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ココロネの心音  作者: 存此
16/44

3―7


「ううううっ、うううう……」


 とうとう依頼人の男は泣き出してしまう。

 不味すぎて泣いているのであれば、少しでも早く流し込んだ方がいい。

 ココロネは立ち上がり水の入ったコップを依頼人の男に勧める。

 すると依頼人の男は顔を上げる。

 顔は鼻水と涙が垂れ流しでぐちゃぐちゃだ。

 あまりにもひどい表情にココロネの動作は一瞬止まる。


「ううううっ、うう……ちが、違うんだ……あまりにも、懐かしくて、このテーブルで、また誰かと飯を食えるなんて……しかも、カレーを……」


 言葉を吐くことさえも辛そうに号泣する依頼人の男。

 そういえばこんな展開、先ほどもあったことを思いだし、ココロネは自身を落ち着かせて席に座る。


「……そうか」


 味に問題ないのなら、良い。 ココロネは号泣する依頼人の男に興味をなくし、カレーに再度手を付けようとした、

 しかし、少年の方を見ると、困惑した表情で依頼人の男を見つめ食事に手をつけていないではないか。


「少年、カレーが冷めてしまうよ」


 温かい料理は貴重だ。 それはココロネや少年にとっても同じはず。

 ココロネが声をかけると、少年ははっとし、スプーンを手に取った。

 その様子を見てココロネも一口、カレーを掬って口にする。


「……っカレーはさ、母親の得意料理だったんだ、そんでオレも大好きでさ……」


 ココロネにはわからない。

 涙を流すほどの懐かしい想いも、思い出の家庭料理も。

 知っていなければ生きていけない訳ではない。

 それでも、人が持っているのを見ると、孤独を感じてしまう。

 そんな感情、腹の足しにもなりやしないのに。


 パンをちぎり、カレーに浸して口に入れた。

 けれど温かい料理のうまさは知っている。

 誰かと共に食事をすることの価値も知っているつもりだ。

 依頼人の男は母との思い出を語り、ココロネは黙ってそれを聞き続けた。




「――本当にありがとうございました」


 そう言ったのは依頼人の男だった。

 泣きすぎて目元が赤いけれど笑って感謝を述べた。


 後片付けは済み、残りのカレーは鍋ごと置いておく。

 依頼人の男が過去を思い懐かしみながら食べることだろう。


「オレ、ちょっと考えたんだけど、なつかしいって感情は悲しいだけじゃないと思うんだ」


 その言葉は少年がした質問の話しだった。 何気ない質問だったのに、この依頼人の男は答えを探してくれていたのだ。


「なつかしさをきっかけに昔の思い出を思い出すことが出来る。 あれは大切な時間だったんだって。 ……少なくとも、それはオレにとって大事だ」


 その言葉をココロネは理解できたが、少年には分からなかった。 少年にとっては懐かしく慈しむことが出来るほどの過去はないのだ。


 依頼が終わり、ココロネと少年は依頼人の男の部屋を出ると雨が降っていることに気づいた。

 当然のことながら傘は持っていない。

 マントを羽織っているココロネはまだしも少年は風邪をひいてしまうかもしれない。

 どうしたものか、とココロネは曇天の空を見上げる。

 それなりに降っていて少し待ったくらいでは雨は止まなさそうだ。


「……あ! やっぱり! 傘、持ってなかったよな」


 すると依頼人の男の部屋の扉が再び開かれた。

 依頼人の男は何とでもないことかのように二本の傘をココロネと少年に差し出した。


「いやあ、まだ母親の傘が残ってて良かったよ。 あ、今度金払いにエイミー行くから、そん時に返してくれればいいよ。 じゃあな!」


 そして颯爽と部屋の中に戻った依頼人の男。

 あまりにも突然であまりにも一瞬の出来事だったから、ココロネと少年は顔を見合わせた。

 ココロネと少年は階段を降りてアパートを出る。

 ココロネは与えられた大きい男性用の方の傘を差した。 少年には女性用の傘を与えるが、差し方が分からないようなので教える。

 ココロネと少年は依頼人の男から借りた傘を差してエイミーへと帰っていった。




 その日の夜は少年は疲れてしまったようで部屋に戻るとすぐに眠ってしまった。

 ココロネは窓を開けて夜の冷たい風を感じながら、日課である銃の手入れをする。

 静かな部屋にちゃかちゃかと音が響く。

 作業が終わると、ココロネはイスに背もたれに背中を預け目を閉じた。

 窓から入る風や人の喋り声。 眠る少年の呼吸音。 しんとした部屋。

 静けさが部屋を満たし、それでも一人ではない。

 静かな場所は落ち着いた。 何も気にしないでいいから。

 目をつむったまま、しばらく静けさを味わう。

 ところが、ベッドで眠る少年が(うな)り始めた。


「……うう……うぅっん……」


 眉間に皺を寄せ苦しそうな表情をしている。

 初めてのことではない。 深夜に少年が夢にうなされるのは、ほとんど毎度のことだった。

 呻き声が酷くなってくると、ココロネは立ち上がり少年の体を揺らす。

 ココロネが少し触れただけで少年はびくりと体を揺らし目を覚ます。


「うなされていたよ」


 ココロネは短くそう言うと、少年は体を起き上がらせた。

 体には汗を浮かべ、苦しそうな表情をしている。

 ココロネはタオルを差し出す。

 次に水筒に入った水をコップに入れ、一口飲んだ後に少年へと渡す。

 少年はコップを受け取り、こくりと口にした後、一気に飲み干してしまう。

 ベッドの側にイスを持ってくるとココロネは座り込み、足を組んだ。 そして無表情で少年のことをじっと見つめている。


「……ううっ……うう……」


 少年は顔をくしゃりとさせて泣き始めた。

 いつもは起こして一息つくと再び寝に入るというのに、今日は違った。


「どうして泣いている?」


 思ったことを隠そうともせず真っ正直にココロネは尋ねた。 その声音には呆れも興味もない。 ただ、少年が泣いているから、少年を拾った者として聞く必要があると思った。


「……お、おおおもい、だすから……むむかしのこと……」


 少年は正直に質問に答えた。 それは少年がココロネのことをある程度、信頼している証拠だった。


「それの何がつらい?」


 淡々とココロネは聞いていく。


「な、ななぐられたり、おおおこられた、り、……。 き、きれいでよかったな、おおまえは。 だだから、いきられる。 そう、いうん、だ。 そ、れで、さいごご、つばばさ、きら、れるる……」

「君は前に翼がなくては生きられないと言ったけれど、今も生きてるじゃないか」

「そ、そそれは、こ、ころね、が、いか、してくれる、かから。 じゃ、なきゃ、いき、られ、ない。 で、も、しししにたい、よ……しんじゃ、いたい、よ」

「それは翼がないから?」

「それ、だけじゃない、よ。 ぼく、って、だめ、だめだ、し……なんに、も、できな、いし……ぼ、くの、ぜんぶが、ききらいだ」

「……そう」

「う、ん」


 少年の言葉にココロネは少し考えた。 何か自分が少年に対し出来ることがあるが頭を巡らせたのだ。

 その中で、一つ、思いついたことがあった。

 行動したとして、それで少年が何を思うかはわからない。

 けれど、見せたい、と思った。

 

「明日、見せたいものがある。 ただ、朝は早いし無理をさせることになる。 ……着いてきてくれるかな?」

「うん、だ、だいじょうぶ」

 

 突然の切り出しだったけれど、少年は驚くこともしなければ嫌がりもしない。

 少年にとっては人の言いなりになるのが当然なのだ。


「眠れるまでは何か話しをしようか。 少年は何か話したいことはあるかい?」

 

 眠りに入れないのであれば、とココロネは尋ねる。 突然目を覚まし、分からないことだけだろうに、ただ従順である少年の疑問を聞くのは大切なことだった。


「こ、こころね、のこと」

「私のこと?」


 他人にも自分にも興味がないココロネにとって、その答えは驚きだった。

 少年に対し最低限質問をすることはあるが、それは拾い助けた者としての責任だ。

 それ以上の詮索(せんさく)はしない。

 少年は顔を上げた。 不安げだけれどしっかりとした意志で言う。


「う、ん。 ここ、ろね、のこと、しりたたい、んだだ」


 どうやら、少年はココロネに興味があるらしい。

 

「……そうか。 うん、まあ……いいよ。 おもしろくもなんともないけれど」


 ほんとうに、おもしろくもなんともない話しだ。

 しかしその過去は今のココロネを作っているし、度々過去を思い出すこともある。


「やっ、た」


 少年はココロネの返事に嬉しそうに笑みを浮かべた。

 拭いきれていない涙の跡が頬に残っていて、ココロネはタオルで拭いてやる。


「私はさ、旅人なんだよ。 今はここにいるけれど、いつもは――」


 しんしんと夜は更けていく。 夜らしい静寂のなか、小さな一室の部屋の中で少年の興味深そうな声とココロネの落ち着いた声がだけが聞こえていた。



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