前編
他の小学校はどうか知らないが、少なくともここ入野小では、クラス替えに先生方の意思や意図は含まれていると思う。
その根拠は、双子の弟である僕――弥生と、姉の三月が一度も同じクラスになったことがないからだ。今はともかく、昔はずいぶん見間違えられたから。ようするに混乱を避けるためだと思う。
とまあ何が言いたいのかといえば、クラスが違うので、日によっては校内で会うこともなく、家につくまで顔を合わせない日もよくあるということだ。今日のように。
図書委員の仕事で遅くなってしまった。いつもは授業が終わるとすぐ帰るので、児童の少ない校内はちょっと新鮮だった。同じ委員の友人と別れて、心地よい疲れとともに家路につく。ちらりと校庭を見たけれど、遊びまわっている姉の姿は見えなかった。もう家に帰ったのだろう。
学校から家まで徒歩十分たらず。木造二階建ての我が家にたどり着いた。車通りの多い県道に面しているが、玄関は奥にあって車道からは目立たない。僕は玄関に向かって、異変に気づいた。
玄関前に、似合わぬ腕組みをしながら所在なさげに、姉の三月が立っていたのだ。急に、日差しが暑くなった気がする。
なぁんか、やな予感をひしひし感じた。どのくらいかと言えば、「感じ」が重複してしまうくらいの、やな感じである。
「あ、弥生。鍵持ってない?」
僕の姿に気づいた姉が、おかえり、の言葉もなく尋ねてきた。えっ、ちょっと待て。
「鍵って、まさか家の鍵のこと? それって確か、朝お姉ちゃんが預かっていたんじゃ……」
やな予感が的中してしまった気がする。
「だよねー。やっぱそうだよねー」
「……まさか、なくしたんじゃないよね?」
返事がない。ただの屍の……じゃなくて、
「どーするのっ。このままじゃ家に入られないんだよ! 明日も明後日もっ」
話は数日前にさかのぼる。
「え? お父さん、週末に出張なの?」
その話を初めて聞いたのは、父からではなく、母の口からだった。学校から帰って冷蔵庫の麦茶を飲んでいるときに、隣で人参を切っていた母が何気なく言ったのだ。
「珍しいね。休みの日に出張しても、出張先の会社は休みじゃないの?」
「そーなの? あたしそーいうのあんまりわかんないから」
姉にしろ、この母親にしろ、あまり物事を考えないたちである。
「で、話は変わるんだけど、このあいだ学生時代の友達と話しててね。週末に旅行でもしようかって、ことになったわけよ」
母の年齢は二十九歳。つまり、十八歳で僕たちを出産したわけで。「おくさまは女子高生」どころか「ママは女子高生」を実践した強者だ。その高校時代の友達はほとんどが独身で、ばりばりOL生活を満喫しているらしい。
そう考えると、同い年の母も、まだまだ遊びたい盛り? なわけで。むしろ今まで育児放棄されなかった(たぶん)ことに、感謝しなくてはいけないかもしれない。
「ま、あたしもたまにはいいかな〜ってOKしちゃったんだけど、そーしたら、同じ週末におとーさんの出張の話でしょ。先に言っておけばよかったんだけど、言いそびれちゃって」
姉にしろ母親にしろ、いい加減なところがある。――まぁ双子の片割れと、産んでくれた人ではあるんだけど。
「任しておいてっ」
意味もなくVサインをして現れたのは、ランドセルを背負って帰宅したばかりの、その姉、三月だった。
「私たちは、もう六年生。来年には中学生よ。ついでにお母さんは三――」
たまねぎが飛んできた。
「ともあれ、留守番は任せてよ。二日ぐらい余裕だって」
「助かるわ。正直心配だけれど。――あと、このことをほかの人に言いふらしたらダメだからね。あたしだって体裁ってものがあるんだから。旦那がいないときに子供をほったらかして旅行に行った、なんて知られたくないからね。おとーさんにも秘密よ。できる?」
「へっへっへ。それでしたら、それなりのモノを用意していただきませんとねぇ。お代官様?」
「そりゃぁもぉ。二日分の食料とお菓子はたんまりおいて置かさせていただきますわよ。越後屋さん」
あぁ、母と姉が悪巧みを共謀している。お父さんも可哀想に……なんて他人事のように聞いていたら、姉が僕に向かって言ってきた。
「――ってわけで、もちろん、弥生も問題ないわよね?」
そうだった。この計画には僕の協力も不可欠だったのだ。
「えっと、うん。大丈夫」
隠し事への後ろめたさと、姉と二人きりという不安もあったけれど……それ以上に一日中、いや二日続けて、お菓子食べつつゲームし放題なのは、あまりに魅力過ぎだったのだ。
――ごめんなさい。お父さん、弥生は悪い子になりました。
それが数日前の話。そして今朝、何も知らない父親は、いつもより少し大きめのカバンを持って、いつもより少し早めに、出張先の九州へと家を出た。帰ってくるのは月曜日のお昼頃だと言う。
父が家を出たのを見計らって、母は姉に合鍵を託した。母親は僕たちが学校に行っている時間、正午ぐらいに出発し、現地で友人たちと合流するそうだ。こちらに帰ってくるのは日曜夕方の予定とのこと。
いくらあの母親でも、玄関の鍵は、しっかりかけて出発していた。つまり鍵、今朝姉が母から受け取った合鍵がなければ、日曜夕方まで、僕たちは家に入ることができないのだ。
さて、どうする?
一戸建ての我が家の南には、庭をはさんで県道があり、西にはお隣の内山さんち、北と東はただっ広い、畑が広がっている。ちなみにこのあたりの畑は父方の祖父の土地らしく、この家の敷地も祖父から借りている。つまり父はなにげにおぼっちゃま(次男坊)であり、土地代もかからなかったので、マイホームが建てられたわけである(もちろん、ローン付きだけど)。
僕たちは県道の反対側、人気のない北の裏庭に移動して作戦会議を開いた。
「聞くまでもないだろうけど、一階の窓の鍵は全部チェックしたよね?」
「とーぜんっ。全部しまってたわよ」
姉が胸を張る。別に威張れることじゃない。
僕も確認したが、居間台所からトイレお風呂の窓に至るまでカギかかかっていた。いくら旅行に行くからって、僕らが信頼されていないみたいで、ちょっと残念。お姉ちゃんはさておき、僕だっているのに。
とにかく、このままでは家に入ることはできないのだ。
残念なことに、こういう日に限って姉はお菓子を持ち出してはいない。所持金も、姉が持っている小銭、362円のみ。
役に立ちそうなものは、同じく姉の持つ携帯電話くらいだろうか。ちなみに、僕は携帯電話を持たないかわりに、自分用のパソコンを持っている。適材適所というやつだ。
「携帯? それで電話して、お父さんかお母さんを呼び戻すつもり? 現実的じゃないと思うけど」
姉に言われたくないが、仕方ない。お父さんは仕事中。抜け出せるものだろうか。そもそも九州は遠すぎる。お母さんは? 行き先は聞きそびれたが九州よりは近いだろう。しかしあの母である。遊びと子供、どちらを選択するだろうか。
子としては選ばれなかったら、正直へこむ。だが帰ってきてくれたとしても、せっかくの旅行を邪魔された母から、恐怖のお仕置きが待つのは必然。実験と称して捨てずに置いてある、賞味期限の切れた二十世紀の缶詰を食べさせられるかもしれない。
「あ、でもどうせ電話するならさ、鍵屋に電話したらどうかな。ほら、鍵は鍵屋ってやつ? 電話番号わかんないけど、弥生なら調べられるでしょ。ネットとかで」
そう言って姉は、野球のバットとボールのストラップが付いた、ライトブルーの携帯電話を僕に渡した。姉は通話とメールのみで、携帯の機能を使いきっていないのだ。
何度か借りている姉の携帯電話を操作しつつ、ふと思う。
「でも、業者に頼んだらお金が必要なんじゃないかなぁ?」
「家に入れれば、どっかにあるでしょ」
「どっか、ってどこ?」
「分かってたら、こっそり抜き取って、いろいろ買ってるに決まってるでしょ!」
そうですか……
僕は携帯を閉じた。
これはボツだ。さすがにお金がなく即逮捕ってことはないだろうけど、保護者に連絡されるのは間違いない。それすなわち(以下同文)。
携帯を返そうとしたら、姉は、お隣さんの家を見上げながら、何かを考えている様子だった。僕の視線に気づいて、言った。
「隣の内山さんちを上って、二階から入れないかな? 内『山』だけに」
誰がうまいことを言えと言った。
内山さんの家の裏には車庫があり、トタンの屋根で覆われている。今自分たちがいる裏畑から、内山さんちと我が中島家を仕切るブロック塀をよじ登れば、その屋根まではある程度楽にたどり着ける。トタン屋根は内山さんちの一階の屋根と隣接していてかつ同じ高さだから、簡単に移れる。あとは屋根沿いに歩いていけば、我が中島家の一階の屋根との距離は、一メートルほど。僕なら怖くて無理だけど、運動神経の良い姉なら十分跳び移れる距離だ。
けれど、もし失敗して屋根から落ちたら、怪我するのは間違いない。下手すれば死んでしまうかもしれない。そもそもそれ以前に、
「二階の窓の鍵が開いていなければ、意味ないよね」
「うん。それが問題なのよねー」
少なくとも僕の部屋は閉めてある。姉の部屋は知らないが、その反応からして、閉めてあるのだろう。
「あーあ。私がもっと女の子らしかったらよかったのになぁ」
「なんでそこで女の子が出てくるの?」
「だってほら。漫画とかでさ、よくヘアピンを使って鍵を開けたりするじゃない。私、ヘアピン持ってないからねー」
「……鍵開けが女の子らしいの?」
「弥生は持ってないよね、ヘアピン?」
「……それ、どういう意味……」
女装疑惑はトラウマがあるので、そういう話題はやめてほしい。あと言わせてもらえば、双子の姉がブルー系を好むため、弟の僕にピンク系が回ってくるのも勘弁してほしい。
なんてことをやっているうちに、空が夕焼けに染まってきた。心なしか、今まで涼しかった風も冷たく感じ始めてきた。
前後編にするほどの作品じゃないですが、少し長くなりそうなので、こうなりました。たいしたオチは待っていませんので、そのおつもりで・・・