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夏の終わりに その七

 十分ほど車を走らせた俺たちは、近くにある山の展望台に来ていた。時期になると、バイカーたちが訪れるらしいが、平日のこんな時間に来るような人は誰もおらず、俺たちは二人だけ。街を見下ろしていた。

 少し話をしよう。それを了承したはいいが、相変わらず話題が見つからない。俺たちがここへ来てから既に数分が経っている。車の中も合わせるともっとだ。その間、二人とも一切口をきいていない。

 何を、話せばいいのか。そればかり考えていたが、そんなこと考えるまでもなかった。今、俺が美緑と話すこと。そんなもの一つだけしかないのだから。だが、その勇気が中々出ない。結果として、俺たちは数分間黙り込んでしまっている。

 二人で無言のまま、隣り合って街を見下ろしていると、美緑が徐に口を開いた。


「雄二さん、いつからですか?」


 何が、と聞くほど俺も空気を読めないわけではない。明確な答えがある質問。だが、中々口を割って出てこなかった。

 幾ばくかして、漸く声を出せた。


「……最初から。ちょうどお前と付き合い始めた、あの日から」

「そうですか……」


 核心的なワードは何一つ出ていない。傍から見れば意味不明な会話だろう。次に美緑は何を言うのか。考えて分かるものではないが、ある程度の推測はできる。どんな質問をされようと正直に答えよう。どんな罵声を浴びせられても、真剣に受け止めよう。しかし、次に待っていた言葉は予想だにしないものだった。


「知ってました」

「え?」


 知っていた……?なにを?考えるまでもない。今の俺の回答だろう。じゃあ、それはいつから?ほかにどんなことまで知っているんだ?そもそもどこで知った?一度生まれた疑問はそう簡単には消えてくれない。さっきまでは回答者だったはずなのに、いつの間にか俺は質問をしたい衝動に駆られていた。しかし、今はそれをグッと堪える。今は、美緑のターンだ。

 自分の心を落ち着けて、次にくる言葉を待つ。美緑は、やはりこちらを見ず街を見下ろしていた。


「さっき京子ちゃんと会ってました」

「京子と?」

「そこで、全部聞きました」

「そうか……」


 その言葉で先程の俺の疑問はすべて解消された。美緑は言葉を続ける。


「京子ちゃんに謝られました。ごめんって、泣きながら」

「え?」


 それを聞いてまず初めに浮かんだのは疑問。どうしてお前が謝る?どうしてお前が泣く?そして次に湧き上がってきたのはどうしようもない怒りだった。確かに、あの日も京子は自分のせいだと言っていた。意外だった。普段頭のおかしな言動ばかりが目立って、無責任なやつなんだと思っていた。でも違う。今回ばかりは話が違う。友達が関わっているから。あいつは、友達を大事にする奴だった。友達が泣けば一緒に泣き、友達が怒れば一緒に怒る。人並み以上に共感し、友達が何かされればそれを放っておくようなことは絶対にしなかった。それは、俺に対してもそうだったはずだ。

 俺は、それを忘れていた。あの時、京子に話すべきじゃなかった。あの時、京子に手伝ってもらうべきじゃなかった。京子を泣かせたのは、俺だ。俺は今、後悔と自分に対する猛烈な怒りを感じていた。

 しかし、今は違う。今、目の前にいるのは京子じゃない。美緑なのだから。


「それを見て、私決めたんです。もう逃げないって。一度ちゃんと雄二さんと話そうって」


 美緑の話はまだ終わっていなかった。遠くを見据えながら、話を続ける。


「でも、ダメでした。家に帰ると雄二さんがいて、駐車場に着いた時も、また逃げた。雄二さんがどう思っているのかが怖くて、本当は違うんじゃないかって希望を持ちたくて」


 何も言えない。いや、美緑自身も俺の相槌など必要としていないのだろう。だけど、なんださっきから感じるこのもやもやは。今にも壊れてしまいそうな美緑の表情を見るたびに走るこの気持ちは。


「だから、もうこれで最後です。次があってもどうせ逃げてしまう。だから、もう逃げようがない今が、これが最後です。雄二さんがどう思っているのか聞かせてください。私も、きちんと自分の言葉で伝えますから」


 振り向いた美緑の目は、儚く揺れながらも、きちんと意志の光を灯していた。振り向いた時に一緒にふぁさっと揺られた髪から感じる美緑の香りが鼻腔をくすぐった。そんなことにすら懐かしさを覚えてしまう俺は末期なのかもしれない。


「雄二さんにとって私って何だったんですか?」

「……美緑は彼女だ」


 その追及に、俺は逃げるような答えを口にしてしまった。


「……雄二さんにとって私は都合のいい女じゃないんですか?」

「ちが」

「違くないです!雄二さんにとって私は三人いる彼女の一人。ただ、自分を好きな女の一人ってだけなんじゃないですか?」


 咄嗟に出そうになった否定の言葉を、被せるように否定してくる。……確かに、そうだ。美緑の言っていることは何一つ間違っていない。俺自身、自分の気持ちなんてよく分かっていなかった。急に彼女が三人もてきて、自分でもわけわからなくなっていた。彼女を作ることが目的だった。好きな人ではなく、彼女というものが欲しかったんだ。その結果、今、俺は一人の女を傷つけている。


「雄二さんは、どう思ってたんですか?雄二さんはどうしたいんですか?雄二さんの気持ちを、聞かせてくださいよ……」


 涙がはらりと零れ落ちた。風に吹かれて、少し落下点のズレた水滴は地面に落ち、すぐに乾いた。


「私は、雄二さんが、好きです」


 今にも崩れ落ちてしまいそうな、そんな儚い少女を見て、気づいた。


「美緑」

「……はい」


 呼びかけると、少し間をおいて応えた。


 家を出たときから、今の今まで分からなかった、その感情の正体。美緑を見て感じた、締め付けらるようなあの痛みも、もやもやも、どうして分からなかったのだろう?今となってはそれが別の疑問となって浮かび上がってくる。それほどまでに単純明快な答えだった。



「俺と、付き合ってください」



 俺は、美緑に恋をしていたんだ。

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