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ココロネの心音  作者: 存此
15/44

3―6


 カレー作りを再開し、順調に進んでいった。

 炒めた野菜と水が入った鍋が沸騰し、アクを取っているところだ。

 地道にココロネはアクを掬った後、お玉を置いて鍋の火を止めた。


 そして、とあるものを取り出す。

 紙に包まれたそれは、広げると茶色い固形物が姿を現す。

 カレーのルウというものでカレー作りの中で一番重要なものだ。

 料理にこだわる者であればスパイスなどを使ってカレーの味を作っていくらしいが、ココロネにその知識はない。 そこで役にたつのがこのルウだ。

 家庭料理をする上で、少しでも楽が出来るようにと作られたもの。

 このルウを材料を煮込んだ鍋に入れることで簡単に味やとろみがつくのだ。


「これを入れるのを任せていいかい? これで一気に出来上がるよ」


 そんなことをココロネが言うがココロネ自身もカレー作りは初めてである。

 すべてはバーのマスターに与えられた知識だ。

 頷いた少年にココロネは茶色い固形物の破片を少年へと渡す。

 少年は慎重にそっと鍋にルウを落とした。


 ぽちゃん、と鍋に沈み込んだルウは途端に溶け出す。

 透明だったスープは茶色に広がり、一気にカレーの匂いが香りだした。

 ココロネは再び火をつけると、お玉でぐるぐると鍋の中を混ぜルウを溶かしていく。


「……うっ、うううっ」


 そこで後ろから(うめ)き声。

 一体何だとココロネは鍋の状態に注意を払いながら振り向く。

 するとイスに座って料理の様子を見ていた依頼人の男が泣いているではないか。


「どこか痛いところでも?」


 (いぶか)しげに思いながらも、一応気を遣ってココロネは尋ねた。

 すると、依頼人の男は勢いよく頭を横にぶんぶんと振り頬に流れる涙を袖で拭う。


「いや……懐かしくてな……この部屋に誰かがいるというだけでも、くるものがあるというのに」

「懐かしい?」


 ココロネの視線は鍋に戻す。


「カレーは母さんの得意料理だったんだ。 オレも大好きでよくおかわりしたものだったよ」

「……それで涙を?」

「母さんは三年前に亡くなっててな。 それまでは一緒に住んでたんだ。 だけど、他に部屋に訪れるヤツなんていなくてさ、この部屋に自分以外の誰かがいる時点で泣けてくるんだ。 なんで、泣けるんだろうな」


 涙する依頼人の男に、ココロネも少年も駆け寄らない。


「さあ……わからない」


 ココロネは目を伏せ、困ったような声音で言った。

 ココロネに親はいない。 旅人であるが故、帰るべき家も存在していない。

 そんなココロネの男の心を理解するのは難しい。


「か、かかなしく、ないいのに、なないてるの?」


 少年もまた理解出来ないように、不思議そうに依頼人の男へと質問した。


「どうなんだろう。 なつかしいという感情は、悲しい感情なのかな」


 依頼人の男の台詞は少年にとってよくわからなかった。

 なつかしくて泣ける、なんていう感情は持ったことがない。

 過去の記憶がフラッシュバックして怖くて泣くことならある。

 けれど、それは違うことであると何となく分かるのだ。


 ココロネはお玉でカレーを掬い上げた。

 良い具合にとろみが出ているのを確認する。 後は味の確認だ。

 小さなお皿にカレーを少しだけ流し込む。

 口に入れて確認すると、まずくはない。 うまいとは思うが、本来のカレーという味が分からないのでこれで良いのかわからなかった。


「味見してみるかい?」


 興味深そうに見ている少年に声を掛け、カレーの入った小皿を渡す。

 少年は興味深そうに小皿に入ったカレーを見た後、ゆっくりと口へと入れた。


「んっ……んんー!」


 口に入れた途端、目を見開き少年は声を出す。


「もしかして、まずかった?」


 ココロネの言葉に少年は首を振り、カレーを飲み込むと勢いよく言う。


「お、おおおいしいよっ! おおいしい! すすっごく!」


 伝えるのにあまりにも必死な姿の少年。


「お、おいし、すぎて、びびびっくりしたん、だ」


 その姿が愛らしく見えて、ココロネは小さく微笑む。

 少年がこれだけ言ってくれているのだ。 味はきっと大丈夫だろう。 上出来とも言える。


「……っ!」


 すると少年はココロネの顔を見て驚いた表情をする。


「? どうかしたかい?」

「う、うううん。 ななんにも……」


 不思議な様子の少年だったが、そう言うなら特に気にしないこととする。


「さて、完成だ」


 洗っておいた器にカレーをとろりと流し込む。 この食器は元々あったものだ。 依頼人の男の母が使っていたものだろう。


「よかったら、君たちも一緒に食べないかい? せっかくの料理だ、一人で食べるのは寂しい」


 依頼人の男の提案にココロネは少し悩む。

 昼から何も食べておらず少年は腹を空かしているかもしれない。

 依頼人の男がそう言うのなら、誘いに乗った方が満足させることが出来るだろう。

 そう考えたココロネは頷く。


「それでは、ご厚意に甘えて」


 依頼人の男、少年、ココロネと三つの皿を用意してそれぞれ盛っていく。 同じ柄の皿は二枚しかなく一枚だけが別のものとなった。

 カレーを器に流し終えると、買い物の際に買ったパンを添える。 念のために多めに買ったのがよかった。 おかげで自分たちもパンと共にカレーにありつける。

 テーブルの上に並べていく皿に盛られたカレー。 その横にはパン。


「おおおー! これはうまそうだ」


 目の前に置かれたカレーを見て依頼人の男は瞳を子どものように輝かせる。

 ココロネと少年も席につく。

 イスも一つだけ足りず、適当な場所から依頼人の男が持ってきた。 そのイスは依頼人の男が座っていた。

 全員が席に着いたのを見ると、依頼人の男はさっそくカレーを口にする。

 じゃがいもににんじん、タマネギ。 牛肉の入ったカレー。

 依頼人の男は口に入れた瞬間、幸せそうに笑みを浮かべて、そして次には顔をくしゃくしゃに皺を寄せた。


「……ど、どうした? もしかして、不味かったか? そうであったなら、申し訳ない。 返金もうけつ――」


 依頼人の男の反応にココロネは慌てる。 味の感じ方は皆違う。 もしかしたら、この男にとってカレーの味とは全く異なるものだったのかもしれない。



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