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早朝になると、昨日と変わらずまた黒い男がバーカンターに現れた。 バーのマスターは昨日のこともあり、何か問題事を起こさないかはらはらとしながら黒い男を見る。
黒い男はいつものようにコーヒーを頼んだ。 通常であればコーヒーはバーのマスターが淹れるのだが、少年は自分で淹れるのを立候補した。
バーのマスターは驚いて、しかもわざわざ黒い男のコーヒーを淹れるなど、断ろうと思った。 バーのマスターの思ったことを察したのか、少年は再び念を押すように自分がやりたいと伝えてくる。
あまりの意志の強さに驚いた。 ココロネが関わること以外では少年はバーのマスターに従い、特に意見は言わないものだから。
そこまで言うのなら、とバーのマスターは少年にコーヒーを淹れてもらうことにした。 黒い男とのトラブルを覚悟して。
丁寧にバーのマスターはコーヒーの淹れ方を教え、少年は実践していく。 初めて淹れるものだから、動作は不慣れである。 けれど最後までやり遂げることが出来た。
少年は黒い男の前に淹れたコーヒーを置く。 その様子をバーのマスターは内心どきどきしながら見ている。
「ど、うぞ」
にこやかに言う少年。
「飲めるか、こんなもの。 バカにしているのか?」
黒い男は少年を睨みつけて言った。 もちろん、コーヒーには手をつけない。
「そ、そん、な。 ぼく、こーひー、いれて、みたかったん、です」
その思いは本当だ。 ココロネはいつも食事の時にコーヒーを飲むから、淹れられるようになりたかった。 ただ今回は、嫌がらせの部分もある。
「の、まない、んですか? それ、は、もったいない、よ。 せっかく、いれたん、だから」
そう言うと、少年は自身の淹れたコーヒーカップを手に取った。 バーのマスターは、あ、と手を上げて止めようとした。 しかし、間に合わない。 と、いうか、バーのマスターの制止くらいでは少年の行動は止まらなかった。
ばしゃっ。
今度は黒い男がコーヒーで濡れる番だった。
「なっ……!」
淹れ立てで熱々のコーヒーは黒い男に注がれた。 黒い服のせいで、どれくらい濡れたのかはわかりにくい。 しかし帽子から黒い液体がしたたり落ちている。
バーのマスターが慌ててタオルを黒い男に差し出す。
「やり、かえし、だよ」
少年は実行できたことが嬉しそうに笑っている。 少年のやり返しは日々の不満をぶつけるものでもあった。 ココロネとの別れが近づいている今、その悲しみと辛さをぶつけるには良い相手だった。
黒い男はタオルを受け取らず、勢いよく立ち上がる。 そしてどこか余裕のある少年の襟元を掴み上げた。
「……あの人がいるからって、余裕ぶりやがって。 どうせ、もうすぐ捨てられるというのに」
長身の黒い男は少年を見下すようにして低い声で言う。
その言葉に少年は苛立ちを覚えた。 一体どこまで、この男が二人のことを知っているのか謎だったが、そのことはとりあえず、いい。
少年は片手を上げて、力をこめて黒い男の頬を叩いた。 ぺちん、と乾いた音が室内に響く。
そのことに黒い男は驚いて目を見開いたが、次には大きく笑ってみせる。
「……ははっ……あまりにも、弱い……お前は赤ん坊か?」
少年は全力で叩いた訳ではない。 けれど力は込めた。 愛玩用合成獣で非力の少年の暴力は黒い男にとって攻撃ですらなかった。
黒い男の言葉は少年にとってひどく屈辱的だった。 反撃のつもりで叩いたのに、相手は何も感じていない。 それどこか赤ん坊と同じ扱いをされた。 むかついて黒い男を睨みつける。 けれども黒い男は興が冷めたかのように少年の襟元を掴む手を離した。
「はあ……バカらしい」
ため息を吐いて言う黒い男。
すると部屋中央の奥から、がちゃり、と扉が開く音がした。 オリバーが目を擦りながら出てくる。
「あーイスに座ったまま寝ちまった。 マスター! なんか飲むもんを……ん?」
喋りながらバーカウンターへと近づいてくるオリバーは、こちらを見ると動きが止まった。 事態が把握できないかのように目をぱちりぱちりと何回か瞬きする。 自分に出来る想像力を存分に使い頭を巡らした。 そして言う。
「エフーーー! お前、なんかしただろ! 一体なにしたんだ! どうせ、お前が悪いんだろう!」
早朝にも限らず響く大きな声のうるささに黒い男はこめかみを押さえた。
事態を見れば、コーヒーに濡れているのは黒い男だ。 それなのに、オリバーはエフ、と呼んだ黒い男が悪いと決めつけ今にも説教をしようとしている。
「……いや、俺は悪くない。 やってきたのは、あっちの方で……」
バーのマスターからタオルを受け取り顔を拭って言うが、オリバーは全く聞く耳を持たない。
「いつか何かやるだろうと思ってたんだオレは! それをついに……しかも、この少年に! 自分よりも弱い相手を攻撃して恥ずかしくないのか!」
その言葉を聞いて、少年はむっとした。 自分が弱い者あつかいされたからだ。 自分だってやれるときはやれる……と言いたいが現実は微妙だ。 せめて、今度会ったときはしっかりとやり返せるよう力をつけたい、と少年は思う。 愛玩用合成獣でも多少となりは力をつけれるはずだ。 そのことは、ココロネが教えてくれたではないか。
「それに少年にはココロネ……こわーい保護者がいるんだ! お前がいくら強くてもココロネの前じゃ、こてんぱんに――」
「呼んだか?」
あまりにもタイミングの良い登場である。 と、いうのも、オリバーのあまりの大きな声に、自室にいたココロネは心配をして部屋から降りてきたのだ。
「コ、ココロネ!」
騒いでるオリバーにココロネはバーカウンターの方を見て状況把握をする。 何やら濡れている黒い格好の男に、どこかとしょんぼりとしている少年。 怒っているオリバー。 いつもの微笑みから困っているような表情をしているバーのマスター。




