を崩さないのですが、さっきは剣神流の技を使わざるを得なかった。使わなかったら多分……いえ、絶対に負けてました。本当に強かった」

「ありがとうございます。師匠もあの技凄かったです。速すぎて見えませんでした」

「あれは私のモノではないのであまり誇れないんですが……ありがとうございます」


 師匠は納得のいかない表情で頬を掻いた。


「技は使えることに凄みがあると思うんですけど」

「それはそうですけど、私にもプライドがあるんですよ」

「なるほど……」


 師匠は俺に、プライドを曲げてまで勝ちたかったんだと言う。

 ふと疑問に思った。


「俺が言うのもなんですが、どうしてそこまでして俺に勝ちたかったんですか?」

「え。それは、えっと……」


 師匠の視線が泳ぎだしたのに首を傾げる。

 それから師匠の顔はどんどん赤くなっていった。


「ちょっとそれは……言えない、かも……」


 赤面は腕で隠しきれていなかった。

 師匠の弱々しい声に静かに歓喜してるやつもいる。


「師匠?」

「……ったんです……」


 腕の向こうから聞こえる細々とした声に耳を寄せる。


「ソラとまだ、一緒に居たかったんですよ……」


 衝撃の告白に、耳を疑った。


「ソラにまだ行ってほしくなかった……楽しかったから」



 もう、勝負に負けた悔しさとか、試験に落ちた安堵感とか、そういうのはあんまりなかった。

 今は、師匠と同じ気持ちだったということが嬉しかった。


「俺も……俺もまだここに居たいと思ってました」

「ソラも……? 私はてっきり、あの日に切り替えてしまったのかと……」

「あの日……ああ。さすがに二週間じゃ無理でしたね」


 試験の話を持ち出された日、頑張って心を入れ替えようとしたけど、やっぱり心残りがあった。

 ていうか、俺が卒業したくないってことバレてたんだ。顔に出てたかな。


「心配だったんですよ。試験の話をした時露骨に嫌そうだったのに、次の日には普通にしてるから……」

「俺はそんなにスパスパ切り替えられる人間じゃないですよ……やっぱり顔に出てましたか?」

「顔というか、態度全部に出てましたね」

「そんなにですか」


 たしかに、あの時は焦ってたから表情とか語調はあんまり気にしてなかったな。


「でも、良かった……ソラも私と同じことを思っててくれたんだ」


 胸に手を当てて、心底嬉しそう笑う。


「実は、色々悩んでたんです。ソラに無理な思いをしてほしくないから、なんとかうまく説得しようとか。試験はやらなきゃいけないけど、ソラに行ってほしくなかったから……でもソラの夢も応援したいしで……それで思いついたのが、ソラとの対戦だったんです。私が勝てば師弟関係は続いて、もし負ければソラは夢を叶えに行ける。それが一番だと思った」


 師匠は壁が決壊したように、心の内を語ってくれた。


「だけど、俺たちは同じことを思ってた」

「はい。だから、今はほっとしてるんです」

「俺も、さっき負けたことへの悔しさとか忘れるくらい、師匠の思いが嬉しいです」

「ふふ。でも、悔しさは忘れないでくださいね。その感情は次への一歩にとても大事なものですから」

「わ、わかってます」


 こんな時でも釘を刺してくるなんて。恐ろしい。


「あ、そういえば、俺の夢は世界を旅することって言いましたよね」

「ですね」

「あれは別に、すぐにやりたいってわけじゃないんです。もっと大人になって、もっと経験を積んでからやりたいと思ってるんです。師匠の下とはいえ、どうしても二年じゃ経験が足りなさすぎると思ったんです」

「そ、そうなんですかね……私は小さい頃にはもう家を出てたので、経験がどうとかはよくわからなくて……」

「……師匠はなんか、やっぱりちょっとおかしいですよね」

「おかしいって、ちょっと失礼じゃないですか?」


 少し目を合わせて、二人でくすくす笑い合った。




 空は快晴。

 広い草原は草花と一人の女性によって彩られている。

 冷たい風に、日光に輝く金髪が靡いていた。


「ソラ」

「はい」

「これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ、迷惑をかけると思いますが、お願いします」

「それで……」

「?」

「もし、ソラが嫌じゃなければ、ソラの夢に私も連れて行ってほしいです」

「え……本当ですか!? もちろんですよ! まだいつになるかはわからないんですけど、その時はお願いします!」

「約束ですよ」

「はい!」


 師匠が差し出してきた小指に、嬉々として小指を掛けた。






---






 疲れて眠ってしまったソラを背負って、帰路に就いていた。

 アーシャ様はソラの剣を持って隣を歩く。


「やっぱり言えなかった……好きだって」

「あんなの、ほぼ言ってるようなものでしたけどね。ソラとした約束とか、プロポーズにも見えます」

「恥ずかしすぎて死にそうだったよ……」

「よく頑張りました。よしよし」


 とは言ったものの、今回の件、よくよく考えてみればアーシャ様とソラのコミュニケーションが足りなさ過ぎただけのように感じる。

 普段からもっと心の内から話していれば、こんなに複雑にはならなかった。アーシャ様は初恋の気恥ずかしさで壁があるし、ソラはアーシャ様を尊敬しているからこその分厚い壁がある。そりゃあ難しすぎるに決まってる。

 この二人、恋を実らせるのにはあまりにもめんどくさ過ぎるかもしれない。


 でも、今回の件でソラの気持ちが『わからない』から半信半疑に成長した。

 ソラはたぶん、気付けていないだけで、アーシャ様のことが好きだ。

 アーシャ様が顔を隠して「まだ一緒にいたい」と言った時、ソラの顔が真っ赤になっていた。あんなの誰だってかわいいと思うだろう。アーシャ様が落としにいってるのかとさえ思った。

 まだ確証は取れてないけど、これからもっとソラと話して、そういう話も無理なくできるようになって、二人の仲を取り持てるように頑張ろう。

 これからも、アーシャ様の恋路を全力で応援しよう。



「ソラってこんなに重かったですっけ。置いてこうかな」

「置いてかないでよ。私変わるよ」

「アーシャ様も疲れてるでしょう?」

「さっき休憩したからもう平気」


 ソラと剣を交換すると、アーシャ様は嬉しそうに笑った。


「ソラ、好きです……」

「練習ですか? ソラが起きたらどうする───」

「俺も……大好きです……」


 寝ぼけたソラに赤面するアーシャ様は、とても可愛らしかった。

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