第34話 燃え盛る悪夢
「デザストお前、夢の中に入るって……」
この子の夢の中に入る。一向に目覚めない少年の謎を前に足踏みを喰らっていたマガツ達に、デザストは確かにそう言い放った。
しかし夢は出入りすることのできない、謂わばその人間だけの絶対領域。
「そんなバカな、夢の中に入ることなんてできるワケがない!」
レイメイでさえ、にわかに信じ難いと反論する。
だがデザストは首を横に振り、自信満々に言葉を返す。
「サキュバス族には、対象の夢を介する能力がありますのよ」
その言葉に、嘘や偽りなんてものはなかった。目は真っ直ぐ少年を見つめ、瞳孔も泳いでいない。
「もっとも、人様の夢を覗く趣味はないので、使う場面のない能力ですけれど」
言いながらデザストはじっ、とマガツに視線を向ける。
「何で俺の方見るの?」
「別に? マガツ様は邪な夢を見ていそうだな、と思っただけですわ、まる」
口で句読点を付け、デザストは自信ありげに少年へと視線を戻す。
デザストの言葉を信じ、セツナとナユタは真剣な表情を浮かべて、頭を下げた。
「お願いします! どうか、どうかこの子を救ってください!」
「ナユタからも、お願い! この子だけでも救わないと、ダメなの……」
二人の言葉は、切実な願いだった。
そしてうなされている少年の夢の中に、彼女達が抱えているモノの正体が隠されている。
デザストは彼女の頬を撫で、優しい表情を向けて言った。
「大丈夫ですわ。私が必ず救いますわ」
言うとデザストは立ち上がり、少年の頬に優しく手を置いた。
「デザスト、本当に出来るのか?」
「まあ見ていてくださいまし。私、嘘は吐きませんもの」
再び自信満々に答えながら、デザストは手に魔力を集中させる。
するとどういうワケか、少年の頭から煙のようなものが立ち上った。
それは少年の頭上に集まり、羊雲のように大きく育っていく。
「す、凄い……まさかデザストにこんな能力があっただなんて……」
「レイメイも、初めて見るのか?」
「何しろ、ボクが大帝に拾われた時から彼女はここにいる。それにデザストは、あまり昔話をしない」
未だにサキュバス族の生態について、分からないことだらけだ。
レイメイは興味深そうにデザストの能力を観察し、じっくりとその様子をメモに書き記す。
そうして少年の頭上に現われた羊雲はやがて人1人入れる程巨大化し、そこにうっすらと映像のようなものが映し出された。
「……っ! こ、これは……!」
果たしてそこに映っていたのは、真っ赤に燃え盛る街の景色だった。
大規模災害だろうか、家と思しきものは炎の渦に飲み込まれ、住民達は煤にまみれながら逃げ惑っている。
「ひっ……!」
更に、その景色を見たセツナとナユタは、あまりの恐怖に身を寄せ合って縮こまる。
まさに異様な光景だった。マガツはその様子を、ただじっと見守ることしかできなかった。
「……それじゃあ私は、行って来ますわ」
静寂を破り、デザストは羊雲の中に消えていく。
***
少年の夢の中に入って早速、デザストは目の前に広がる惨状に言葉を失った。
業火は街全体にまで広がり、住民達の痛々しい悲鳴がそこら中から聞こえてくる。
更にその頭上で、暗がりでよく見えないが、炎魔法を連発する三角帽子の“魔女”の姿があった。
『アハハハハ、ほら逃げろ逃げろ! 焼け死にたくなきゃ必死に逃げなさい!』
魔女は逃げ惑う住民に目掛け、無慈悲に炎魔法を放ち、狂気に満ちた笑い声を上げる。
その度に街の炎は強くなり、住民の悲鳴もより悲惨なものに変わっていく。
「な、何ですのこれは……」
夢は人間の記憶より生まれるもの。まして幼い少年の記憶ともなれば、曖昧な部分も多くなる。
それ故に、夢から得られる情報は不確定なものが多い。
だが、焼け落ちる街や人の焼ける臭いなど、それらはまるで本物のように鮮明に再現されていた。
そして嫌というほど、その世界は重苦しい“恐怖心”で満たされていた。
「とにかく、あの子を見つけないと」
それでもデザストは街の中を進み、少年を探す。
しかしどこを探しても、一向に景色は変わらない。
魔女の猛攻撃が絶えず、その度に街が崩壊していく。
その恐怖に、デザストもまた息苦しさを覚える。
(まずいですわ……。この嫌な感じ、本当に気が狂ってしまいそう……)
早く見つけなければ、自分の身も危ない。デザストは深呼吸をして、少年を探す。
そうして、どこからともなく声が聞こえてきた。
「お母さん! 嫌だ、死んじゃ嫌だよ!」
必死に叫ぶ少年の声。振り返るとそこには、瓦礫に挟まれた住民の姿があった。
挟まれているのは少年の母親だろうか。身体が瓦礫に押しつぶされ、身動き一つ取れそうにない。
少年は非力ながらも、母親の身体にのし掛かった瓦礫を退かそうと奮闘している。
その少年こそ、セツナとナユタが連れてきた少年だった。
「あの子……」
しかしデザストは少年の姿を見守っていた。
否、見守ることしかできなかった。
(これはあの子の“記憶”の世界。私が干渉しても、結果は何も変わらない……)
たとえ助けたとしても、母親が生き返ることはない。
それどころか、母親はどの道死ぬ運命にある。
たとえば録画されたビデオの内容を変えられないように、「母を助けた」と記憶を改ざんしたところで、現実では何も変わらない。
彼女にできることは、ただ少年の抱いた恐怖の記憶を受け止めること。ただ一つ。
何もできない非力さに、デザストは拳を握り込む。
するとその時、少年の前にフードを被った二人の少女が現われた。後の、セツナとナユタだ。
少女達に気付いた母親は、通りがかった二人に声をかけた。
「そ、そこの方! お願いします、この子を……」
この子をお願いします。人生最後のお願いだっただろう。
しかしその言葉を遮るように、魔女の火球が瓦礫の山に直撃する。
「うわっ! あ、ああ……」
幸いにも、双子と少年は衝撃で吹き飛ばされ、無事だった。
だが瓦礫に押しつぶされていた母親は……
「お母さん! お母さん!」
少年は叫ぶ。しかし返事が返ってくることはない。
セツナとナユタは歯を食い縛りながら、少年の手を引いた。
「ごめん、ごめんね……」
「私達が、必ず……!」
二人は涙を溢し、少年をおんぶしながら街を駆け抜ける。
その背中の中で、少年は気絶するように目を瞑る。そこで突然目の前が真っ暗になり、夢が終わった。
***
「…………」
気が付いた頃には、デザストは元の病室に戻っていた。
周りにはデザストを心配したマガツ達が集まっており、様子を伺っている。
「デザスト、大丈夫か?」
マガツが声をかけると、すぐにデザストは元の場所に戻ってきたことに気が付いた。
そして何かが頬を伝う。目元を優しく拭い、それが涙であることに気付く。
「デザスト? お前、泣いて……」
「うるさいですわ! 別に泣いてなんか」
強がりながら、デザストは涙を拭う。
そして少年を振り返ると、彼もまた大粒の涙を流して「お母さん」とうわ言を呟いていた。
「デザスト、一体夢の中で何があったんだ?」
「……この子、目の前で母親を喪ったみたい」
レイメイの問いに、デザストは呟くように答える。
その言葉に、マガツ達は息を呑んだ。
「母親を……あの大火災の中で……」
マガツは思わず声を漏らす。デザストは強張った表情で、こくりと小さく肯いた。
その肯きで、マガツはイシュラ帝国への怒りを募らせた。
どんな事情があれど、少なくとも被害者達が殺される道理はない。
だのに、何の罪もない人々が殺された。そして少年は、目の前で大切なものを奪われた。
「どうして、こんなことができるんだ……」
マガツは同じ人間として、理解できなかった。
「しかしこれで、大体のことは分かりましたわ」
言うとデザストは立ち上がり、眠る少年の体を抱き上げた。
苦しそうな寝顔に心を痛めながらも、デザストは優しく語りかけるように続ける。
「私も、かつて人の手により故郷を失い、孤独な日々を生きてきました」
少年の頭を優しく撫で、言葉を紡ぐ。その表情はとても優しく、まるで我が子を愛する母親のようにも見えた。
「その時、私を受け入れてくれたのは大帝様でした。ならば今回はきっと、私たちの番ですわ」
するとデザストは少年を抱きしめ、小さな頭を撫でた。
「もう大丈夫ですわ。私達が必ず、幸せにしてあげますから」
気休めと言えばそれまでだ。だがしかし、デザストの心に偽りなどなかった。
憎き大帝の仇――勇者と同じ人間だとしても。
幼い少年に罪などない。
そうしてかつて、大帝がデザストを救ったように。今度は彼女が、少年を助ける番だと。
するとその時だった。
「う、うう……」
ずっとうなされていた少年が、目を開いた。
「あれ……お姉さん……」
「何、目を覚ました……⁉」
いの1番に驚いたレイメイは、手にしていたメモ帳を落とし、口をあんぐりと開ける。
その横で、不安感に押しつぶされそうになっていたセツナとナユタは、明るい笑顔で少年の目覚めを喜んだ。
「もう大丈夫だからね、ボク」
「……暖かい。こんなに暖かいの、久しぶりかも」
少年はデザストに怯えるでもなく、安心感に浸るように彼女を抱き返す。
その様子は本当の親子のようで、何故かマガツの心も暖かくなった気がした。
――最悪の報せが来るまでは。
「マガツ殿!」
瞬間、空気を引き裂くように病室の扉が開き、オーマが飛び出してきた。
その横には、怪我人を担いだ桃髪のメイド――ウイロウもいる。
「仮面クン⁉ それにウイロウまで、一体外で何が⁉」
慌てて怪我人のもとに駆け寄ったレイメイは、二人に訊ねる。
するとあたふたして声を出せずにいるオーマに代り、ウイロウが答えた。
「緊急事態ネ! 南の門から、またヤツらが――」
「勇者が現われたアル!」