3.5ー5
「見ててごらん。 空を」
そこは高台になっていて街の景色を一望できた。
上には広い空が広がっていて、下には街並みが見える。
ココロネの視線は真っ直ぐと空に向かっていた。
ぼくも言われたとおり空へと目をやる。
空は赤と青が混ざり合い、雲は朝日を受けてピンク色になっていた。
オレンジに輝く太陽は頭を少しだけ見せている。
眩しいけれど、それだけじゃない。
これを人は朝焼けというのだろう。
柔らかい光りは少しずつ登り丸くなっていく。
旗のように広がった大きな雲に、気持ちよさそうに飛んでいる数羽の鳥たち。
――きれいだ。
こんなにもじっくりと太陽を見るのは初めてだった。
圧倒的な力があった。
あまりものきれいさに胸がいっぱいになる。
きれいなものに力があることを初めて知った。
今までずっと、部屋の中か、檻の中。
出られることは滅多になかった。
太陽はあまりにも眩しくてぼくを暴くようだから、静かな夜の方が好きだった。
いつも地面ばかり見て空を見上げようとすら思ったことがなかった。
けれど、太陽は、こんなにもきれい。
傍にいるココロネの体温がきもちよくて、やさしい。
人の体温はこんなにも気持ちよかっただろうか。
今までは人の体温があんなにも嫌いだったのに。
気持ち悪くて、苦痛で仕方なかったのに。
いつまでも、この時間が続いて欲しい。 飽きることなんて永遠にないような、そんな気持ち。
じっと太陽に見とれていた。
しかし、
「ほら、見て。 あの太陽はまるで君の瞳だろう」
突如ココロネが放った台詞に、え、とぼくは言葉を失った。
「今にも溶け出しそうな太陽。 君の瞳だ」
あまりにも甘すぎる言葉にすぐに理解出来ないでいた。
少し遅れてぼくは返事をする。
「そ、そそそそ、んな!」
直ぐ様、否定する。 有り得ない、と必死に否定する。
顔を左右にぶんぶんっと音がするくらいに振った。
あんなに眩しくてきれいなものが、ぼくの瞳と同じなんて恐れ多い。
それでもココロネは言葉を続ける。
「それで空は君の髪の色だ。 ほら、あの紫のようなピンクのようなグラデーションのところ。 ふしぎな色だけれどきれいだろう」
ぼくは一体なにをいわれているんだろう。
それは熱い告白のようにも思える言葉。
顔が真っ赤に染まり熱い。
しかしココロネの言葉は止まらない。
「私は君を見たとき、夜明けのようだと思ったんだ」
そうしてココロネはぼくを見た。
目を細めて静かに笑みを浮かべる。
その笑みのきれいさと言ったら。 儚さと言ったら。
もう、言葉にならなかった。
ぼくのこころは、ぎゅうぎゅうとあつくて、
――ああ、これが、本当の、きれい、という意味なんだ。
この朝日なんて比べようがない。 そんなきれいさで。
結局、我慢出来ずに涙をこぼしてしまった。
「あれ、褒めたつもりだったんだけど……そう言われるのは嫌だったかい」
頬を濡らす涙をココロネが指で拭う。
「ち、ちちちがう! ちがうよよ!」
ぼくは慌てて否定した。
嫌なわけがない。
今まで散々言われてきた「きれい」という言葉。
本当のきれいも知らずにぼくは「きれい」でなくてはいけないと思って生きていた。
本当のきれいは、こんなにも心を締め付けるものだったんだ。
そしてこんなに、きれいな人にぼくは、ぼくは――。
心がぎゅうっとして、温かくて、言葉にするのが難しくて。
ぼくは何か言葉にしようと考えるけど、なんて言えばいいのか分からなかった。
涙が出るばかりで、もうどうしようもなかった。
太陽は随分と登っていて、朝の始まりを告げている。
鼻をぐずぐずと言わせながらぼくは、思い切って自分の想いを吐き出すことにした。
自分の思っていることを言うのは勇気が必要だった。
その勇気は今、ココロネにもらった気がしたのだ。
「………し、ししななきゃ、ってて、おもう、んんだ」
勇気を出して吐いた言葉は思った以上に小さな声だった。
だけど、その小さな声はココロネに届く。
「うん」
二文字だけのごく短い返事だった。
だけど、その声音は穏やかで、頼もしさがあった。
「ぼ、ぼぼぼくは、ぼ、くは、ななんにも、でき、ない。 きれい、だから、いいきてこれた」
自分で言っていて悲しくなってきた。
みじめだった。
さっきまでは朝日とココロネの言葉で胸があんなにも熱かったのに。
どんどんと冷えて、暗闇に落ちていく感じがする。
「うん」
次の言葉を言おうとする。 詰まってしまって、なかなか言葉が吐き出せない。
それでも、なんとかして、言おうとした。
ココロネに言ったなら、何かが変わるのではないかと、思った。
「……っだ、だだけど、なくなちゃったた。 つつばさ、きれいのあかし、ななくなっちゃったんだ」
涙が出てきた。
みじめめだった。
「だ、だだ、から、もう、ききれいじゃ、ない。 し、しななきゃ、いけないん、だ」
このことを何回も考えた。
考えて、考えて、どうすればいいのかわからなくて。
もう、さっさと終わらせたくて、死のうとした。 何回もした。
でも止められた。 ココロネが止めた。
止めた時に自分が傷ついても厭わなかった。
ぼくを生かせると、そう言った。
「――愛玩用合成獣は美しくなければ生きられない」
ココロネは登っていく朝日を眺めながら静かに言った。
何度も聞いてきた、その言葉。 ココロネの言葉がまだ続くことを知っていた。 だからぼくはココロネの横顔を見つめ、次の言葉を待った。
「そのことは否定出来ない。 か弱く作られ、金儲けのために人間に売られる愛玩用合成獣は主なしで生きていくのは大変だろう。 ……だけど、生きられないワケじゃあ、ない」
そう言うとココロネは顔をぼくのほうに向けた。 ココロネは珍しく眉を下げ複雑そうに笑みを浮かべていた。
「最初にも言ったろ? 私は戦闘用合成獣。 戦闘用合成獣は国の戦争のために作られた。 国の武器として作られたんだ。 けれど、国がなくなった今でも私は生きている」
昨夜にも聞いた、ココロネの話しだった。
「少年。 君は死ななきゃいけないと言うけれど、生きたいように思える。 泣くほどに、生きたいんだ。 それなら生きてみればいいじゃないか。 その自由が、今、君にはあるだろう」
風が吹く。 さらりとひんやりした、気持ちのいい風だ。
空高い場所で太陽が輝いている。
「そんなにも生きたい想いがあるのなら大丈夫。 君は生きていけるよ」
その言葉はすんなりとぼくの心へと入っていく。
ぼくが、ずっと欲しかった言葉だった。
ココロネはいつも、ぼくが欲しい言葉をくれる。
それだけで、一体、どれだけ救われるか。
じんわり、と言葉が心に染み渡るんだ。
――生きたい。
そして、つよくなりたい。
それこそ、ココロネみたいに。
ココロネに降るかなしみがないように。
ココロネはぼくの人生を変えた、かみさまだった。
いつの間にか夜の冷たい空気は優しい朝日に包まれて、暖かい一日が始まった。




