物語論概要と『プルートゥ』
浦沢直樹の漫画『プルートゥ』の中で、目の見えない音楽家と世話係ロボットの話があって、これがとても良い。
作中でも異彩を放つエピソードであり、ともすると結末よりも印象的だ。
ネタバレを書くので未読の方はここで止まって、是非一読していただきたい。
アニメでもいいので、面白いので是非。
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物語論を最近聞き齧って、なるほどと思った。
それはYouTube、シネマンションという映画好きのためのチャンネルで、脚本のお医者さんという肩書きの方がゲストで登場し、物語の構造について講義をするという内容だった。
日常
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非日常
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日常
物語とは、行って帰る話なのだというのは、聞いたことがあった。
しかし、実はちょっと違う。
日常
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非日常
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新しい日常!
非日常を経験した分、あなたが変わっているはずだ、というのである。
話は、自動思考に関する精神医学的な方向へ進む。
人間は少なからず保守的で、何か出来事が起こった時、経験則に従って同じような行動を取る。恐怖や不安があれば避け、避けるがゆえに、その経験則を強化して、変えられない。
そのサイクルの中で、どこが自動で、どこが選択かという話になる。
出来事は外的なものだ、変えられない。
経験則は記憶だから変えられない。
恐怖や不安という感情も、自動で芽生えるものだから変えられない。
では、避けるか否かは?
行動のみが自分の選択によって変えられるのである。
つまり、嫌だと思ってもやることで、人は自分を変えていく。
ここで物語論に戻る。
日常
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非日常に飛び込むという選択(葛藤)
非日常のなかで大きな壁を乗り越える(葛藤)
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新しい日常
変化は二度ある。
それぞれ葛藤を乗り越えることになり、とくに二回目というか、最大の葛藤については、そこを見せ場にすることで、クライマックスを描くことになる。
『プルートゥ』の例のエピソードについて考える。
盲目の音楽家は孤独を愛している。
誰にも心を開かず、部屋にこもっている。
そこに世話係のロボットが来る。
嫌々ながら受け入れる。
→受け身だが、これが非日常へのダイブにあたる葛藤だろう。
二人の生活。
音楽家は孤独という最大の葛藤と向き合うことになり、苦悩する。
それなりの理由があって孤独という選択していたのだから。
しかし、少しずつ心を開いていく。
そしてついに、ロボットを受け入れる、というクライマックスが来る。
この物語が感動的なのは、残酷にも日常へ戻ってしまうところである。
和解というクライマックスの直後に、ロボットは破壊されてしまう。
音楽家は戻らないロボットの帰りを待つという衝撃的なラストを迎える。
希望にすがった瞬間に取り上げられたような、絶望的な展開である。
だからこそ読者の胸をえぐり、強烈な印象を残すのだろう。
物語論とは眉唾ものだと思っていたが、あながちそうではないし、しかも、この理屈は人生にも応用できそうなものである。
自動思考を理解して、殻を破る。
殻を破るということは、孤独に慣れた音楽家が、世話係ロボットという他者を受容するのと同様、ある種の傷つきを得ることになる。
自分を守るために自動思考で回避していたのだから、防御を下げることになる。
しかし、それが強くなるということだ。
成功ばかりではなく、ダメージこそ重要なのだ。
先のエピソードは、殻を破るという葛藤を乗り越えた、そのすぐあとで、離別という新たな壁、それも強大な壁が立ちはだかる、というラストだから、グッとくるのである。
また乗り越えられるだろうかと。
終わりに見えて、より大きな葛藤が待っている、という構造なのだ。