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ココロネの心音  作者: 存此
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4―10


「何があった?」


 ココロネは尋ねるが、エフは何も言わずある程度タオルで拭い終えるとエイミーから出て行ってしまう。


「おい、エフ!」


 オリバーは名前を呼び叫ぶがエフは反応もなく消えてしまった。

 残された少年はココロネの登場にたじたじとしながら、なんと言えばいいか考えた。 自分からコーヒーをエフに零したなどとは絶対に言えない。 言ってしまえば、ココロネは少年を嫌ってしまうかもしれない。 なんと言えばいいかしばらく考えた後、小さな声で口にする。


「……けん、か、を……」

「ケンカ?」


 その言葉にココロネは目を丸くした。 少年がココロネ以外の相手に意思表示したというのか?

 あまりにも予想外な言葉でココロネはひどく驚いた。 あんなにも人間を怖がっていた少年がケンカだって?


「――はは、ははは!」


 あまりにも予想外で、そして嬉しくてココロネは声を上げて笑ってしまう。

 どういうケンカをしたのかは知らないが、ケンカが出来るほどに少年は意志を持つようになったということだ。 そして相手の言いなりにならないで、対抗できる。 その成長と驚きに笑ってしまった。

 ココロネではケンカ相手にはなれなかっただろう。 これは、誰かと関わることで出来るようになったことだ。


 その笑い声に少年はきょとんとした。 笑われるとは思っていなかった。 オリバーもバーのマスターもココロネが笑っていることにびっくりして注目している。 ココロネが声を上げて笑うなど、初めて見たのだ。

 そしてココロネは笑うのが落ち着くと、少年の頭の上に手を、ぽん、と置いた。


「大きくなったね、少年」


  少年はココロネが一体何を思ったのか分からなかったが、褒められているということはわかる。 それにココロネに触れられたのが嬉しくて笑う。


「え、へへ」


 ――少年は私がいないでもやっていける。

 ココロネはそう思って安心したのであった。




 こうしてココロネは毎日勉強の日々を過ごした。

 スリを止める仕事は毎日続けている。 夜にエイミーに帰ると少年の作った食事を食べ、勉強をする。 少年がまたケンカしていないか、オリバーに聞く。 そして内容を聞いて、おかしそうに笑うのだ。

 そんな同じような毎日、でも真剣で必死な毎日が繰り広げられた。

 ココロネの綴る字は、当初は幼児のようであったが、勉強を重ねていくうちに綺麗になっていった。 力強さを感じながらも、しっかりと読むことが出来る字だった。


 勉強をしていくなかで、ココロネは少年の名前について考えていた。


 少年をしっかり表す言葉が良い。

 少年に願う言葉が良い。


 ココロネが驚いたのは、オリバーに勉強を教えてもらう上で、少しずつ自分が文字を理解し始めているということだ。

 どんなに物覚えが悪かったとしても、勉強を諦めるつもりはなかった。 それは少年の名前を考える上で必ず必要なことだったから。


 しかし、そんな風に思いながらも、勉強など自分には無理だろう、考えていた部分があったのだ。 戦闘用合成獣として生きる上で、文字を覚えることは必要でなかった。 そんな知識の必要も、勉強の時間も、お前には必要ない、と。

 ただ、戦えば、いいのだと。


 そうやって生きてきた戦闘用合成獣のココロネは、旅人になってから不便を感じることは多少なりともあった。 しかし、勉学というものは人間がやるものであり、戦闘用合成獣であるココロネには必要ない。 諦めているとも言えた。 自分には勉強など無意味であり、そんな価値もない。

 けれど、オリバーに勉強を教えてもらっていく中で、ココロネは少しずつ文字を覚えた。 スムーズとはいかないものの、地道に力にしてきた。


 戦闘用合成獣であるココロネでも、文字を覚えることは出来たのだ。

 少しずつ字を覚え始めたココロネはオリバーに辞書を借りて、単語を読むようになった。 分厚くて重い、その本はたくさんの単語と意味が書かれ、ココロネの知らなかった言葉もたくさんあった。 今まで経験でなんとなく知っていた単語の意味を、辞書で改めて意味を知った。

 ココロネは少しでも時間が空いたときは辞書をめくるようになった。 少年には、一体どんな名前がいいか、考えた。


 名前というものは、その者を表すもの。

 たいせつなもの。

 手放さない限り、一生ついてくるもの。


 ココロネは考えた。

 日々、オリバーに字を教えてもらい、辞書をめくり、少年を表す名前を考えた。

 時間を掛けて、それはようやく形になる。

 形になって、そうして、ココロネは、



 ――何も言わず街から姿を消した。



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