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短編集

置き去りの墓守

作者: Some/How

置き去りの墓守


これは、遺された猫のお話。

 丘の上、風が草を揺らす静かな墓地。

 そこに、一匹の猫が佇んでいる。

 灰色の毛並みが夜露に濡れ、星明かりを受けて薄く輝いていた。

 この猫にはかつて名前があった。

 しかし、もうその名前を思い出すことはない。

 主人が呼んでくれていた声が遠い記憶の奥に霞んでいる。

 猫がこの墓地に住み着いたのは、主人を失った日からだった。


 主人は病に倒れ、猫を置いて病院へ運ばれていった。

 その時、主人は言った。

 

「すぐに戻るから、いい子で待っていろよ。」

 

 その言葉を信じ、猫は待った。

 しかし、主人は二度と帰ってこなかった。

 やがて家には見知らぬ人々が出入りするようになり、猫は追い出された。


 彷徨い歩いた末にたどり着いたのが、ここ――主人が眠る墓だった。

 猫はそれからずっと、この場所を離れずに暮らしている。


 季節が何度も巡った。

 春には薄紫の花が咲き、夏には墓石が蝉時雨に包まれる。

 秋には落ち葉が墓を彩り、冬には冷たい雪が積もる。

 猫は決して飢え死にすることはなかった。

 墓参りに訪れる人々が、たまに餌を置いていったからだ。

 その中でも、ある初老の女性が特に猫を気にかけてくれていた。

 彼女はかつて主人の隣人だったらしい。

 

「ずっとここにいるんだね……あの人も、きっと安心しているよ。」


 女性は猫の頭をそっと撫でた。

 猫は小さく喉を鳴らした。

 けれども、どんなに優しくしてくれる人間が現れても、猫は墓から離れることはなかった。

 ある夜のこと、猫はいつものように墓石の傍らで眠りに落ちた。

 夢の中で、主人の姿がぼんやりと浮かび上がる。 

 

「よく守っていてくれたな。ありがとう。」

 

 懐かしい声が聞こえた。

 猫は目を覚ましたが、風が静かに草を揺らすばかりだった。

 夢に過ぎなかったのだろうか。

 それでも、猫はどこか満たされた気持ちになった。


 ある日の夕暮れ、猫は少し弱っていた。

 年を重ねたせいだろう。

 身体が思うように動かない。

 女性が墓参りに来て、猫を心配そうに見つめた。


「もうここを離れて、私の家に来ないかい?」

 

 女性の目は優しく潤んでいた。

 だが、猫は答えなかった。

 ただ静かに墓に寄り添い、主人の眠る場所を見つめていた。

 その夜、猫は墓石の上に飛び乗り、低く鳴いた。

 それは、誰にも届かない祈りのようだった。

 

「僕はここにいるよ、いつまでも。」

 

 星が瞬き、風が草を撫でていく。

 それは主人からの返事のように思えた。

 翌朝、女性が再び墓を訪れると、猫は冷たくなっていた。

 まるで静かな眠りに落ちたような姿だった。

 女性はそっと猫を抱き上げ、涙をこぼした。

 

「……よく頑張ったね。」

 

 猫は再び主人の隣で眠ることとなった。

 二つ並んだ墓の前には、草花が優しく揺れている。


 それ以来、丘の墓地には優しい風が絶え間なく吹き渡っているという。

 誰もいない夜には、墓の周りを静かに見守る灰色の猫の姿が、ふと現れることがあるそうだ。

 それは、置き去りにされた猫の魂が、今もなお主人と共にあることを伝えるためなのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
猫とご主人さんとの真の絆を感じます。 そしてお墓を訪れる女性とは、運命が違っていればその方がご主人さんになっていたかもしれませんね。
猫が天国で主人と一緒ならいいなあと思いました。
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