夏の終わりに その三
俺は今、向かい合っている。二人っきりの空間で。そう、二人っきりだ。人妻と、二人っきりなのだ。
「何か、飲みますか?」
「あ、じゃあ、はい……」
少し気まずい空気が流れる中、ここまでの経緯を思い返す。
「ここが僕の家だよ!」
康太君がそういって案内してくれたのは、普通の一軒家だった。いや、普通よりは少し大きいくらいか。先程から、康介君は俺のことをチラチラと見てくる。
「康太って、兄ちゃんと知り合いだったのか?」
どうやら、俺たちが初対面じゃないのを見て不思議に思っていたらしい。
しかし、説明してやる義理などない。
「自分で考えるんだな」
「考えて分かるもんじゃないでしょ!」
意外と頭がいいらしい。まさか、そのことに気が付くは。隣で康太君は、必死に頭を働かせていたというのに、康介君の発言を聞いてから、ハッとしたように顔を上げた。いや、君は考えなくても分かるだろ。
「とりあえず中に入りましょう」
お母さんが、鍵を開けて促してくる。
それから、どういう経緯で会ったとかを康介君に説明しつつ、お母さんが何やらボードゲームを持ち出してきた。子供以上に遊びたがってるなこの人。
「それ、何なんですか?」
俺が聞くと、お母さんはよくぞ聞いてくれたと嬉しそうに話し始めた。
「これは、人生のどん底からスタートし、ゴールまでに巨額の富を得るか、あるいはさらなる地獄に突き落とされるか、最終的な所持金を競うすごろく。人生大逆転ゲームだよ」
「カ〇ジかよ」
道中で少しだけ距離の近づいたお母さんは、砕けた口調で説明してくれた。
てか、子供になんつうゲームやらせようとしてんだよ。
「今度こそは堅気な仕事に就くぞー!」
「俺だって!もう臓器なんて売らないからな!」
「お、おう」
あまりにも元気なその様子に一瞬言った内容をスルーしてしまうそうになった。凡そ小学生の口から、何よりあんなに元気よく言う言葉ではないと思うんだけど。
しかし、そんな事は誰も気にして様子はなく、有無を言わさず始まってしまった。
じゃんけんで俺の番から始まる。ほとんど運で決まるゲームだ、気負っても仕方ないだろう。軽くルーレットを回しすと、出た目は四、自分の駒を前に進める。近くにいた、康太君が、そのマスに書いてあることを読んでくれる。
「黒いノートに名前を書かれる。心臓麻痺で死亡」
「デ〇ノートかな?」
「あー、兄ちゃん死んじゃったね」
「え、死んじゃったの?これどうなるの?」
どうしていいか分からないでいると、康介君が俺の駒を場外へはじき出した。
「何してくれてんねん」
「いや、兄ちゃん死んじゃったじゃん」
「え、なに、終わり?」
俺が聞くと、三人は真顔でゆっくりと首を縦に振った。
「クソゲー過ぎない?」
しかし、死んでしまった俺のことなど気にする素振りなど一切見せずに、客である俺を放って三人で盛り上がり始めてしまった。
そこに俺の入る余地などあるはずもなく、唯一人の観客として、途中ヤジを入れながらも、俺はそのゲームを見続けていた。
結果的に、お母さんが二人から金を巻き上げてぶっちぎりの優勝。大人気ねぇ……二人は悔しがりながらも、そのことに文句を言わず受け止めていた。この年でよくできた子供たちである。
それから程なくして、二人は眠ってしまった。どうやら疲れてしまったらしい。故に俺は今人妻と二人っきりなのだ。正確には寝息を立てている坊主が二人いるが、そんなもの今このタイミングにおいて関係ねぇ。
「コーヒーでいい?」
「いや、コーヒーは……」
と、そこまで言ってから思い出す。以前会った時に、別れ際にコーヒーを大好物の欄に追加するだのと言ってしまった気がする。めちゃくちゃ否定しづれぇ。
「ふふっ、冗談よ」
「え?」
「コーヒー、飲めないんでしょう?」
「ええっと、」
俺が困っていることに気が付いたのか、冗談だとクスクス笑う。どうやら、この前の強がりは気づかれていたらしい。大人の女こえぇ。バツが悪くて目を逸らしていると、あまり香りのするマグカップを目の前に置いてくれた。
「ココアは大丈夫?」
「大好きです!」
「この前、康太が飲んでいたココア羨ましそうに見ていたものね」
「うっ……」
見られていたのか、それを自覚した瞬間になんだか恥ずかしくなる。目の前の女性は、バカにするでもなく、ただ慈愛に満ちた顔で微笑みかけてくる。やりづらい……。
「今日は、ありがとうね。いや、今日もってとこかしら」
「俺速攻で退場したんで見てただけなんすけど」
「そうね、でも、あの子たち楽しそうだった。あなたが盛り上げてくれたから、二人もいつも以上に楽しそうだった。滅多にないのよ?遊び疲れて寝ちゃうなんて」
そう言って、ソファで寝てしまっている二人を見てほほ笑んだ。
「まあ、確かに、お母さんもすげー生き生きしてましたよね」
「もう、それは忘れてっ」
そう言うと恥ずかしそうに頬を赤らめた。
おい、なんだこの可愛い人は。本当に二児の母なのか?
「それと、沙織って呼んで」
「っ……」
お母さん、いや、沙織さんは、上目遣いで俺に懇願してきた。おい、ちょっと待て。これは、どういうあれなんだ。マジで俺誘われてるのか?え、息子の前で?俺、口説かれてんの?俺が動揺でうまく頭を働かせられていないと、続けてこう言った。
「二十歳の子にお母さんなんて、なんだか恥ずかしいわっ!」
あ、ああ、そういう。両手を頬に当てて、きゃっと可愛らしい反応を示してくれた沙織さんだが、それを見てなんだかこういう人なんだな、と冷静にさせてくれた。数年前はさぞかし男を勘違いさせてきただろう。正直、この人が結婚していなかったら俺も勘違いしているところだった。危ない危ない。過去の男どもよ、どんまい。




