バイト先の女
俺は家の近くのカフェでバイトをしている。俺に彼女ができた翌日、いろいろと考える時間が欲しくはあったが、シフトも出てしまっているのは仕方がない。それに、もしかしたら気分転換にもなるかもしれない。
すると、若い男女が入店してきた。早速仕事の時間だ。
「いらっしゃいませー、お客様はどちら様ですか?」
「え?」
「開いてるお席へ何名様ですか?」
「はい?」
「三名様のお帰りでーす!」
「今入ったばっかなんですけど!?」
「ありがとうございましたー」
「全く聞いてねぇなアンタ!」
少しぼーっとした状態で接客をしていると、奥の方から店長が急いで駆け寄ってきた。
「ちょ、ちょっとちょっと!何しているのさ栄君!」
「接客ですが?」
「あれ接客のつもりだったの!?」
何をそんなに焦っているのだろうか。そして、このお客様はいつまでここにいるのだろうか。開いている席へ行けって言ったはずなんだけどな。
それからなぜか店長は客に謝って、客も苦笑いを浮かべながら俺の方をチラッと見てくる。ガンつけてんじゃねぇぞ。
漸く席へ着いたか。
「困るよ栄君」
「本当に困りますよね、あんなふうに駄々をこねるお客さんって」
「駄々はこねてなかったよ!?」
「まあ営業妨害みたいなもんでしたよね」
「それは君だよ!?」
眼鏡をかけたヒョロガリの幸薄そうなこの人が、ここの店長だ。優しそうな見た目通り内面も優しく、俺自身あまり怒られたことはない。
「聞いてる?今君に言ってるんだけど」
「もちろんです。最低ですよね。ああいう人種って」
「やっぱり聞いてないね!」
珍しくテンションの高い店長を見ると俺まで元気が出てきた。もしかしたら俺が少し考え事をしているのを見破って、無理にでもテンションを上げてくれているのかもしれない。
「店長ありがとうございます!俺元気出ました!」
「僕励ましたつもりないんだけど、むしろ怒ってるんだけど」
「よーしやるぞ!」
よし、まずは皿洗いでもやるか。
ん?これは何だ?とりあえず、全部洗っとけばいいだろ!
パリン!パリン!
「え、栄君?何やってるの?」
「あ、店長!皿洗いしてます!」
パリン!パリン!
「すっごい割れる音聞こえるんだけど!」
「なんかコツ掴めてきました!」
「え、どこが?」
「ほい!ほい!」
俺の掛け声とともに小気味いい音を立てて割れていく皿。
なんか、楽しくなってきたぜ!
「やめて、これ以上お店の物壊さないで!」
慌てて止めに入った店長を不思議に思いながらも、少し休憩をしろと言われたので休憩室に入る。
わーい、休憩だー!
しかし、この俺の気持ちも一瞬で静まることとなる。
勢いよくドアを開けると、そこには先客がいたようだ。
「あ、先輩」
そこにいたのは少しあどけなさの残る顔立ちと、少しだけ大人っぽさを醸し出したハーフアップの髪。そのアンバラスな雰囲気が妙な魅力を引き出している。座っている今では分かりにくいが、背丈は俺の肩くらいで丁度いい位置に頭があった気がする。俺の一つ年下で、少し前からここで働くようになった後輩、八田美緑。つい昨日、俺の彼女になった女の一人である。
なんか変な脳内物資が出ていたのだろうか。さっきまでの奇行をようやくおかしいと認識できるようになる。……あとで店長に謝っておこう。
そして、その謎の物質が切れて冷静になったせいか、今はこの女と二人で話すのは少しだけまずいことを悟る。
まだ何も頭ン中で整理できてないのに。
しかし、状況が好転するわけもなく、
「あの、昨日の事なんですけど」
「あ、あああれな」
こいつには悪いが、やっぱり昨日の話はなしにしてもらった方がいい気がする。婆ちゃんには彼女を連れて行けばいいだけだし、こいつじゃなくても……
「それなんだけど」
「私、すっごくうれしかったんです!こっちへ引っ越してきてから頼れる人とかいなくて、そんな中先輩が優しくしてくれて、寂しくて死んじゃうかもとか、もういっそ死んだほうがいいんじゃないかとか、思ったこともあったんですけど、生きててよかったなって本当に思えました」
え、ちょ、生きててよかったとか大袈裟じゃない?もしここで「うっそぴょーん」とか言ったら本当に死ぬとかないよね?
「だから、ありがとうございます」
「あ、うん」
重い重い重い!え?この娘ってこんなメンヘラ気質あったの?なにより、こんな心底嬉しそうに、照れたように笑いかけてくる女の子に向かって「うっそでーす!」なんて俺言えないよ?そもそも、俺そんなに優しくした記憶とかないんですけど!
「その、まだ直接言えていなかったので、これからよろしくお願いします」
控え目なその様子はいつもの少し生意気で元気な印象とは打って変わってかなりやりづらい。
「あ、今度お婆さんのところへ挨拶しに行くんですよね?私、気に入ってもらえるように努力しますね!」
「え」
お前もそれ知ってんのかよ!八田のやる気とは反比例して俺の気持ちはどんどん沈んでいく。
「あ、それと」
まだあんのかよ。もう勘弁してくれ。
「えっと、これからは美緑って呼んでくれませんか?その、か、かのじょ、なんですから。私も、雄二さんって呼ぶので……」
「あ、うん」
デへッ、かわいい……。もう何でもいいや。
深く考えることを辞めた俺は、その後普段通りに仕事をこなし、店長に深く安心された。迷惑かけてごめんなさい。