第32話 ケモミミシスターズ
突然ブランク帝国に訪問してきた少女達を担ぎ、マガツはオーマの後を追うようにして城へと戻った。
城下町ではアヤカシ族のオヤジ達が店を引き継いでくれたのか、今も外から祭り囃子が聞こえてくる。
そんな楽しげな音を背景に、マガツは不安げな表情を浮かべていた。
「……どうだレイメイ、まさか死んじゃあ、ねえよな?」
「安心しろ、長旅の疲れと昨日の大嵐で風邪を引いただけだ」
耳から聴診器を外しながら、レイメイは静かに診察結果を告げた。その結果に、マガツはホッと胸をなで下ろす。
「ただ、ギリギリだった」
「えっ?」
「あと数十分でも処置が遅れていれば、彼らは死んでいたよ」
レイメイはサラッと息を吐くように告げ、「君の迅速な判断のお陰だ」とグーサインを送る。
マガツ自身、取り乱したとはいえ少女達の病状から「一大事」であることはすぐに理解できた。
何より少女達の年齢は15歳前後か。少年に至っては7歳くらい。
ウイルスに対する免疫力が弱い少年にとって、大嵐と長旅の疲れは最大の敵。
レイメイの言うとおり、少しでも処置が遅れたら最後、小さな命の灯火は消えていた。
「彼女達には極力苦みを抑えた解熱剤を飲ませ、栄養剤も点滴してある。あと数時間もすれば、すぐに目覚めるだろう」
「ありがとうな、レイメイ。突然こんなことに付き合わせて……」
「べべ、別に、今回は偶々お前が深刻そうな顔して患者連れ込んできたから処置しただけだ。次はないからな!」
「突然のツンデレ⁉」
言うとレイメイは、ぷっくりと頬を膨らませて顔を逸らした。その頬は真っ赤に染まり、額からは蒸気のようなものまで上がっている。
「しかし、ケモミミ族など初めて見た。噂に聞いていたが、本当に動物の耳が生えているんだな」
「そういえばデザストも言ってたが、ケモミミ族って何なんだ?」
ケモミミ族。その言葉に引っかかりを覚えていたマガツは、早速レイメイに訊いた。
するとレイメイは本棚の方へと走って行き、何やら古い文献のようなものを持って戻って来た。
「ケモミミ族とは、人間であり人間ではない、動物であり動物ではない、いわゆる人間と動物の中間にいるヒトの亜種だ」
そう言って突きつけたページには、人間とオオカミに挟まれた、ケモミミ族のイメージ図が載っていた。
図に描かれた人間には少女と同じく、オオカミのような耳を携えている。
「そして、かつて先代、ブランク大帝が保護しようとしたが、できなかった種族だ」
「できなかったって、拒否されたのか? ケモミミ族に?」
「いいや、ケモミミ族は人間の所有物になった」
首を横に振り、レイメイは苦虫を噛み潰したような表情で言葉を紡いだ。
「ケモミミ族は人間の亜種。つまり人でも魔族でもない、中途半端な存在。ニンゲン共はそれを、自分たちより下の存在とした」
「下……? じゃあ、まさか……」
「ああ。ケモミミ族は過去の大戦のいざこざに呑まれ、ニンゲン共の奴隷にされた」
奴隷。その言葉を聞いた瞬間、マガツの背中から赤黒い霧のようなものが現われた。
握り込んだ拳は怒りに震え、ブルブルと小刻みに震える。
だが、レイメイはマガツの怒りに怯えることなく、震える拳にそっと手を添えた。
「気持ちは分かる、だが落ち着け。今それを考えても、どうにもならない」
「レイメイ……」
「患者の面倒はボクが見る。起きたらすぐに連絡をするよ」
レイメイは冷静に言って、マガツの顔を見上げると、後は任せろと言わんばかりに自信に満ちた笑顔を見せた。
才能も実力もあるレイメイだが、こういった時だけは子供のようで可愛らしい。と、マガツも微笑み返す。
「ところで、仮面クンと侍女はどうしたんだ?」
「アイツらなら、先に外の出店に戻った。俺もそろそろ戻る、後でレイメイ達にもお裾分けしに行くから」
「悪いね、ボクのワガママで手間かけさせ――」
刹那、マガツとレイメイの間を何かが通り抜けた。
一瞬何が起きたのか理解出来ず、二人は石像のように硬直する。そんな石のように硬くなった首をゆっくりと回転させて、壁を見る。
そこには、美しいまで真っ直ぐに突き刺さったメスがあった。刃先を壁にめり込ませ、傾き一つなく垂直に突き刺さっていた。
今度はメスが投げられた方へとゆっくり視線を向ける。すると今度は、
「ジバニャ!」
これまた美しいほど真っ直ぐに、点滴スタンドが飛び込んできた。マガツはそれを避けきれず、顔面でそれを食らった。
「マガツ!」
「大丈夫、まだ顔はある……けど、何が……」
顔を抑えながらゆっくりと起き上がる。果たしてそこには、目を覚ましたケモミミの少女が立っていた。
「あ、貴方達……誰!」
オオカミ耳の少女は凄んだ表情でマガツ達を睨み、威嚇するように肩で呼吸をしている。
その後ろに居るのは、ネコ耳の少女。オオカミ耳と身長はさほど変わらないが、臆病なのか彼女の背中からマガツ達を睨む。
少女達は姉妹なのだろうか、容姿が非常に似ていた。
オオカミ耳はくせっ毛のあるロングヘア、ネコ耳は丸っこいロングボブで右目が隠れている。
その髪色は二人とも共通して黒髪と銀髪、比率は大体7対3。
しかし二人でその比率は逆で、オオカミ耳は黒髪多め、ネコ耳は銀が多め。
更に彼女達の目もこれまた特徴的で黒と紫のオッドアイ。オオカミ耳は右から黒と紫、ネコ耳は紫。恐らく隠れている方の目は黒なのだろう。
「何じろじろ見てるの! 何か答えなさい!」
オオカミ耳は言うと、近くに置かれていた台から医療器具を取り、再びマガツ目掛けて投げた。
今度はそれをサッと避け、マガツは両手を挙げて降参のポーズを取る。
「まま、待って、待ってくれ。怖がらないでくれ、危害は加えない!」
しかし何も起こらなかった。オオカミ耳は「ガルル……」と獣のような唸り声を上げ、警戒心を強めていく。
このままでは少女達がどこから来たのか、そもそも会話すらままならない。
「レイメイ、こういう時どうしたらいいんだ?」
「しし、知るかそんなもの! こんな事案は初めてだ、逆にボクが知りたいよ!」
どうして良いか分からず、二人はとりあえず両手を挙げて少女達に近付こうと試みる。
だが一歩動いた次の瞬間、オオカミ耳はもう一本の点滴スタンドを手に取り、武器のように構えた。
「私はどうなってもいい。妹とあの子に指一本でも触れてみろ、肉片も残さず殺す」
「うへ~、めっちゃ怖いこと言うんだけどこの子! ちょっとお医者さん、この子達落ち着かせる薬とかない?」
「あるかそんな都合のいい薬! だがこれじゃあ彼女の体にも負荷がかかる……」
深く唸った後、レイメイは両手を挙げたまま少女達に声をかけた。
「一旦落ち着いて聞いてくれ。ボクはブランク帝国の医者だ、キミ達に危害を加えるような真似はしない」
「イシャ……?」
言うとオオカミ耳は首を傾げ、肩から少しだけ力を抜く。医者というものを知らないのだろうか。
レイメイは説得を続ける。
「それにここはブランク帝国、奴隷制度もなければキミ達を強制労働させる気もない」
それを聞いて、後ろに隠れていたネコ耳がひょっこりと顔を出した。
「お姉ちゃん、ブランク帝国って……」
「まだ分からないわ、コイツら私達を弄んだ奴らに似てるもの! あの白い服の奴らを見なさい!」
あと一歩のところだったが、オオカミ耳はレイメイや周りの科学班達を見て叫ぶ。
どうやら白衣に何かしらのトラウマがあるらしい。このままでは少女達の心は閉ざされたままだった。
とその時、オオカミ耳は突然全身の力が抜け、ふらりとその場に倒れ込んでしまった。
「お姉ちゃん!」
「くっ……どうして……」
治療をしたのはついさっきのこと。
まだ風邪も疲労も完治していない状態で無理に動けば、すぐに体力がなくなるのは当然のこと。
しかも、
――グー…………。グー…………。
少女達の腹の虫が鳴き出した。ここに来るまでの道中で、食事を摂っていなかったのだろう。
少女達は身を寄せ合い、お互いの体を支えながらマガツ達を睨んだ。弱ってもなお警戒は解かないらしい。
「うーん、どうしてもダメか……」
打ち解けるにも骨が折れる。まさに万事休す。マガツは額に手を当て、必死に少女達と打ち解ける方法を模索する。
するとその時、病室の扉が開かれた。
「へいまいどォ! 科学班の皆殿、お裾分けに来ましたぞ~!」
「マガツ遅い、何してるなの?」
振り返ると、お盆に出店の料理を載せたオーマがいた。
その横から、帰りが遅く心配したシャトラが頬をぷっくりと膨らませて顔を覗かせている。
イカ焼きに焼きそば、焼きトウモロコシなどなど、美味しそうな匂いが病室に充満する。
がしかし、状況が状況だった。科学班もレイメイも、そしてマガツも身動きが取れずにいた。
「おろ? 皆殿どうしました?」
「いや、オーマ。丁度いいところに来てくれた」
そう言って、マガツはそっと焼きそばを手に取り、少女達に歩み寄る。
少女達はぐっとお互いに抱き合い、恐怖に震えていた。
「……良かったら、食うか?」
だがマガツは何をするわけでもなく、二人の前にそっと焼きそばを置いた。
「お腹空いてんだろ? 大丈夫、毒とか盛ってないし、美味いぞ」
優しい口調で言って、躊躇う二人に焼きそばを勧める。
(ケモミミなのも相まって、野良猫を餌付けしてるみたいだな……)
そんな不思議な状況に汗をかきつつ、マガツは距離を置く。
すると二人は、奇妙な食べ物を前に困惑しつつも、互いに顔を見合わせて肯き、手掴みで取った焼きそばを口に入れた。
次の瞬間、少女達は息を呑み、小刻みに震えだした。
「あれ? まさか口に合わなかったかしらん?」
「そんな馬鹿な! 純度百パーセント、真心千パーセントですぞ!」
一同が不安に思っていると、少女達はポロポロと大粒の涙をこぼし、
「う、ううう……うう……」
泣きながら焼きそばを頬張った。
「こんなに美味しいもの、初めて食べたわ……」
「お姉ちゃん、やっと、やっと見つけたね……! わたし、幸せ……!」
焼きそばを食べながら、二人は焼きそばを完食した。
「あ、おかわりもあるけど、食べるか……?」
マガツは恐る恐る訊く。すると少女達は小さく肯き、今度は彼女達の方から近付いてきた。
「なんと……料理一つでこんなに……」
オーマは驚きを隠せず、ただただ泣きながら屋台の飯を頬張る少女達を見守る。
するとそれを見ていたシャトラは、お盆に載っていた焼きそばなどを幾つか胸に抱え、少女達のもとへ向かった。
「ねえ、お姉ちゃん。よかったら、もっと食べてなの」
「……あなたは……?」
「シャトラ。一応、ブランク大帝の子供なの」
焼きそばを床に置いて、シャトラは礼儀正しく頭を下げる。
少女達はシャトラの態度に息を呑み、そして奥で見守っていたマガツ達にも視線を向けた。
「? どうかしたか?」
「じゃあもしかして、貴方が噂の」
「マガツって、魔王?」
少女達は改めてマガツの顔を見て、そう訊ねた。
「俺がそのマガツだけど、何か……?」
するとオオカミ耳の少女は残っていた焼きそばを一気に飲み込み、マガツの前で頭を下げた。隙のない土下座だった。
それに続いて、ネコ耳の少女も頭を下げる。こちらも同じく土下座だった。
「どうかお願いします! 私達を、ブランク帝国の――魔王様の僕にしてください!」
「お願いします! どうか、この通り!」