「インセプション」
クリストファー・ノーランの映画「インセプション」も、「クライマックス=葛藤」論でみると納得がいく。
例によってネタバレあり、あらすじ説明なしでいくので、未視聴の方はぜひ一度ご覧になって欲しい。
名作です。
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まず、渡辺謙の誘いに対して、主人公コブは「確証が欲しい」という。
渡辺謙はそれを否定し、言う。
「信じて飛ぶしかない」
これが非日常へのダイブ、物語の本筋への導入となる。
主人公コブの葛藤は「妻の死」と「自分の罪」である。
これを直視できずにいる。
夢の中で、妻の姿を出現させ、いつでも会えるように飼っている。
クライマックスは、妻の死を直視し、受け入れ、決別する。
自分の罪についても見つめ直し、懺悔する。
そして日常に戻る。
新しい自分に。
……果たして、本当にそうだろうか。
自分の罪について、懺悔したくらいで、葛藤を乗り越えたといえるのか?
つまり、まだ逃げている。
コブはまだ、夢の世界に逃げているのではないか?
そう考えると最後のコマは。
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良い物語ほど、登場人物の複数に葛藤があり、主人公だけのドラマにならない。
『プルートゥ』で語りきれなかったことをひとつ。
ロボット側にも葛藤があって、「二度と戦わない」という自動思考を破るが故に、最後死んでしまうのである。
なんとも皮肉で切ないラストである。
「インセプション」では、ターゲットの金持ちボンボン息子に葛藤が設定されている。
というか、この映画自体、物語論の説明すらしている。
ぼっちゃんに葛藤を乗り越えさせること自体がミッションなのだ。
オッペンハイマーで脚光を浴びたキリアン・マーフィーが演じているボンボンは、父との確執に悩んでいる。
欲求不満、愛に飢えている。
そこで悪意をもった渡辺謙らが、愛ゆえにお前が独力で生き抜けると信じている、的なメッセージを父の姿を騙って伝え、父の帝国を息子の手によって滅亡させようとする。
涙が美しいシーンである。
騙されてるけど。
ここで面白いのは、騙す側に一切葛藤がないことだ。
とくにイームスという、父に化けて直接的に詐欺をはたらくキャラクターは、常に飄々としていて、技術として詐欺を淡々とこなすという描写がなされている。
葛藤がないことも個性となりえる。