1話「そういうことである」
その日、私は何の変哲もない社畜生活を送っていた。
いつもと変わらないその日は、ビルの4階に構えたオフィスで寂しく一人残業中。そんな日常。
23時を過ぎてようやく一区切りつき、誰も居ないオフィスで両腕を頭の上に上げて伸びをしながら凝り固まった身体をほぐした。
明日で月末だが、今月はもれなく毎日残業だったなぁ、とどこか他人事のように考える。
もうね、ここまで残業ばかりだと、一周して逆に笑いしか出てこないんだよね。
はは、と乾いた笑いをこぼしながら、私は自分のスマホを取り出し、パスコードを解除してあるアプリを立ち上げた。
その時。
ド、ゴォ!!と耳をつんざくような爆音とも取れる音がやけに近くで聞こえて。
そこで私の意識は真っ暗な闇の中へと落ちていった――。
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まずは自己紹介からさせていただきましょう。
名前は神峰凛、35歳の女。ちなみに結婚していないので独身。婚期?ナニソレ食べれるの?
私はいわゆるヲタクという人種で、アニメ、漫画・小説、コスプレ、ゲームは手広く網羅しており、同人即売会には度々行く。働いて稼いだお金はそれらへと全て投資している、生粋のヲタクだ。
そんな私は隠れヲタクと呼ばれるもので、つまり、自分はヲタクでアニメ・ゲーム大好きコスプレしまっせ!、という事実をプライベートで付き合いのある人たちには頑として隠している。
昔はアニメや漫画好きというだけで白い目で見られていた所為もあって、ヲタクに目覚めてから今までずっと隠れヲタクであり、今後も命をかけて隠し通す所存だ。
そして私が今はまっているのが『乙女ゲーム』である。
ヲタクで女である以上、BLも大好きだ。同人誌・ゲームもっと増えろその為に働いてんだよ、と一息で言い切れる程、男同士の恋愛ゲームも好きではあるが、今はどっちかというと乙女ゲーム推奨期と呼ばれる期間に入っている。
BLを読み漁って読み漁って全然飽きるなんてことないけど、ふいに、猛烈にNL読みたいヤベエ、となるのは普通のことだよね。
とはいえ、乙女ゲームにはまっている理由は私の考え云々ではなく、とにかく面白いゲームであるから、それに尽きる。
ゲームはPCゲームやPSなど種類があるけれど、今私が言っているのはスマートフォンで遊べる乙女ゲーム。
一年前に開発された『毒薔薇の聖女』というタイトルのスマホゲームのレビューは総じて星五つ。アプリダウンロード数や課金数は公開されて二ヶ月目からずっと不動のトップであるらしい。
公式HPに記載されているストーリーはこうだ。
『剣と魔法が存在する世界で、最も歴史が長く、最も国土の広いワイルドローズ王国。
平和だったワイルドローズ王国は、いつからか、黒い靄のような瘴気が発生するようになっていた。
瘴気は、土壌や水を汚し草木を枯らして死の土地へと変えてしまうばかりか、人や動物にも影響を及ぼして全てを死に至らしめるものだった。
瘴気の原因は森の奥に点在して咲く薔薇であり、瘴気を払えるのは聖魔法のみと判明した時にはもう、3割もの国土が瘴気に覆われてしまっていた。
そこで国は年に一度聖魔法を扱えるものを集め、国中を回って瘴気の浄化を行うようになったのである。
ある時、主人公の母親が瘴気に犯され、病に伏した。
母を助けたい一心で、貧乏ゆえに自分の属性を知らぬ主人公は、聖魔法の使い手を募集している隣町へと旅立っていく。
”巡礼”と呼ばれる旅では、聖魔法の使い手を守り手助けをする数人のメンバーと同行することになるのだが、そのメンバーは一筋縄ではいかない人達で……。
はたして主人公は聖魔法を発現させ、母親を、国を救うことができるのか。
瘴気の薔薇に隠された真実と愛を巡る冒険が、今、始まる――。』
大まかに言うと、聖女である主人公がチームを組んで国を回りながら瘴気を発生させる毒薔薇を浄化して国を平和に導くお話、だ。
この乙女ゲームの攻略相手は、言わずもがな、巡礼のチームに加わる男性達である。当然の流れである。
けれど、『毒薔薇の聖女』――通称『毒薔薇』――は乙女ゲームとしてはかなり異例で、主人公が戦ってある程度レベルを上げないと先へ進めず、行く先々やちょっとした道端で出現するモンスターを倒していくバトルも発生するという、いわゆるRPG要素もガッツリあるのだ。
乙女ゲームのステータス画面にはLVだけではなく、HP(体力)、MP(魔力)、ATK(攻撃力)、DEF(防御力)や魔法属性、装備、スキル等という、一見RPGにしか見えない項目ががっつり記載されている。
え、乙女ゲーム(AVG)なの?ロールプレイングゲーム(RPG)なの?と混乱する気持ちはお察ししますが、これに答えはないと思っていただきたい。
世間でも『毒薔薇は乙女ゲーム』派と『毒薔薇はRPG』派に分かれて、熱い論争を繰り広げているらしい。少数派として『毒薔薇は育成ゲーム』派があるのだがそれは一旦置いておく。
ちなみに私は『RPG』派だ。
何故か、なんて簡単なこと。私自身、物語のプロローグである『隣町の聖女イベント』をまだ発生させていないから。
『隣町の聖女イベント』とは、瘴気に倒れた母親を救おうと主人公が隣町で募集している聖女に立候補するというものだ。立候補した者は、聖属性を計測する水晶に手をかざし、巡礼を行なえる人間であるかのテストを受けて、テストに合格すれば晴れて聖女になれて第一話がスタートするのだ。
つまり、私はまだプロローグにすら至っていない、というわけだ。
ただ、プロローグだから始めたばかりなのね、と勘違いしないでほしい。私は毒薔薇暦一年だ。ちなみに、毒薔薇は最近一周年を迎えたばかりである。
そう、先行予約登録までして公開と同時にプレイした私が最初のイベントを発生させていない理由は、『毒薔薇はRPG』派だからである。
何を隠そう『毒薔薇』は、最初のイベントを発生させずともレベルを上げられるし、他の町にも行けるし、"お仕事"と呼ばれるミニゲームも出来るし、ダンジョン攻略も可能。だから、プロローグイベントを発生させず、一年ずっとレベルを上げまくっているというわけ。
人の性格はRPGにおいて顕著に出るものだな、と感じたのがこのゲームだった。
掲示板や攻略サイト等で『主人公はLv.5になれば聖女になれて、全攻略するのは最低Lv.10あれば充分』という情報を持っていたにも関わらず、ビビリな私は狂ったようにバトル等でレベルを上げまくったのだった。否、上げまくってるなう。
石橋を叩いて叩いて叩きまくって、安心だと分かって、それでもずっと叩いているのが私。今のレベルは97だ。頑張った超頑張った。
最初のプロローグイベントを発生させないと本筋である乙女ゲームの別のストーリーイベントも発生しないし、攻略相手に出会うことすらない。ストーリー自体が進まないので、どこに行こうが何をしようが問題ないという素敵な仕様だ。
魔法はイベントを突破して初めて手に出来るという仕組みだったが、魔法取得イベントもまた、プロローグイベントを発生させなくても出来てしまったのだ。『いや、魔法イベ発生するんかーい!』とは在りし日の私のツッコミだ。
後は体力回復や魔力回復のための薬草の栽培や調合、自家栽培した野菜等で料理も作れる。レベル10を超えると魔道具なんてものも作れるようになる。
乙女ゲームらしく衣装が沢山あって着せ替えも楽しめるし、マイルームという自分の家を色んな家具や雑貨でデコれるし、増築も可能。
とにかく、やりこみ要素がありすぎる。乙女ゲームのストーリーを進めなくても全然楽しめるシステムで、ゆえに、私は『毒薔薇はRPG』派なのだ。
どうして乙女ゲームでそこまで作り込んだし、というツッコミは言わない約束である。
え?何故突然自己紹介に交えて『毒薔薇』の話をしだしたかって?
それはね、私が今、多大な違和感を抱えているからなのですよ。
ふーーー、と長い溜息を吐き出して、俯いていた顔をゆっくりと上げれば、違和感、というかありえない光景が目の前に広がっている。
『毒薔薇』でのバトル等のRPG要素では3Dで作れらているためリアリティが高く、そちらの技術面でも高評価を受けていたな、と思い出したのは、今私が現実で眺めている景色こそ、『毒薔薇』で見続けてきた『獣道』と呼ばれる場所だったから。
嘘だと思うなかれ。マジです。嘘だと思いたいけどね!
何度見ても間違いない、そこは『毒薔薇』のバトルフィールドの一つ、『獣道』だ。
というか、私はさっきまで都会のど真ん中の電子に囲まれたオフィスで楽しく社畜をしていたはずである。それが大きな音がして目の前が暗くなって……目を開くと木々が生い茂る獣道だった、ってどういうことだろうか。
トンネルを抜ければ雪国だったというのは理解できるが、これは無理、理解できない。保存の法則って知ってるかな?
夢かな、と思って手を抓ってみたりしたけれど、普通に痛いだけだった。
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス作戦も決行したけれど、20分くらい経って、これだけ沈黙を保つホトトギスであれば鳴かない個体である可能性を考える方が有意義だし、つまりそんなに待ってらんねーよ!ってなったので断念。
違和感はそれだけではない。私の黒髪だ。
黒髪は別に良いんだよ、黒髪はね?私髪を染めてなかったしね?でも私、ショートカットだったからね?なのに、この肩にかかってる髪の束のようなものは何かな?
髪のようなもの、ではない。れっきとした髪だ。だって思いっきり引っ張ったら頭皮に激痛が走って涙が出たもの。ハゲるかと思った。
だから自分の髪なのだと理解したけれど、何故一瞬でそんなにも伸びるのか全然分からない。ただ、自分の髪、と言うにはおこがましい程のツヤツヤでサラサラで絹の様な指通りで、女であれば誰でも一度は憧れる程美しい髪となっている。
鏡がないので自分がどうなっているのか不明だが、悪くなるならまだしも、良くなるのであれば特に問題はないと自分に言い聞かせ、流すことに決めたけれど。
あとは、着ている服が変わっている。私に早着替えの特技なんてなかったと思うんだけどね。
そして身にまとっている服装にも見覚えがあった。察しの良い方はお分かりいただけただろう、そう、『毒薔薇』のとあるダンジョン攻略で手に入る防具である。うん、今絶賛プレイ中だった『毒薔薇』で装備してた服だもん、当然分かるよ。
防具といってもいかついものではなく、そこは乙女ゲームらしさ満載の可愛いデザインのもの。正直に言えば、これ本当に色んなものから私を守ってくれるんでしょうね!?と問いただしたいくらい可愛いガーリー系の服なのだが、『毒薔薇』の世界は魔法の世界だから何らかの防御魔法が付与されているらしい。
更に言えば、私の足元の少し離れた草の上に金属で出来ているだろう細い剣らしき物体が落ちている。
私が目を開けた時知らずに何かを掴んでいて、何を持ってんの?と確認したらレイピアっぽい剣で、めちゃくちゃ驚いて咄嗟に放り投げたから。つまり、私の所為ではある。
いや、気が付いたら何故か剣を握ってたって凄い驚くからね!?
放り投げた剣――ちなみにこの剣も装備していた武器である――をいまだ拾う気にならず、深い、それはそれは深い溜息を吐いた。
急に自己紹介なんてし始めたのは、この現実から全力で目を背けたかったから。
ヲタクゆえ漫画も読めば小説も読む。『そういうこと』が起こる物語はたくさん見てきた。『それ』に気付いた瞬間、情報を脳が処理できなくて熱を出して倒れるなんて話も見たことがあるけれど、健康だけがとりえの私は全然ピンピンしている。
この現実から逃れられるのならば、もういっそのことぶっ倒れたかったよ、と考えるのは仕方ないとしてほしい。
『特殊な設定』の小説を読みながら楽しくて悶えていたのはあくまで空想の産物だったから、だ。いい大人だから、二次元と三次元の区別はしっかり出来ている。
齢35の常識人として決して認めたくないけれど、先程から――体感時間にして2時間程――ちっとも変わらない現実に認めざるを得なかった。
今、私がいるのは、毒薔薇のゲームの世界なのだと。
つまりは、そういうことである。