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ココロネは目覚めた少年を連れ、はなさき診療所へと向かった。
背負わないで向かうことが出来るのが、なにか変な感じだった。
はなさき診療所の前に辿り着くと、丁度デールじいさんが玄関前にある植木鉢にじょうろで水をやっているところだった。 その植木鉢には赤いチューリップが咲いている。
「こんにちは、デールおじいさん」
ココロネは挨拶をすると、デールじいさんはココロネと少年の存在に気づいた。 そして少年が立っていることに気づき驚いた表情をした後、目を細めて顔一杯に笑顔を咲かせる。
「やあ、ココロネさんとあなた。 ようやく起きたんだじゃのお。 おはよう」
そしてデールじいさんは少年に左手を差し出した。 握手を求めているようだ。
一方少年は怯えた様子だった。 あんなにも信じないと言っていたココロネの背に隠れるようにしている。
「恥ずかしいのかの。 まあまあ、中に入ろうか」
少年の態度に機嫌を悪くすることなく、相変わらずにこやかに微笑んでデールじいさんは、はさなさき診療所の中へと案内した。
デールじいさんは少年を診察する。
そこで気づくのは腕や顔にある傷だ。
「これはどうしたんだじゃ?」
そう言っても少年は何も答えない。 代わりにココロネが事情を話す。
「それは……そうかい。 白魔法を使うかい?」
「使ってくれ」
ココロネは昨日、少年を助けた際に出来た自身の傷はデールじいさんに伝えなかった。
平然としてデールじいさんと会話をしている。
「不思議なもので、あんなにも私のことを嫌がったのに、外では私の影に隠れようとする」
「それは……そうだね。 ココロネさん、あなたしかいないんだろう。 彼の側にいる誰かは」
「でも、少年は死にたがるんだ。 せっかく生かしたのに、それは困る」
「確かにそれは、困ったものじゃ」
「なにか良い案があったりするのだろうか」
「きっと、あるんだろうね。 わしはそれはわからないけれど」
「……あなたでも分からないのなら、私に分かるわけがない」
「そんなことはない。 現に彼は、あなたにくっついていたじゃろ。 わしには会話の一つもしようとしないけれど……ココロネさん、君は彼といる時間が長いだろう?」
「まあ……確かに、そうだが」
「だからココロネさんはわしより彼のことを知っている。 何か出来るとしたら、それは君がやれることじゃ」
「……」
ココロネはどう返事したらいいか分からず、黙ってしまう。
だって、無理だと、思う。
ただ生かすことは簡単だ。 自殺しないよう見張って、食事をやり、眠る場所を与える。
けれど、自殺しないようにするということは、死のうとしない理由がないと。
ココロネは今まで自殺しようとしたことがないのだ。
だからって、前を向いて希望を抱いて生きている訳でもない。
ただ、生きているから、生きているのだ。
死ぬ理由がないから。
もし、生きている理由もないのに、死ぬ理由があるのなら、死のうとするのも納得出来る。
少年に生きてもらうには、生きる理由を作るか、死ぬ理由をなくしてもらわねばならない。
それをココロネはどうすればいいのか。
分かるわけがない。
「また怪我をしたら、いつでもおいで。 痛いのは、かなしいことだから」
デールじいさんはココロネと少年を見て優しく言った。
「そういえば、あなた。 名前はあるかい?」
最後にデールじいさんは少年へと尋ねる。
「……そ、そそそんな、の、ない」
はなさき診療所を出ると二人は賑やかな街中を歩いて行く。 会話は特にない。
少年はココロネの少し後ろを歩き、辺りを興味深そうにきょろきょろと見回している。
それを見たココロネは少年を連れ、一つの露店の前へと行く。
その店は、丸くて真ん中に穴があるドーナツ屋さんだ。 茶色のドーナツは砂糖がまぶしてあって、見ただけでも甘そうである。
ココロネはこの食べ物に特に興味はない。
けれど、少年はじっとドーナツに注目していた。
「揚げたてでおいしいよ!」
店主は張り切った声で言うと、小さく切り分けられた試食用のドーナツが入っている入れ物を差し出してくれた。
「ほら、食べてみな」
店主の言葉にココロネは入れ物から二つのドーナツを取り出すと、一つを少年へと渡す。
ココロネは手にしたドーナツを口にする。 さくりとした食感に砂糖と生地の甘さが口の中に広がった。
少年は与えられた食べ物を簡単に口にしようとはしない。
ココロネが少年に与えた食事を一口食べてみて、もう一度促すと、食べ始める。
毒味が必要ということだ。
ココロネがドーナツを食べた所を見届けた少年は、自身も小さなドーナツの破片を口の中へと入れる。
すると一瞬驚いたような表情をして、次にはささやかながら笑みを浮かべた。
「一つくれ」
その反応を見たココロネは少年用に一つドーナツを購入した。 まだ温かいドーナツを少年へと渡すと、ひどく驚いた表情をする。
「ぼ、ぼぼぼくに?」
「それ以外に何がある」
露店から離れ、再び道を歩き出す。 特にすることもないのでエイミーへと帰るだけだ。
少し後ろを歩く少年を見ると、前も見ないでドーナツをじっと見ている。
なぜ食べないのだろう、と思ったが毒味を忘れていたことにココロネは気づく。
ココロネは立ち止まり、後ろを振り返る。
急に止まったことに疑問を抱いている少年。
ココロネは体を屈ませ、少年の持っているドーナツへ齧りついた。
同じ味のものを購入したから味見したもの味はそう変わらない。
しいて言うなら揚げたてのおかげで温かいし、さくさくの食感が更に増している気がする。
少年はココロネの行動に驚いている様子だった。
いきなりのことだったから体を固まらせている。
「驚かせたか、悪いね」
その謝罪に少年はぎこちなく頷く。 そして、そっと一口囓られたドーナツに口をつける。
少年は口を緩ませた。 ドーナツが甘かったから。 温かくて、甘い。 そんな食べ物は、食べたことがなかったから。 外はさくさく、中はしっとり。 こんなにもしあわせな食べ物があるのだと、少年は初めて知った。
そんな甘い食べ物を与えてくれたのは、ココロネという人だ。
「こ、ここころね」
少年は拙い言葉でココロネの名前を呼んだ。
少年は少し気になっていたことがあった。
「うん?」
ココロネは返事をすると少年は、少しの間黙って、そして思い切ったように口を開く。
「な、なななんで、こ、こころね、も、け、が、してるのに、なおさなか、ったの」
少年は白魔法という治療を受けるのは初めてだった。
と、いうかちゃんとした怪我の治療を受けたのが初だ。
だから驚いた。
しかし同時に疑問を抱いた。
ココロネはぼくを助けようとした時に怪我を負った。
それなのに治療を受けなかった。 それが、よくわからなかった。
治せるのなら怪我は治すべきだ。
痛いのは、つらいのだから。
「ああ、別にいいんだ」
ココロネはなんてことのない事のように言った。 少年は更に理解が出来なかった。
「放っておけば治るし、痛いのは慣れている」
その言葉は矛盾している。
それなら、少年も当てはまる。
それなのに、ココロネは少年を治療させた。
「じゃ、じゃあ……な、なんで……ぼ、ぼぼくを……」
「痛いのは嫌だろう?」
やっぱりおかしい。 痛いのは嫌なことだと分かっているのに、なぜなのか。
しかし、わかったこともある。
ココロネ自身は治療を受けないのに、ぼくにはわざわざ治療を受けさせてくれた。
それはきっと、ほんの、ほんの少しくらいは、ぼくを、気に掛けてくれているんだ。




