4―1
あれから少年は憑きものが落ちたかのように晴れ晴れとした笑顔を見せることが多くなった。
「あの、ね、こころね、ぼく、じつは、べっどが、にがて、なんだ」
少年はずっと言うことが出来なかった言葉をココロネに口をした。 ベッドを自身のために空けてくれていると知っている少年は中々本当のことが言えなかったのだ。
「……そうなのか」
ココロネの少年の言葉に内心驚いたが言ってもらえたことが嬉しかった。 ココロネのことを思って少年は言いにくかったのだろう。 そんな思いを発言することが出来たのは少年がココロネを信じてくれているからだ。
さて、どうしたものか、と考えた。
さすがにココロネと同じように床に座って眠るわけにはいかない。
ココロネと少年は話し合い、そこで得た打開策はベッドで一緒に眠る、ということだった。
これは案外とうまくいって、少年は悪夢を見ることが随分と減った。
――そして、ココロネは少年が一人でも生きていけるように、用意をし始めた。
今までと同じように、ココロネが一人であるために別れるのだ。
出来れば少年の存在を快く受け入れてくれたエイミーで何か仕事を探せないか考えた。
護身用に武器を持てても、激しい戦いをするのは難しいだろう。 出来るとしたら清掃や雑用くらいだろうか。
しかしココロネが一人考えたところで決めるのは自分ではない。 そこでココロネはオリバーに相談してみることにした。
「仕事お? あの子どもにかあ?」
ココロネの言葉にオリバーは、うむうむと顎に手を当てて考え始めた。
「ああ。 一人でも生きていけるようにしたいんだ」
「まあ……それは立派な考えだが……」
「そして、少年が独り立ち出来る頃になったら、私はエイミーを辞めて旅に戻る」
「ふうん……そうか……って、はああ!? ココロネ、お前、エイミー辞めるのか!?」
ココロネの言葉にオリバーは驚いたように目を見開かせて、両腕を開く。
オリバーの大きな声と大げさな反応にココロネは眉間に皺を寄せた。 ただでさえ声が大きいオリバーが驚くと、もはやうるさくて騒音だ。
「そう言ってるじゃないか。 元々、オリバーには一時的な所属と話してあったはずだ」
「いや、まあ、確かにそうだが……ん? じゃあ、あの少年は置いていくということか?」
「だから、こうやって少年にも出来る仕事を探してるんだろう」
「お……おまっ……ココロネ……お前……!」
信じられないものを見たかのようにオリバーの瞳はココロネを見る。
けれどココロネはそんな視線を気にした風もない。
少年を置いていくことで責められるのは覚悟の内だった。
「……ココロネ、あの子どもは、お前のおかげで生き延び、そして笑うようになったんだろ?」
「手助けをしただけだ」
「それでも、だ。 そんな子どもがお前を失ったら一体、どうなるか……。 考えるだけで悲しくなるじゃねえか」
先ほどはあんなにも驚いていたのに、次には悲しそうに眉を垂らすオリバー。 頭では少年が一人になることを想像したのか瞳に悲しみが浮かんでいる。
「私は今までもそうであったから、今回も変わることはない。 私の今までを知っている少年も分かっているはずだ」
淡々と告げるココロネにオリバーの表情は変わらなかった。
「ココロネ、オレはよお。 妻と娘が行方不明になっちまって、それを捜すために、このギルドを立ちあげたんだ。 少しでも情報が欲しくてな。 だから、置いて行かれちまう気持ちは、分かるつもりだ」
それは、「なんでも屋ギルド エイミー」についての話しだった。 寂しそうに言うオリバーはどこか遠くを見ているようだった。
「しんどいんだよ、置いて行かれるのはよお…… だから、オレは反対だ。 拾った責任として大人になるまで世話を見るべきだ」
反対の意思を持ったオリバーは珍しく真剣な表情をしてココロネを見つめる。 その瞳を見つめ返すココロネは無表情だ。
オリバーの言い分も分かる。 大人としての正論であろう。
私が今しようとしていることは間違っているかもしれない。
けれど、と、
「オリバー。 私だって、そのくらいは知っている。 置いて行かれる気持ちのつらさくらいは」
「それじゃあ、なんで……!」
「それでも、それよりも、優先したいことがある。 いいか、オリバー、覚えておいてくれ。 私は優しくない。 少年を拾ったのだって、そこにいたからだ。 生かしたのだって、死なれた方が気分が悪かったからだ。 すべては私の勝手な意志だ。 だから、今回も同じだ。 私は、私の意志を優先する」
その言葉にはココロネの確たる意志がこもっていた。
否定したって意味がないだろう。 ココロネは受け取らないだろうから。
オリバーは黙った。 なんと言えばいいのか分からなかった。
何を言ったって、ココロネが止まるとは思えない。 それだけココロネは真剣で必死だった。
ココロネは踵を返し去って行く。
少し、何とも言えない複雑な気持ちがココロネにはあった。 これで、オリバーには嫌われただろうから。
二階へと上がっていくココロネを眺めながらオリバーは悲しそうに呟く。
「……それを、やさしさと言うんじゃねえかなあ……。 ばかだな、ココロネは……」
ココロネは自室に戻ると、嬉しそうに少年が駆けつける。
「お、おおかえり!」
その行為だけでも、少年がいかにココロネに懐いているかは、わかる。
微笑ましくて、心が温かくなる。
この後、しなくてはいけない話しなど、したくない。
いつまでも、傍にいられないものだろうか。
そんな想いがある自身に苛つき唇を噛んだ。 そんな自分は邪魔だった。
こんな、想いはいらない。
こんな風に足掻いてることさえ、苛立たしい。
こんな、自分は許せない。
「こころね?」
ココロネの様子に少年は不安そうな表情をした。 そのことに気づくとココロネはすぐにいつもの無表情に戻り、安心させるため少年の顔を見た。
「……少年、君に話したいことがある」
その真剣な声音に少年は何か察したようだった。
「……う、ん」
緊張した様子で少年は頷く。 少年も何か察しているようだった。 そんな少年の頭をココロネは撫でる。
いつものように少年はベッドに座り、ココロネは傍にイスを持ってきた。
その際、壁際にある小さな窓が見える。 以前に少年が死のうとして割ってしまったことが懐かしかった。
イスに座ると少年は俯いて暗い表情をしている。 その顔を晴らしてあげたかったが、今のココロネにはできない。 それよりも、更に悲しませてしまうだろう。
それは嫌なことだったが、自分の決まりを覆ることはできない。
「少年」
ココロネは少年を呼んだ。
すると少年は顔を上げココロネを見た。 その表情は既に痛ましく、本当に伝えるか、躊躇してしまうほど。
それでも、言わねばならない。
「私は、そろそろ旅に戻ろうと思う」
ココロネの言葉に少年は耐えるかのように拳を握る。 その拳は震えている。
「もちろん、少年にも出来る仕事を探して、君が一人でも生きていけるようになってからだ。 今すぐ、ではない」
それが旅立つココロネにとって出来る唯一のことだと、少年は分かっていた。 ココロネは決して少年に冷たくしようとしていない。
今までもそうであったように、別れを告げようとしているだけだ。
ただ、別れが惜しいくらいには、少年もココロネもお互いを想っているだけで。
しばらくの沈黙のあと、少年は桃色の唇を震わせながら言った。
「う、うん、わ、わわかってるる」
少年の声は涙声だった。 声が震えていて、痛ましい。
「ぼ、ぼぼく、わ、わかってる、よ。 こころね、たび、びと。 ま、ままえに、そう、いいった。 わか、ってる」
言葉の途中で涙はぽろぽろと流れだし、握っていた拳に落ちる。
以前、ココロネは少年に過去の話しをした。 だから、少年はわかっていた。
今まで誰かを助けてきても、それは必ず別れがあって、ココロネは一人で旅をしてきたことを。 ココロネはそういう生き方をしてきたことを。
ココロネの前では良い子でいたい。 それなのに、引き留めたい思いがいっぱいで、少年は言葉にならないよう必死に押し込めていた。
いかないで。
ずっと、いっしょにいたい。
ココロネのことが、すきなんだ。
こんなにも言葉は喉奥から出ようと必死に足掻いているのに、それを言う勇気がない。
言ったら、一体どんな返事が返ってくるか。 それが怖いのだ。
どうせ、ココロネの選択は変わらないことを知っている。
「少年、君は美しくてか弱い愛玩用合成獣。 だけど君は翼を失っただろう。 と、いうことは一見するとただの美しい人間だ。 生き方次第では君は人間の様に生きられるんだ」
それはまるで希望のようにココロネは言う。
けれど、少年はどうでもよかった。 いや、本当はどうでもよくない。 これから愛玩用合成獣ではなく人間のように生きられるのなら、それは夢みたいなことだろう。 今まで愛玩用合成獣だからこそ、扱われてきたことが、これからの生き方次第ではなくなるのだ。
けれど、今はそんなことは考えられなかった。
ただ、ココロネとの別れのことで頭がいっぱいだった。
「別れの時まで、それまでよろしく頼むよ」
ココロネは言った。 いつもの会話のように言う、その声は、別れなどなんてことのないような風に聞こえる。 悲しいのは自分だけなのかもしれない。 少年の悲しみは深く深く落ちていくのだった。




