竜騎士様の最愛花嫁(1)
王宮図書館で、返却された本を書架に戻していると、若い女性の声が聞こえてきた。
「ねえねえ。今度、王都竜騎士団の師団長に英雄竜騎士様が就任されるらしいわよ」
「え? まだ若いわよね?」
「たしか、22歳。それで、今度の叙勲式で爵位も賜るんじゃないかって──」
「えー! 知り合いになれないかしら」
そちらを見ると、社交界デビューしたて──10代半ば位の貴族令嬢ふたりが盛り上がっている。
「図書館ではお静かにお願いします」
私は彼女達に近づくと、静かにするよう注意をする。
一瞬静まりかえったのも束の間、その場を離れるとまた背後から話し声が聞こえてきた。
「何あれ。感じわるっ」
「私、あの人知ってるわ。行き遅れの没落令嬢で、実家が借金まみれだからここで働いているって──」
「あんなに地味で堅物じゃ、求婚なんてあるわけないわよ」
くすくす笑う声も。
24歳になっても結婚する気配が全くなく、司書として働く自分が『行き遅れ』と陰で噂になっているのは知っている。
私ははあっとため息をつき、聞こえないふりをした。
◇ ◇ ◇
「あー、今日も疲れた」
仕事を終えて自宅に戻ると、私は質素なベッドに倒れ込む。
視界に映る天井には、ボロボロの職員用宿舎の小さな個室を照らすランタンがひとつ、ぶらさがっている。
「英雄竜騎士様、か……」
私、エレオノーラ=レガーノは、レガーノ子爵家という裕福な子爵家の長女として生まれた。
レガーノ子爵家は3代前に魔法石鉱山を発見して大富豪になり叙爵された新興貴族で、当時、私は何不自由ない生活を送っていた。
レオ、彼女達が噂していた英雄竜騎士ことヴァレリオ=ボローニとの出会いは、私が10歳、彼が8歳のときのことだ。
『今日はお父さんの取引先の方がご子息を連れてくるから、エレンがおもてなししてくれるかい?』
そう言われた私は、『うん!』とはりきって返事する。どんな子だろうと楽しみに待っていた私の目の前に現れたのは、とっても綺麗な顔をした可愛い男の子だった。
『はじめまして。エレオノーラです』
にこりと笑って挨拶する私に対して、人見知りだったレオはふいっとそっぽを向く。
むむっと思い、めげずにもう一度話しかける。
『一緒に遊ぼう』
レオは少し迷うような様子を見せたものの、今度は『うん』と頷いた。
レオのお父様は、その後も頻繁にレオを私の屋敷に連れてくるようになった。
私達が婚約したのは、私が14歳、レオが12歳になったときだ。魔法石鉱山を所有するレガーノ子爵家と、代々優秀な魔法使いを輩出するボローニ子爵家。所謂、政略結婚だった。
めでたいことだと喜ぶ両家の両親に対し、レオの表情は固かった。
(もしかして、レオはこの婚約が嫌なのかしら?)
ふたりになったタイミングで何と声をかければいいか逡巡していると、先に口を開いたのはヴァレリオだった。
「嫌じゃないのか?」
ぽつりと呟く声が聞こえた。
「嫌じゃないわ。レオのこと、好きだもの」
私ははっきりと答える。
レオは弟みたいで可愛い。
きっと、一緒に暮らしても仲良くやっていけると思った。
一方のレオは驚いたように、目を見開いた。
「そっか」
レオはふいっと顔を背ける。そして、それっきり黙り込んでしまった。
レオがキエル魔法学校に入学することになったのは、その翌年のことだ。
キエル魔法学校は世界最難関の全寮制魔法学校だ。レオの両親も私の両親も、この入学を大喜びした。
私もそのひとりだ。
入学のために旅立つ日、私はレオを屋敷まで見送りに行った。
「エレン。君にふさわしい男になって絶対戻ってくるから、待っていて」
「うん」
頷く私に、レオははにかむような笑みを見せる。
そんな私達だけど、頻繁にやりとりしていた手紙は徐々に減ってきて──。
7年前にぱったりと途絶えた。
「あれから10年か。もう私のことなんて、忘れちゃったんだろうな……」
口から漏れた言葉は、シーンとした部屋に溶けて消えた。
◇ ◇ ◇
その手紙が届いたのは、そんなある日のことだった。
王宮図書館のカウンターに座って事務仕事をしていると、王宮内で文官をしている幼なじみのステラがやって来た。
「やっぽー、エレン。これ、どうぞ」
「私に?」
誰だろうと思って差出人を見ると、『ヴァレリオ=ボローニ』の文字が。
懐かしい名前に、ドキンと胸が跳ねる。
(7年も音信不通だったのになんで今頃?)
訝しく思いながらも中身を見ると、中には叙爵式と祝賀会の案内が入っていた。
『エレンへ
連絡が遅くなってすまない。
今度の人事異動で、王都竜騎士団に団長として着任するため王都に戻ることになった。
また、次の叙勲式では魔法伯の爵位を賜る予定だ。叙爵式典と祝賀会に同席してほしい。
レオ』
(婚約していること、覚えていたんだ)
まず、そのことにびっくりした。
「やっと戻ってきてくれて、よかったね」
レオと私の関係を知る数少ない友人であるステラは笑顔を見せる。
「うーん……」
レオは10年の間に首席で魔法学校を卒業して、難関の竜騎士団に入団した。その後もめざましい活躍を遂げ、先の魔獣討伐での功績で『英雄竜騎士』と呼ばれるまでになった。
かたや、レガーノ子爵家はレオがキエル魔法学校に入学して程なくして手を出した事業に大失敗して、没落の一途を辿った。既に魔法石鉱山は手放し、今や爵位を手放すかぎりぎりの実家に、私は仕送りする日々だ。
(いつの間にか、遠い人になっちゃったな)
「エレン?」
考え込んでいると、頭上から声がした。ハッとして顔を上げると、ステラが訝しげな顔でこちらを見ている。
「あ……ありがとう、ステラ。返事書いておくわ」
「うん、お願い。じゃあ、またね」
ステラはにこっと笑って、私に手を振る。その後ろ姿を見送ってから、もう一度手元の手紙に視線を落とした。
ふと、自分の質素なワンピースが目に入る。
先日『地味な年増の行き遅れ』と笑われたことを思い出して、自分が恥ずかしくなった。
政略結婚とは、お互いの家の利害関係が一致して初めて成り立つ。没落したレガーノ子爵家の娘を迎え入れても、ボローニ子爵家にはなんの利益もない。
むしろ、行き遅れ没落令嬢の私を妻にすることは、彼にとっての汚点になるだろう。
私は悩みながらもペンを進める。
まさか、この手紙があんな事態を引き起こすとは夢にも思っていなかったのだ。
◇ ◇ ◇