第33話 ブランク帝国に来た理由
「とまあ色々あって、この子らは俺の僕になりたいそうだ」
病床で復活したオオカミ耳とネコ耳の少女達を何とか餌付け……もとい沈静化して。
未だ困惑を隠せないまま、病室に様子を見に来たデザストに一連の事情を説明する。
少女達は屋台の料理を食べたことで元気を取り戻し、ベッドに二人仲良く座っている。
「しもべって、外界から来た者達をそう易々と……」
「けどデザスト、お姉ちゃん達すごい痩せてるなの。シャトラ、心配」
シャトラが言う通り、少女達は異常なほどに痩せていた。
頬は痩せこけ、腕や脚も殆ど骨と皮だけのようになっている。
その容姿は見ているだけでも痛々しく、心配の感情が勝る。それはデザストもまた同じだった。
「そもそも貴方達は、どこから来たのですか?」
しかし余所の国から来た人物であることもまた事実。デザストは少女達に訊く。
だが少女達は怯えているのか、答えようと口を開いては、静かに吐息を漏らして口を閉ざす。
そんなことが一分ほど経過してから、オオカミ耳の少女が答えた。
「イシュラ……帝国」
イシュラ帝国。その名を耳にしたデザストは「まさか」と息を呑んだ。
「デザスト、知ってるのか?」
「知っているも何も、この大陸にある4大国の一つですわよ?」
「えーっと確か、ヨルズとか何とかって……」
デザストの冷たい視線に充てられ、マガツは勉強したての国の名前を挙げていく。
が、出てくるのはヨルズの名のみ。あまりの勉強不足に、デザストも思わず気絶しそうになる。
「ヨルズ、イシュラ、リーガン、フォードレイス。そしてその大陸の中心部に位置するのがここ、ブランク帝国ですわ」
「そうそう、これは常識なの」
「常識なの、と言われましても……」
異世界人の俺に、異世界の地理のことを申されても分かりません。
……と言おうものなら、デザストの重い一撃を受けてしまうだろう。
マガツはそっと喉元までこみ上げていた言葉を飲み込んで、話を戻す。
「それで、イシュラ帝国が何だって?」
「勇者の召喚に成功した……。前にそう、偵察隊の者から伺いましたわ」
「勇者だって……⁉」
「ですが大帝の命を奪った勇者はフォードレイスの勇者。別人かと思われますが」
それでも勇者のいる国であることに変わりは無い。
デザストはその脅威に、この上ないほどの恐怖心を抱いていた。
だが無理もないことだった。
どこの勇者であれど、一度帝国を滅亡寸前まで追い込まれ、長年慕い続けていた大帝の命を奪われてしまったのだ。
それどころか、何一つ手助けをすることもできず、大帝がただやられていく様を見ていることしかできなかった。
デザストはぐっと拳を握り、唇を噛みしめる。
「デザスト……」
心配そうに、シャトラが声をかける。だが、デザストは返事をしなかった。
「とにかく」
と、マガツはそこで手を叩き、改めて姉妹に訊ねた。
「君達はどうして、ブランク帝国に?」
訊くと姉妹は黙り込み、俯いてからゆっくりと答えた。
「……逃げて来た」
「わたし達の居場所、どこにもないから……」
姉と妹、二人でそれぞれ答えを挙げる。
「居場所がなくて、逃げてきた?」
意味は分からなくもないが、しかしそれだけの情報量では話が見えて来ない。
マガツは意味が分からず、首を大きく傾げる。
「えーっと、居場所がないと言うのは、どういう意味ですの?」
続けて、今度はデザストが訊く。
その問いには、オオカミ耳の少女――姉が答えようとした。
「スラムに炎が――」
しかしその言葉を遮るようにして、ネコ耳の少女――妹が頭を抱えて叫んだ。
「嫌ァァァァァーーーーーーーーーーッ!」
絹を裂くような凄まじい悲鳴に、マガツ達も驚き硬直する。
そして、妹の悲鳴に気付いたのか、外で待機していたレイメイが病室に飛び込んで来た。
「どうした! 何があった!」
「レイメイ、突然ネコのお姉ちゃんが……」
シャトラの説明を聞き事情をある程度察したレイメイは、早速妹の背中をさすりながら様子を伺った。
何を言うでもなく、優しく背中をさすりながら妹の顔を覗き込む。
そして一通り観察を終えると、マガツ達に告げた。
「虚ろで震える瞳孔、尋常じゃない鳥肌に震え。間違いなくこれは、トラウマの症状だ」
「トラと、お馬さん? どういう意味なの?」
「心の大怪我みたいなものだ。思い出すのも嫌なくらい、痛くて苦しい思いをしたらなっちまう」
シャトラに教えるように、マガツは続ける。
「ごめんね君達、無理に嫌なこと思い出させちまって」
「そんな。私は全然――」
「いいや、キミも同じだよ」
姉の言葉を遮り、レイメイは静かにそう告げた。
彼の言う通り、姉もまた目は虚ろで、小刻みではあるが震えている。
「……ええ、そうよ。私も、とても怖かった」
姉は震える右腕に手を添えながら、観念したように語った。
「けれど私は、この子のお姉ちゃんだから。それに……」
言って、姉は奥のベッドで眠る少年を見る。
重い風邪のせいで体は赤く、苦しそうにうなされている。姉妹が一緒に連れてきた、人間の少年。
「あの子をお願いって、託されたから」
強く決意したように、姉は右手を強く握りしめる。だがそれでも、体の震えは治まることを知らなかった。
姉として、妹と少年を守りたい。
姉だからこそ、妹と少年を守らなければいけない。
「だから私は、強くないといけない。妹も、あの子も守れるくらい、強くないと」
「……わ、わたしも……。お姉ちゃんにばかり、無理はさせたくない……」
姉に続いて、妹も勇気を振り絞って声を出した。
その向かう心意気は同じく、姉妹と少年にあった。
「そうか。よし、わかった!」
「マガツ、何がわかったんだ?」
きょとんとするレイメイに告げるように、そして姉妹の心意気に応えるように、マガツは告げた。
「事情は何だっていい! 今日からお前達二人は、このブランク帝国の国民になれ!」
その言葉に、姉妹は思わず驚いて顔を上げた。
マガツの独断で決めたこと。だがその決定に、異議を唱える者はいなかった。
デザストもシャトラも、そしてレイメイも同じ意見だった。
「本当に……? 私たちみたいな余所者を……」
「こんな簡単に、受け入れちゃうの……?」
姉妹は戸惑いを隠しきれず、お互いの顔を見合わせながら言う。
「まあ、マガツ様が面倒を見るのであれば、私は何も言いますまい」
「シャトラも、歓迎するなの」
「ウチの侍女も王女様もこう言ってるし、遠慮はいらねえよ」
マガツは最後にそう締めくくりながら、ニヤリと笑みを浮かべて名乗った。
「俺はマガツ=V=ブランク。この国の魔王だ! んで金髪の露出狂が侍女のデザストで、金髪のちびっ子の方が王女のシャトラ。それと青髪白衣のちんちくりんが、ウチの名医・天才のレイメイだ」
「ちょっと! 誰が露出狂ですって!」
「シャトラはちびっ子じゃないなの。まだ成長途中なの」
「ボクは天才じゃなく、“天っ才”だ!」
所々から異議を申し立てる声が聞こえてくる。そんな騒がしい日常の一コマに、姉妹はクスリと笑った。
気付けば震えも止まっており、少しばかり表情も穏やかになっている気もする。
「それで君達は?」
そう話題を振るが、しかし少女達は無言のまま固まってしまった。
「名前……わたし達の名前?」
「そうね。『おい』とか『お前』、『イヌ野郎』とか?」
「わたしは『ネコ野郎』かな?」
きょとんとした顔で出て来たのは、可愛らしくもない、奴隷時代の酷い呼び名ばかりだった。
「マガツ様、これは多分……」
「ええ? イムリンの時にやったのに、もっかいやるの⁉」
「そうでもしないと、この子らの価値観に従ったら本当に『おい』と『お前』になるぞ?」
流石に大事な名前。これにはレイメイも横から口を出した。
「じゃ、じゃあ今日からそうだな……」
再び名付けることになり頭を悩ませながら、マガツはまず姉――オオカミ耳の少女を向いて告げる。
「キミは、冷静で動きも素早いから……『セツナ』だ」
「セツナ……?」
続けて妹――ネコ耳の少女を向いて、告げる。
「キミは、今よりももっと伸び伸びと自主的な子にもなって欲しいから……『ナユタ』なんてどうかな?」
「ナユタ……!」
後は二人がそれを気に入ってくれるかどうか。マガツは固唾を呑んで、二人の反応を伺う。
「いい……。セツナ、私はセツナ……すごくいい!」
「ナユタ……わたしの名前はナユタ……うん、なんかしっくりくる!」
セツナとナユタ、二人は互いに顔を見合わせ、
「ナユタ!」
「セツナお姉ちゃん!」
お互いの名前を言って抱きしめる。
「あらまあ、気に入ったみたいですわよ? マガツ様」
「しっかし、名付けって結構責任重大だからこれ以上はもう勘弁な?」
静かに呟きつつも、マガツは嬉しそうに抱き合うセツナとナユタの姿を見守る。
だがそんな安息の時間もすぐに過ぎ、奥のベッドから大きな悲鳴が聞こえてきた。
「うわああああああああああああああああああ!」
その声に驚き、皆がベッドを振り返る。
高熱でうなされている少年の声だった。セツナとナユタはすぐに離れ、急いで少年のもとへと向かう。
「あ、おい! キミ達!」
その後を追って、レイメイを筆頭にマガツ達もすぐに向かう。
少年の容態は悪化しているのか、呼吸は激しく、額には大量の汗をかいている。
更に耳を傾けてみると、
「お母さん……お母さん……」
うわ言を呟いては、無意識に両腕を上げる。
まるで、何か遠くにあるものへ必死に手を伸ばしているように。しかし、その“遠くにあるもの”を掴むことはできない。
「大丈夫よ、大丈夫だから……! お願い、落ち着いて……!」
セツナは少年の手を握り、必死に声をかける。
ナユタはそれを後ろでただ見守るだけで、何も出来ずにいた。
「お姉ちゃん……」
そして駆けつけたレイメイは早速、少年の様子を見てすぐに言った。
「この子は……悪夢を見ている。それも、酷いトラウマを抱えている……」
「トラウマ? それって、さっきの……」
シャトラはすぐにマガツから教わったことを思い出し、少年を心配する。
だがその心配に追い打ちをかけるように、レイメイは続けた。
「この悪夢……最悪、この子が二度と目覚めなくなってしまうかもしれない!」
「目覚めなく……⁉ それは本当か⁉」
「ああ。このままでは心が壊れ、悲惨な現実から心を閉ざすように、永遠に夢の世界に閉じこもってしまう」
緊迫とした様子で、レイメイは続けてそう言った。
それもそのはず。セツナとナユタ、そしてこの少年では年齢が違う。
トラウマになるような出来事があった場合、幼ければ幼いほど、その心のキズはより深いものになる。
しかしどうしようと、マガツ達にそれを治療する技術はなかった。
(くそっ……。折角セツナとナユタが命懸けでここまで連れてきたってのに、何もできないのかよ……!)
その悔しさは、レイメイも同じだった。
天才である筈なのに、夢から連れ出すことができない。
それは完璧主義なレイメイにとって、最大の苦難とも言えた。
だがその時、一筋の光が差し込んだ。
「それなら――」
透き通るような声に、一同は振り返る。
果たしてその声の主は、デザストだった。
「この私デザストが、この子の夢の中に入りますわ」