2―5
それからココロネは少年へと話しかけるのが日課になった。
一度話しかけてしまえば、後は案外と簡単だったのだ。
不慣れな仕事に苦労しながらも、ちょっとずつなんとかやり遂げていく。
時にはオリバーからアドバイスをもらったりして。
けれど相変わらず少年は目覚めることもなく。
それでもココロネは相変わらず少年のために一つの場所に留まる。
デールじいさんのおかげで傷は綺麗に完治していた。
そして昨日も今日も明日も。
ココロネは眠ったきりの少年に語りかける。
いつものように仕事を終えたココロネは二階の自室へと向かう。
手には食事が乗ったトレイ。 もちろん一階にあるバーカウンターのマスターお手製だ。
いつもココロネは「簡単に食べられるものを」とバーのマスターに注文をする。
ココロネは食事に興味がなく、手頃に食べられるものを好んだ。
けれど時にバーのマスターはココロネの意にそぐわない食事を出してくる。
今日、バーのマスターによって調理され渡された料理はオムライスであった。
ケチャップライスを包んでいる半熟のたまごが歩くたび振動でふるふると震えている。
自室の鍵を開けて扉を開ける。
そこまではいつも通りだった。
けれど、今日は少し違う。
その違い、その気配にココロネはすぐに気がつく。 ベッドの方へと勢いよく顔を向けた。
「……!」
そこにはいつもとは違う景色が見られた。
ずっと眠り続けていた少年が体を起き上がらせているではないか。
ココロネは咄嗟に声をかけようとする。
しかし、言葉にならない。
名前すら知らなければ、なんと話しかければ正解なのかわからなかった。
部屋に入ってきたココロネに気づいた少年。
顔を振り向かせてココロネの方を見た。
ココロネと少年の目が合う。
そこでようやくココロネは少年の瞳の色を知れた。
――ああ、どんな色でもきっときれいだろうと思っていたけれど。
それでも、やっぱり、きれいだ。
その瞳はまるで地平線から登る太陽のように溶け出しそうで。
それなのに、その瞳には光が宿っていない。
生きる気力を失った茫然としていた。
ココロネを見ても少年は何も言葉を紡ごうとしない。
初対面だというのに何も興味を示さない。
すべてを諦めているように見えた。
せっかく長い眠りから目覚めたというのに。
ココロネはテーブルに食事を置くと少年を見た。
そして言う。
「こんにちは」
それは彼が長い間、眠りの世界を彷徨っている時にココロネが何度もした挨拶だった。
けれど、溶け出しそうな太陽はもうココロネのことを見ていなかった。
ぼう、と宙を見てココロネなんか見えていないかのよう。
「……も、もう、ぼくは、いいきられない」
やっと、声を出してくれた、と思えば、そんな言葉だった。
「なぜ?」
ココロネは素直に尋ねた。
だってココロネは彼を助けた。
死にかけだった少年を拾い、夜通し歩き、金を稼ぎ、死の淵から救った。
それなのに、彼は生きられないと言う。
「うつくしくなければ、いきられない。 ううつくしい、ことだけ、が、あいがんようごうせいじゅうが、いいいきるための、しゅだんだからら」
まるで始めから用意されていた言葉のよう。
ココロネはその言葉に悲しむことも驚くこともなかった。 ココロネはその事実を知っていた。 その事実に悲しみも怒りも向ける感情はもうなかった。 ただ事実として、そこにあるだけだった。
「ぼ、ぼぼくを、ころしてては、ください、ませんんか」
消え入りそうな小さな声で言う少年。
「いみの、ない、いのちに、おわりを、くくださ、い」
その声は耳の良いココロネにしっかりと届く。
死とは時に救済だと思う。
ココロネはそう思っている。
けれど、今、少年にとって死が絶望であろうと救済であろうとココロネにとってはどうでもよかった。
それよりもココロネにとって優先するべき意志があった。
それはとても自分勝手な、けれど自分にとって絶対の気持ちだ。
「私は君を生かす」
答えは否だった。
その意志は、少年を想っての優しさなどこれっぽっちもない。
ココロネは少年を見つめ続けていた。
残酷な言葉に、少年は悲しみでココロネの方を見た。
白っぽいお月さまのような金色の瞳は、あまりにも真っ直ぐで強い意志が感じ取れる。
その瞳を見て、少年は驚いた。
今まで見てきた自分を見る瞳とはまるで違ったから。
もしかしたら、今回は何かが違うのではないかと、期待をしそうに、そして押し込んだ。
「死にたいと思うのは自由だ。 死のうとするのもいいだろう。 だがな、少年。 私は君を拾った。 助けた。 助けたやつがすぐ死ぬってのは最悪だ。 意味が無いし気分が悪い。 だから、私は君を生かす。 君を死なせない」
飾り気のない、あまりにも真っ直ぐな言葉を、この子どもは一体どう受け取るのだろう。
死にたい、と言う者に対し、生かせるという言葉は一体どう伝わるのだろう。
しかし、ココロネはそんなことはどうでも良かった。
ココロネは自分の思いを言葉にしただけであった。 その言葉が、どんな風に受け止められるかなんて、考えていなかった。 ただ、言わなければ我慢ならなかった。
「私はココロネ」
女はその静かな声で名を名乗る。
頭に被っているキャスケット帽を外し、三角の獣耳を露わにした。
羽織っていた茶色のマントを剥がし、ボリュームのある尻尾を露出した。
「戦闘用合成獣だ」
それは、ココロネに今できる全てであった。
戦闘用合成獣、それはとある国で作られた生き物であった。
愛玩用合成獣を作った所と同じ出身である。
その名の通り、戦うために作られた合成獣。
だから、ココロネは人間よりも優れた身体能力を持つ。
少年はココロネの姿を見て、瞳を見開いた。
驚いた表情をしていた。 けれど、その顔はすぐに歪んでしまう。