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第37話 影に呑まれた獣

 

「やっぱり、これしか思いつきませんでした」


 そうマガツに告げるよう言うと、オーマは雄叫びを挙げながら、己の腹に折れた刀を突き刺した。


 刀はズブッと鈍い音を立てて腹に突き刺さり、鍛え上げられた背筋を貫通する。


「負けを認めて自害するか、潔いのは褒めてやろう」


 しかしオーマの背中から噴き出したのは、真っ黒な血だった。


 黒い血はオーマの足下を黒く染め上げ、またそれに呼応するように周囲の影も動き出す。


 そしてそれらは、水底に潜む怪物のように触手を伸ばし、オーマを包み込んだ。


「っ⁉ な、なんだこれは……っ! 影が、動いているッ⁉」


 やがて周囲の影はオーマを中心に収束し、中からオーマが姿を現した。


「…………グォォォォォ」


 全身は影のように黒く染まり、背中は丸く、両腕には奇妙な縦縞模様が浮かび上がり、ゆらゆらと揺れ動く。


 顔に付いていた仮面は外れ、その代わりにねじれた角の生えた黒い影が目元を覆い隠していた。


 その姿はまるで修羅、怒りに我を忘れた獣。影に呑み込まれた猛獣のようだった。


 影の仮面の奥に灯る赤い眼光が見据えるのは、ロックだけではない。


「ニン……ゲン……ニン……ゲン……」


 里を襲い、両親や多くの同胞を殺し、魔族の父である大帝を殺した種族。


 そして今、国民を殺そうと襲いかかってきた勇者――人間全て。


「ヴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」


 オーマは丸まった背中を仰け反らせ、両腕を大きく広げながら叫んだ。


 満月に吠える狼のように。ただ独り、修羅へと身を堕とした人狼のように。


 その波動は凄まじく、街一帯にヒリついた風が流れ込む。


「ぐっ! 何だこの気力……! コイツ、さっきよりもヤバ――」


 ロックは風に押し返され、そこから感じ取ったオーマの殺気に危機感を覚える。


 瞬間、オーマは地面を蹴り込み、ロック目掛けて拳を打ち込んできた。


「遅いッ!」


 ロックは瞬時に拳の動きを予測して首を横に動かして避けた。


 否、避けたはずだった。


「ヴァアアアッ!」


 間一髪で避けたはずが、拳はロックのこめかみに当たった。


 しかも拳が直撃した瞬間、刃が当たったような鋭い痛みが襲いかかる。


「くっ、何だコイツ……!」


(動きが速い……ッ! それにさっき奴の攻撃を確かに読んだッ! なのに何故――!)


 考えながら、ロックはオーマを分析する。


 だがそんな暇も与えず、オーマの猛攻は続く。


 動きはどれも野性的で掴み所がなく、また軌道も読めない。


(コイツの腕、オレ様の目測以上に伸びてやがるッ! それに打撃だけじゃないッ!)


 激しい連撃を与えるとオーマは一度攻撃の手を止め、両手を振り下ろした。


 すると両手の指が鋭い刃に変形した。


 オーマはそのまま右手を振り払い、隣の民家へ横一閃に凪ぐ。


 次の瞬間、民家の腹に五本の線が入り、ゆっくりと崩れ落ちた。


 隙間一つなく組み上げられた民家が、まるで包丁を入れられた豆腐のように、一瞬にして瓦礫と化す。


「グォォォォ……」


 よく見れば爪も影のような漆黒に染まり、刃先には日本刀特有の波の紋様が刻み込まれていた。


 その切れ味も然る事ながら、まさに猛獣に相応しき恐ろしい武器そのものだった。


「成程、武術と剣術を一つに組み合わせたってワケか……!」


 ロックはこめかみから溢れ出る血を拭い、オーマを睨む。


 たとえどのような奇っ怪な術を使われようと、イシュラ最強の戦士は負けない。


 それは彼の漢としての意志なのか、追い詰められた所から来る焦りなのか、それは分からない。


 だが、分かることはただ一つ。


「面白ぇ! 第二ラウンド開始だァァァァァ!」


 ただ目の前に立ちはだかる強者を倒したい。そしてオーマの持つ“武士”の称号を我が物にしたい。


 たったそれだけ、しかしそれだけの想いを胸にロックは果敢と拳を振り上げた。


「グァァァァァ!」


 オーマも雄叫びを挙げ、ロックに襲いかかる。


 それからの闘いは苛烈を極めた。


 ロックは何度もオーマの攻撃を擦り受けながら、確実に拳を打ち込む。


 オーマもまた、ロックの拳をその身に受けながら、昂ぶる意志のままに暴れ、ロックを追い詰める。


 両者とも血を噴き散らし、全身を壁や地面に打ち付け、血みどろの闘いを続ける。


「ウォアアアアアアアアアアアアアッ!」


 そして、オーマの激しい一撃が、ロックの腹に命中した。


 それはたった一発だったが、今までのどの攻撃よりも重く、鋭いものだった。


 衝撃が全身を駆け巡り、一瞬呼吸が止まる。


 そしてロックの体はくの字に曲がりながら吹っ飛び、民家の壁に激突した。


 壁はガラガラと崩れ落ち、砂埃を撒き散らす。


 その砂埃の中から、ロックは瞳孔を震わせながらオーマを見上げた。


「こ……これが魔族って奴か……ッ!」


 胴体を守っていた鋼鉄のアーマーはまるで絹で作られた服のように引き裂かれ、腹には五本の刀が突き刺さったような鋭い傷跡が残っている。


 殴られた衝撃で、何本か骨も折れただろう。それはオーマも同じ。


 しかしロックの向こうにいるオーマは、満身創痍だと言うにも拘わらず、まだ立っている。


「グジュルルルルル……」


 理性も見境もなく、真っ赤に燃える眼光はロックを狙う。


 その瞬間悪寒が走り、ロックは背筋が凍り付くのを感じた。


(アイツはヤバい、化け物だ。あの目も普通じゃあない、奴は、奴は――)


 狩人。狙った獲物は確実に仕留める、自然界の強者の目。


 ひたすらに、目に映る獲物(にんげん)を狩る。


 そこに意味も理由もない。


 闘争心に飢えた狼のように、武士の奥底に眠る本能のように、獲物を狩る。


 ロックはオーマの目を見ただけで、すぐにそれを理解した。


(殺される……こんなの、戦っていい相手じゃあねえ……ッ!)


 戦士だからこそ、同じ武人だからこそ分かる相手の感情。


 その感情は、吐き気を催すほどにドス黒く、それ故に分かりやすい。


 人間を恨み、怒り狂う獣。まさしくそれは――修羅。


 オーマはロックにトドメを刺すべく、一歩ずつ歩み寄る。


 その一歩一歩が死へのカウントダウンのように感じた。


「く、来るな……! 来るなァァァァァァ!」


 気付けばロックは、悲鳴を挙げていた。


 戦士としての誇りを捨て、無駄だと分かりながら、壁に向かって後ずさる。


 しかしオーマは止まらない。


 入れ墨のように纏わり付いた影を両手に集中させ、巨大な狼の腕へと変化させる。


 そして――


「〈逢魔影流(おうまかげりゅう)〉……」


「や、やめろォォォォォ!」


 ロックは悲鳴を挙げる。だがオーマは無慈悲に両手を突き上げた。


「〈影狼魔爪(かげろうまそう)〉!」


 瞬間、オーマの腕から伸びた影の爪が、地面を抉りながら襲いかかる。


 そして壁ごとロックを吹き飛ばし、その衝撃で周囲の建築物は崩れ落ちた。


 後に残るのは瓦礫の山と、満身創痍の戦士だったものだけ。


 辺りは血の海となり、その中心に佇む者は獣の唸り声をあげる。


「ア、アァァァァ……」


 最早そこに、愉快なアヤカシ族の青年・オーマの姿はどこにもなかった。


 それはただの修羅。人間を狩り、ただ本能のままに殺すだけの獣である。


 オーマは倒れたロックの頭を掴み、フラフラとおぼつかない足取りで歩み出す。


「父上ぇぇぇ……母上ぇぇぇ……大、帝ぇぇぇ……」


 向かう先はマガツとマサキが戦う路地。


 とどのつまり、獲物の集まる格好の狩り場。


 影の力に取り込まれ、五感を強く研ぎ澄まされたオーマには、彼らがどこにいるのかお見通しだった。


「ニン……ゲン……」


 修羅は歩む。魔族達の縄張りに踏み入った、愚かな人間を狩るために。


 そしてそこには、マガツも含まれていた。


 しかし今のオーマには、善悪を判断する余裕はなかった。


「ニンゲンは……皆……殺し……だ……」


 最早、修羅の獣と化したオーマを止められる者は誰もいない。


 避難していた魔族達は、過ぎ去った脅威に安堵しながらも、修羅へと堕ちたオーマに恐怖心を抱いていた。


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