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「少年、掃除の経験は?」
「な、ななないです」
「そうか」
ココロネもそんなに掃除は得意ではない。
というか、掃除をする必要があるほどの物を所持したことがない。
これならオリバーに料理のレシピだけでなく掃除の仕方も聞いてくるんだった。
そんな後悔をしながら腕をまくる。
「なあ、依頼人。 何が必要で何を捨てるかはあなたが決めるんだ。 そこに座ったままじゃあ何も進まないよ」
腰が引けたままになっていた依頼人の男はココロネの声をにハッと立ち上がる。 それを見たココロネはキッチンへと近づき様子を眺める。 臭いがないのが救いだった。
「いやあ……ここにあるのは、ほとんど捨てちゃって良いな」
「どんどん捨てていくから必要な物があったら先に分けていってくれ。 ゴミ袋はあるか?」
「あっ、ああ。 ちょっと待ってくれ……」
依頼人の男はそう言ってキッチンから離れる。 ゴミなのかそうではないのか謎な山の方へと行くと、がさごそと漁り始めた。
「……んー……どこだったかな。 ここか? ……違うか。 じゃあ、こっちは? ……ううん…」
その間にココロネは持ってきた鞄の中からエプロンを取りだした。
料理をする時に使うため持ってきたものだ。
首にかけ全身を覆うタイプで腰部分にある紐を後ろで結って使う。
そのエプロンはよく見ると色違いでサイズが違うものがもう一枚ある。
「少年、おいで」
どうすればいいのか分からず、もじもじしていた少年をココロネは呼ぶ。
素直に寄ってきた少年にココロネはエプロンを着けていく。
「わ、わっ……!」
いきなりのことだから少年は驚いて声を出す。
それに、ココロネと距離が近い。 ココロネは少年の後ろで屈み腰の紐を結っている。
「……こ、ここれは、なんんの、ため、に……」
少年はココロネと一緒にいることで分かったことがあった。
それは、自分から何か話しかけても怒らないこと。
質問だってちゃんと答えてくれる。
叩きもしないし食事も抜きにしない。
「エプロンだよ。 料理や掃除をする際に自身の体が汚れないために着けるんだ」
ほら、今だってこうやって質問に答えをくれる。
そのことに少年は、嬉しい、と思った。
なんだか心かぽかぽかとして、もっと話してみたい、と思う。
けれど、それは迷惑かもしれない。
初めて会った自分に優しくしてくれる人に嫌われたくはなかった。
「……あ! あったぞ! おーい! あった!」
少年にエプロンを着せ終わりココロネ自身もエプロンを身に纏っていると依頼人の男が声を上げた。
依頼人の男は確かに手に袋を持っている。 一枚ではなくまとまった袋束だ。
それを見たココロネは短い髪を紐で括り、口を開く。
「じゃあ始めようか」
料理をする時間も考えれば、この掃除に時間は割いていられない。
迅速に終わらさなければ。 そう、これは戦いとも言える。
ココロネは吊り目の瞳をいつも以上に尖らせて、掃除に当たるのであった。
依頼人の男はココロネの内心を知らずか、脳天気なのか。
必要なものか捨てるものかを決断するのに時間をかけていた。
一人でぶつぶつと「うーん……いるような……でも……いらない……か?」と続けては、ココロネに睨まれた。
ココロネに睨まれると依頼人の男の動きのスピードは多少上がる。
しかしそれも続かず、時間が経過すればまた動作はゆっくりとなる。
そしてまた、ココロネが睨みつける。
そんなことを何回も繰り返していると、キッチンは少しずつ着実にきれいになっていく。
シンクの中にある数々の洗い物たちは依頼人の男にやらせた。
ココロネが容赦なく捨てようとしたが依頼人の男は「まだ使える!」と退かなかったのだ。
昼に訪れて、辺りが暗くなり夕日が沈み始めた頃。
「お、お、終わったー!」
ようやくキッチンはほどほどにきれいになったといえる。
キッチン周りやシンクにあったゴミは片付けられシンク内にあった洗い物もなくなっている。
ただどんなに擦っても取れない汚れなどが残っていた。
依頼人の男は腕を広げ喜んだ。
ばふんっ、と山になったゴミ袋の山をクッション代わりに体を沈ませる。
「や、やややっと、おわった、ね」
掃除する前とは比べようもなく綺麗になったキッチン。
少年も達成感を感じながらやや興奮気味にココロネへと話しかけた。 ココロネの仕事を手伝えていることが嬉しかった。
「ああ。 これで料理も可能になっただろう」
けれどココロネは心を緩ませない。
だって仕事はまだ終わっていない。
言うのであればここからが本番だ。
「あの、もしあれでしたら料理は明日でも……」
「いや」
依頼人の男は気を遣って提案するが、ココロネは即座に断る。
「依頼日は今日だろう。 それに、日を跨げばまた荒れてしまうかもしれない」
「……それは、確かに……」
ココロネの言葉に依頼人の男は、このキッチンの綺麗さを維持できるか考えてみた。
しかし、そんな自分は想像できない。
面倒くさくていつも通り、ゴミも皿もそのままにしてしまう未来が簡単に見えた。
「カレーは食べられるか、依頼人。 今日はそれを作ろうと思うんだ」
道中で購入した野菜や肉が入った紙袋を手に取りシンクの上に置いた。
「カレー!?」
「ああ。 嫌いだったか?」
驚いた様子で言う依頼人の男。
その反応を見て、ココロネは少し困った。
ココロネは食に対してそんなに興味がなくレシピのレパートリーがない。
今日のために覚えてきたカレーのレシピだってオリバーとバーのマスターと共に考えて教えてもらったものだった。
カレーといえば、一般家庭で作られる定番料理だとバーのマスターは言っていた。
オリバーは「カレーなんてうまいもの嫌いヤツなんていないだろ! がはは!」と言い切っていた。




