第40話 武を極めし龍少女
先程までアルアルと言っていた少女の姿とは打って変わって、ウイロウは功夫の構えを取って見せる。
ラトヌスは第二の刺客に驚きつつも、剣を構えて動きを伺う。
「……テメェ、剣相手に拳で戦う気かァ?」
ラトヌスの得物は剣。対するウイロウに武器はない。
メイド服のスカートにも、大きく実った胸の中にも隠し武器はない。
「オマエみたいな外道、この身一つあれば十分事足りる」
身体こそが最大の武器にして、最大の防御。ウイロウは静かに呼吸を整えながら、ゆっくりと身体を動かす。
そして真っ直ぐと前に突き出した手を内側に向け、人差し指と中指を二回曲げる。
来い、という無言のメッセージである。
「ハッ……舐めんなクソ野郎ァ!」
挑発に乗ったラトヌスは床を蹴り、剣を振り下ろす。
続けて横一閃、下袈裟、もう一度横一閃と攻撃を繰り返す。
しかしウイロウは身体を器用にくねらせ、難なく剣をいなしていく。
「あの動き……噂で聞いたことがある!」
床を蹴り込み、剣が空を割く音が響く中、レイメイは目を丸くしながら呟いた。
「ウイロウ……さん? アナタ、知ってるの?」
声に気付いたセツナは振り返り、レイメイに訊く。
レイメイは「小耳に挟んだ程度だが」と前置きしてから、ウイロウの技について語る。
「ウイロウはかつて東洋の村に住んでいたらしい。その時、東洋の村人からある武術を教わったそうだ」
「ぶじゅつ?」
首を傾げるナユタの言葉に肯き、レイメイは続ける。
「ボク自身、生で見るのは今日が初めてだが、その武術は『流れる動きは蛇の如し、穿つ拳は龍の如し』。その他にも動きはあるようだが……」
そこまで呟き、レイメイは戦う2人へ視線を移す。
ウイロウは慣れた動きで剣を避け、的確に、そして着実にラトヌスの懐へ潜っていく。
その動きは流れる川のようになだらかで、その中を悠々と泳ぐ蛇のように掴み所がない。
(コイツ、何者だ? 全然剣が当たらねェ! オレはイシュラ帝国で最も実力のある剣士ッ! こんな武器も持たねェ女1人にッ!)
ラトヌスはじりじりと接近するウイロウに、恐怖に近い感情を覚え、剣を握る手に力が入る。
今までこの剣は、どんな相手でも叩き斬ってきた。その自信が揺らいでいることを悟り、奥歯を噛みしめる。
その僅かな隙をウイロウは見逃さなかった。
「破ァ!」
懐に潜り込んだウイロウは右手を突き出し、ラトヌスの腹を打つ。
続けて左拳を真っ直ぐに突き、ラトヌスの顎を撃つ。
そのまま身体を回転させ、回し蹴りを繰り出し、最後に後方へ跳躍する。
「覇ッ! 打ッ! 鳳ッ!」
ここまでわずか五秒の出来事である。
「ぐ、ぐぅ……」
「凄い、あんな速さで技を繰り出すなんて……」
「けれど相手はまだ立ってる……どうしようお姉ちゃん……」
刹那の連撃を受けて怯んだラトヌスは、鼻から垂れてくる血を拭い、ウイロウを見上げた。
イシュラ最強の剣士になる道筋の中で、ラトヌスは様々な相手と手合わせしてきた。その中には同じく拳を武器とする武闘家もいた。
しかしウイロウは明らかに違っていた。
動きから気迫まで、一挙手一投足が他の武闘家達を凌駕していた。
「ワタシの武術は『冰龍極正拳』。かつて故郷で学んだ武術をワタシなりに磨き上げて極めた、東洋最強の拳法」
ウイロウは誇らしげに自分の技を語り、再び拳を構える。
それは先程までの構えとは一線を画し、腰の辺りまで両手を引き絞り、拳に力を込める。
まさに武の構えであった。
「この武術を使うと素の凶暴なワタシが出るから、できればあまり使いたくなかった」
彼女の言う通り、普段は頭に花が咲いているのかと思うほどにのほほんとした性格のウイロウが、今では氷のように冷たく冷徹な性格に変わっている。
それは彼女が語った通り、本来の凶暴性を引き出す拳法なのかもしれない。
「だが、オマエはワタシの親友を傷付け、あろうことかお嬢様や罪のない子供を手にかけようとした」
淡々とした口調で言葉を紡ぎながら、ウイロウは更に力を解放させる。
背中から白いオーラが溢れ出し、次第に部屋中が冷気に包まれる。
「レイメイ、寒い。ぎゅって、して」
「お、お嬢様⁉ ……しかしこの冷気、まずいかもしれないぞ」
レイメイは小さな体でシャトラを抱きしめ暖めながら、ウイロウの様子を伺う。
そこに立っていたウイロウは、明らかに様子が違って見えた。
額からは木の枝のような一対の角が浮かび上がり、目は大きく広がって、まるで龍のような禍々しいものに変わる。
目の周りにはヒビや鱗のような紋様が浮かび、それはメイド服の襟の中まで続いている。
「その瞬間既にオマエは――ワタシの“逆鱗”に触れていた」
ウイロウは言い放つと、床を強く蹴りつけて飛び出す。
そのまま空中で華麗な三回転を決め、スカートをなびかせながら蹴りを入れる。
それはまさしく竜巻のように荒々しく、通過した床を氷漬けにする。
「させるかァ!」
しかしラトヌスもやられてばかりではない。
最強の剣士として、勇者の仲間として、そして1人の漢として。全力を振り絞って剣を振り上げた。
間一髪、ウイロウの回転蹴りはラトヌスの剣によって防がれ、ウイロウは大きな隙を晒してしまった。
「…………」
「貰ったァ! まずはテメェの腕を斬り落としてやらァ!」
獣のような雄叫びを挙げ、ラトヌスはウイロウの右脇に目掛けて斬り上げる。
「ウイロウッ!」
「「ウイロウさん!」」
斬られた。レイメイはウイロウの名を叫ぶ。セツナとナユタも叫ぶ。
シャトラは声を出せず、目を強く瞑って俯いた。
だが――
――キィィィィィン……!
力強く鐘を鳴らしたような金属音が、城中に響いてこだまする。
やがて音が勢いを失って無音になると、カツンッ、と上から鉄の塊が降ってきた。
「……な」
「よく響く、いい音色だ。ワタシはあまり好まんがな」
音までも凍てついた空間の中、ラトヌスも凍り付いてしまったように、唖然とした表情を浮かべたまま硬直していた。
無理もない。ウイロウの腕を斬り落としたはずの剣が、呆気なく折れてしまったのだから。
よく見れば剣は霜で白くなっており、刃はまるでスナック菓子のように崩れている。
「嘘だろ……オレの剣が、最高硬度を誇る剣がァ!」
ラトヌスが叫ぶ横で、レイメイは口をあんぐりと開けて呟いた。
「あれは、ヒートショック⁉」
「ひーと? 何、それ?」
聞いたことのない言葉に、ナユタは訊く。
「鉄は急激な温度の変化に弱い物質。ウイロウの能力で冬のように冷え切ったこの環境で剣を無理に振り回したせいで、余計に早く冷え、脆くなったんだ」
剣といえど、それはただの鉄の塊。
ウイロウの能力によって冷え込み、蹴りを受け止めた剣の温度はこの時、マイナスを下回っていた。
そして無理にウイロウへ反撃を仕掛けようとしたことで、急激な温度の変化に耐えきれなくなった剣は、折れてしまったのだ。
余談であるが、かの『タイタニック号』が沈没してしまった原因もまた、この急激な温度の変化によって生じたものだという。
「あ、ああ……頼む、やめてくれ……ほら、オレは武器失っちまったワケだしその――」
混乱したラトヌスは折れた剣を捨て、必死に命乞いをする。
しかし、ウイロウの耳にその言葉が届くことはなかった。
「まだだ。オマエはまだ、デザストちゃんと少年君にした罪を償っていない」
既にラトヌスは、ウイロウの逆鱗に触れてしまった。
龍の怒りは、収ることを知らない。逆鱗に触れた者が、完全に制裁されるまでは。
「や、やめ、やめろォォォォォ!」
ラトヌスの叫びも虚しく、ウイロウは両手を突き出し、ラトヌスを打った。
それだけに終わらず、裏拳、猫手、双掌、骨打と様々な打撃技を打ち込む。
目にも留まらぬ速さで打ち込まれるそれは残像を生み出し、まるで百の腕を持つ神を彷彿とさせる。
「蛇! 豹! 虎! 鶴! 龍!」
龍のかけ声と同時に両脚を開いて回し蹴りを放ち、ラトヌスの足を欠く。
足を取られたラトヌスはバランスを崩してウイロウの前に倒れてくる。
そしてウイロウは呼吸を絞り、
「〈冰龍極正拳奥義・冰核覇廻掌〉ッ!」
叫ぶと同時に氷の魔力を注ぎ込んだ両拳を真っ直ぐ突き、ラトヌスの腹を貫いた。
瞬間、魔力が解放され、ラトヌスの背後に巨大な雪の結晶に似た紋章を展開する。
「が……がはっ……」
ウイロウ渾身の一撃を受けたラトヌスは力なくその場に倒れ、震える顔をゆっくりと上げた。
「まだ息があるか。意外としぶといな」
「きさま……一体、何者……」
「ワタシはブランク帝国メイド長兼ボディガード。そして、氷龍の力を持つ――龍人だ」
冥土の土産を渡すように、ウイロウは冷たい目でラトヌスを見下しながら言った。
龍人。その言葉を耳にした時、ラトヌスは顔を青ざめさせた。
「龍人……嘘だろ……どうして、こんな所に……」
果たしてその視界に映るもの。幻覚だろう、ウイロウの背後に白い鱗を持つ巨大な龍の姿があった。
「イカれてやがる……この国は、イカれてやがる!」
既に彼の体は、ウイロウの激しい連撃と氷魔法で満身創痍になっていた。今にも気絶してしまいそう。
だが、彼の中にある生存本能が、目の前に佇む「死」の気配を感じ取り、僅かに残っていた力を振り絞らせた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ラトヌスは凍った床に足を取られ、血反吐を吐きながら城から逃げ出した。