第47話 勇者の温もり
マガツの放った闇が消え、ブランク帝国に明かりが戻る。
気付けば時刻は7時を回り、茜色だった空には無数の星が散らばっていた。
そんな星々の輝く夜の帳の下、ジェイルはその場に跪いた。
「ア……アア……」
霄啼による七倍の報いを受けたジェイルは、筆舌し難い苦痛から解放された脱力感で、意識を失いかける。
しかし彼女の中に残った未練が、それを許さない。
「どうして……どうして誰も……アタシを……」
魔女狩りが始まった時も、家族が火刑に処された時も、誰も彼女を助けてはくれなかった。
手が痺れるほどに祈りを捧げ、死に物狂いで助けを求めたのに、誰もその願いを受け取らなかった。
神も、勇者も、皆が彼女を見放した。
「…………」
大粒の涙を流し跪くジェイルから、マガツは微かに「寂しい」という感情を読み取った。
彼女もまた周りに恵まれなかった、不運な人間だったのだろう、と。
だが、どんな不幸な人生を送っていようと、彼女がこれまで行ってきた悪業を看過することはできない。
「嬢ちゃ――」
「ジェイル」
声をかけようとマガツが口を開けると同時に、マサキが一歩前に出てジェイルの名を呼んだ。
マサキはゆっくりと、ジェイルに歩み寄る。
「何よ……スラムを焼いたから、アタシを斬るの?」
ジェイルは顔を上げ、マサキに訊ねる。
その顔には先程までなかった深い火傷の痕があり、特に足下は痛ましい状態に変わり果てていた。
女の武器とも言える顔が、深い火傷に侵されている。その無慈悲な炎に焼かれた痕が、魔女狩りの悲惨さを物語る。
「どうしたのマサキ! アンタの剣は悪を斬る剣でしょう? ほら、早く!」
ジェイルは両手を広げながら、マサキの断罪を要求する。
目を見開き、腹の底から叫ぶ。そこに正気なんてものはなかった。
しかし、マサキは剣を握らず、その場に膝を付き――
「すまなかった」
謝りながら、ジェイルを抱きしめた。
まさかの展開に、見守っていたマガツは思わず驚きの声を漏らす。
「おっと……」
そしてジェイルも、マサキの行動に驚き、目を丸くしていた。
そんなジェイルの頭を優しく撫でながら、マサキは言葉を紡ぐ。
「キミの抱えているものを、ボクは気付くことができなかった」
「マサキ、どうして……謝るの?」
「……もっと早く、キミの苦しみを理解していれば、何か変わっていたかもしれないのに。ごめん、ごめん……」
言いながらマサキは、涙を流した。
ジェイルも初めて、マサキの涙を見たのだろう。彼女は驚きながらも、しかし自分の為に泣いてくれるマサキを抱き返して、笑顔を向けた。
「いいの、マサキ? アタシは、アンタを殺そうとしたのよ? ロックだって殺したのよ? なのに――」
「それでも、キミが仲間であることに変わりは無い」
ジェイルの言葉を遮って、マサキは言葉を返す。
その言葉を聞いたジェイルは、ハッと息を呑み、ポロポロと涙を流した。
マサキはそれに気付きながら、言葉を紡ぐ。
「だからボクも、一緒に罪を償う。一緒に地獄にだって行くよ」
ジェイルを強く抱きしめながら、マサキは言う。
「それが――ボクの罪だから……」
告白にも似たマサキの言葉に、ジェイルは静かに笑みを浮かべた。
「本当に罪な男ね、アンタは……。本当に、どうしてそこまで優しいのよ……」
そう言いながらも、ジェイルは確かにマサキの温もりを感じていた。
ずっと求め続けていた救いの手、唯一ジェイルに差し伸べてくれた優しい手。
それこそが、マサキだったのだ、と。
それに気付くと、ジェイルの身体に変化が訪れた。
「っ! ジェイル……!」
なんと足下からゆっくりと塵になり、ゆっくりと身体が消滅していく。
しかしジェイルの表情は穏やかで、今にも眠りにつきそうなほど安らかな笑みを浮かべていた。
「これでいいの。これが、炎の悪魔と契約したアタシの罪。そして、数多くの人間を焼き殺したアタシへの罰」
ゆっくりと身体が崩壊し、塵と化した肉体は風に消えていく。
まるで風に煽られたタバコの煙のように、静かに、物言わぬ灰になって天へ舞う。
「……地獄で、待ってるからね。マサキ」
最期にそう言い残して、ジェイルの頭が塵になる。
やがて風が塵となった彼女を連れ去り、マサキの胸から彼女の温もりが消える。
そして、彼女が被っていた三角帽子がひらりと宙を舞い、地面に落ちる。
「ジェイル……ありがとう」
マサキは形見となった三角帽子に声をかけ、帽子を胸に押し付けて黙祷を捧げる。
その後ろでマガツも胸に手を当て、消えていくジェイルに黙祷を捧げる。
暫くの黙祷の後、マガツは立ち尽くすマサキの肩に手を乗せた。
「嬢ちゃん、安らかに逝ったみてえだな」
「……ああ。キミも、黙祷を捧げてくれてありがとう」
お礼を言うと、マサキは後ろを振り返り、帽子を胸に抱いたまま頭を下げた。
「キミ達のことを疑って、すまなかった。街もこんなに破壊してしまって……」
マサキは今夜起きた出来事を謝った。
まさか素直に謝罪されると思わず、マガツは驚き硬直する。
だが誠実で真っ直ぐとした彼の謝罪を受け入れると、マガツはため息を吐いて笑った。
「全くだ。帝国の命令だか知らんが、いい迷惑だ」
「今回の件は、しっかりと国に伝える。そしてこの失態の埋め合わせは必ず――」
「顔上げろ」
マサキの謝罪を遮り、マガツは呟く。
促されるままにマサキが顔を上げると、マガツはそっと手を差し伸べ、ニヤリと笑った。
「誤解が解けりゃ、もう戦う意味も理由もねぇ。決着はお預けだが、コイツでおあいこにしようぜ」
「……いいのか? こんな簡単に……」
「生憎俺、辛気くさいの嫌いだし。最後は和解の握手で終わりにしようぜ」
飄々とした態度でマガツは言う。
帝国を危機に陥れ、ジェイルの仕業といえ、居住区を焼け野原に変えてしまったというのに。
帝国を統べる主の言葉に、マサキは一瞬思考が停止する。
この男はどこまでふざけているのだろうか。マサキは再び戸惑う。
だが彼の目を見れば、おふざけではないことはすぐに分かった。
誤解が解けた今、敵対する理由はない。そして魔王自ら、敵である勇者に歩み寄ってくれている。
「やれやれ。どんな凶悪な魔王がいるかと思って来てみれば、案外大したことないオッサンだった、か」
「一言余計だなぁお前は」
「でも、そんな魔王がいる異世界ってのも、存外悪くないかもね」
マサキは呆れ笑いながら、マガツに手を差し出した。
しかし次の瞬間、マガツは差し伸べていた手の平を閉じ、チョキを出した。
「……は?」
「いよしっ! これで俺の勝ち! 勝負あったな、勇者君!」
突然のことにマサキはポカンとし、マガツは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。
どうやら握手に見せかけ、マサキをハメたらしい。
してやられたマサキはため息を吐き、
「前言撤回。やっぱりキミはズルい奴だ」
「大人なんて、少しズルいくらいで丁度いいんだぜ」
そう言葉を返しながら、マガツは改めてマサキの手を取った。
「改めて、これでおあいこだ」
こうして、勇者マサキと魔王マガツ、そしてブランク帝国での激闘は両者の握手をもって幕を下ろした。
――――――――――――勇者激闘篇 終幕――――――――――――