3.5―4
「……ふうっ……ふう……」
呼吸が乱れ始めたのは階段の三分の一を登り終えたくらいからだった。
息が苦しいし、疲れてきたけど、まだ進めた。
諦めたくなかった。 ココロネの言う場所へ行きたい。
「休憩するかい?」
半分くらいまで来た。
立ち止まって膝に手を当てて呼吸を整えていると、ココロネが言った。
いつものぼくだったら、甘えていたところだろう。
愛玩用合成獣だから仕方ないと、諦めていたはずだ。
しかし、今日は違う。
額に流れる汗を拭い、目をつり上げて言う。
「ままだ、が、がんばれる」
重い足を上げて、一段上がる。
強くなるのが大変なことは分かっているつもりだった。
それでも、疲れた体と重い足。 苦しい呼吸。
隅でちらつく、諦めたいという思い。
それらを無視して越えていく。
強くなるための行為は、とてもたいへんなことだった。
階段を八割まで登るととうとう限界が来た。
足が震えて、階段に尻をついた。 もう足が痛くて動く気がしない。
疲労も困憊していて心臓がどきどきとうるさい。
もう無理だ、と思った。
あと少しなのに、ゴールは目の前なのに、これ以上歩ける気がしない。
体が動かない。
くやしい。
ぼくの様子を見ているココロネは息一つ乱してはいない。 疲れも感じていなさそうだ。
「……はあっ……はあ…… も、ももう、む、り、かかも……」
言葉にするとくやしさのあまり涙が浮かんできた。
こんなにも弱い自分が嫌いになりそうだ。
もっと、つよくなりたい。
たくましい体になりたい。
そんな思いが溢れてくる。
これではココロネの迷惑になってしまう。
「よく頑張った」
するとココロネが体を屈ませ、ぼくと目を合わせた。 しっかりとした声でぼくにそう言った。
手が上げられて、反射で叩かれるのかと思いぎゅうと目をつぶった。
しかし、痛みという衝撃はこなかった。
その代わり、頭にぽんっと手を置かれた。
目を開き、きょとんとする。
これは、もしかして、褒められている?
そう思うと心がじわじわ温かくなった。 その短い言葉は心をぎゅうっとさせた。
うれしい、んだ。
ぼくは今、ココロネに努力を褒められている。 認められている。
だから、うれしい。
へへへ、と荒い呼吸のまま笑う。 ココロネは穏やかな表情をしていた。
ココロネは屈んだままぼくの方に背を向けた。
「おいで」
言ってる意味がわからなかった。 なにが、おいでなのだろう。
ココロネはぼくを呼んでいるが、ぼくはココロネの傍に既にいるじゃないか。
「ど、どどいう、こと?」
「背負ってあげる、という意味だよ。 私の背中に体を預けるんだ」
「……え、ええええ!?」
背負う、っていうのはあれだろう。
たまに親子がやっている、親が子を背中に乗せているやつだろう。
あんなにも温かい世界があるのだと、見かけたときは思ったけれど……。
ぼくにもこんな時がやってくるとは思わなかった。
「い、いいいよう! あ、あるく!」
あまりにも申し訳なくて、ついそう言ってしまう。
歩ける自信はなかった。 もう一歩も足を動かしたくない。
無理をすればなんとか。 そう思い立ち上がるが、体が重い。 足は棒のようだった。
「運動っていうのは、やればやるほど良いってわけじゃなあない。 適度というものがある。 これ以上続ければ怪我をしてしまうよ。 私の背中が嫌というなら――」
そんなこと言うものだから、ぼくはココロネの言葉を遮って言った。
「の、ののる、よ! の、る! おおおねがいしますす!」
嫌なわけがない。
嫌じゃないよ。
「じゃあ、首に腕を回して」
そう言われて、ぼくはそろそろとココロネの背中に近づいた。
言われたとおりにココロネの首に腕を回すと、ぼくの体とココロネの背中がくっついた。
ココロネの体温がぼくの体に伝わってきて、なんだか恥ずかしかった。
「しっかり持ってて。 持ち上げるからね」
するとココロネの腕が足の下を通る。 ココロネはゆっくりと立ち上がり、背負われているぼくも同じように浮いた。
ぼくの顔がココロネの首筋にあって、いつもは見られないところが近くて変な感じだ。
視点も高くて新鮮。
ココロネはこの視点の世界で歩いているんだ。
さっきまで体は疲れて、ぐったりとしていた。 けれどココロネに背負われてそんなものは吹き飛んだ。
背中から伝わるココロネの体温。
近くにあるココロネの顔。
ココロネの視点の世界。
すべてが新しくてうれしい。
すべてがたのしい。
くすくすとぼくは笑った。
あまりにも楽しかったから。
ココロネはゆっくりと歩みだし、階段を登っていく。
「お、おおおもたく、ない?」
もしかしたらぼくを背負ってココロネは苦しい思いをしているかもしれない、と思い聞く。
「全く。 君はもっとご飯を食べるべきだね」
平然と言ってみせるココロネ。
そうは言ってもぼくの体重は増えたほうなのだ。 食事の量は以前よりもかなり増えた。
以前では一日三食なんて有り得なかった。 バーのマスターはいつもぼくの知らないおいしい食べ物ばかりを作ってくれる。
どんどんココロネは進んでいき、残り二割の階段はすぐに登り終える。
「間に合ったね」
開けた場所に出て、柵の手前まで来ると、ココロネはぼくを下ろす。 足は痛いけれど、先ほどよりも疲れは癒えていた。
ひゅう、と冷たくてしっとりとした風が吹く。
ココロネはぼくに体を寄せてきて羽織っているマントの中に入れてくれた。




