婆ちゃん家(父)その四
降りぬいたバット、俺はその勢いのまま体ごと回転した。そして目線の先にあったのはガキの顔。
「笑いたきゃ笑えよ……」
「…………」
「笑いたきゃ笑えって言ってんだ。どうせ、笑うために見ていたんだろ?」
「ちが」
「わらえええええええええ!!!」
「笑わないよ」
「え?」
「一生懸命にやっている人のことを笑うはずないじゃん!今のお兄ちゃんのスイング、豪快でかっこよかったよ!」
そう語るガキ、いや少年の目は俺が今まで見てきた誰よりもキラキラしていた。俺の中にあった激情が清涼な水で濯がれていくような、そんな心地よさを感じていた。
「今なら、できそうだ」
「そうだよ!次がんばろ!」
少年の声援を背に、俺は残りの球を全力で打ち返すべくしっかりとバットを握る。
任せておけ、少年。君の期待に、必ず応えてみせる!
「一球も打てなかった」
途中から俺のことを、そういう年頃扱いしてきたお母さんも一緒になって応援してくれたが、情けない話だ。バットを肩に抱え、せめて格好だけでも取ってやると、少年は大喜びだ。その顔には俺のバッティングでさせてやりたかったぜ。……まさか機械ぶっ壊れてんじゃねぇだろうな?あとでクレーム入れてやる。ネットで。
「この子と遊んでくれてありがとうございます」
お母さんは、俺のことを年頃扱いした割にはいい人そうだ。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
俺たちの間にほんわかと暖かな空気が流れる。久しく感じていなかった気持ちだ。
「ああ、俺、やっと人間になれたんだ!」
「お兄ちゃん何言ってるの?」
「ふふ、そういうお年頃なのよ」
その時、隣からドンっと大きな音がしたと思ったっらガラの悪そうなやつが打席から出てきた。その他にも数人、いかにもな連中がいる。
「ったく、何だよ!ふざけやがって!」
その突然の大きな音にお母さんと少年はビクッと体を反応させた。ついでに、俺も反応しといたビクッと。
「これ機械おかしいだろ!ふざけやがって!」
「ギャハハ!まさか一球も打てないとはな!」
ぷっ、こいつ一球も打ててないのかよ。ていうか、機械のせいにすんな。紳士にあるまじき行為だな。
「お母さん……」
少年はそのガラ悪兄さんたちの剣幕に耐えきれなかったのだろう。お母さんにしがみついて目をウルウルさせている。
ただ、その反応は良くなかった。それを見たガラ悪兄さんは、一球も打てなかったイラ立ちもあるのだろうが、その親子に絡んできたのだ。
「んだよテメェ!」
ちなみに俺?俺はというとね、まだ体をピクピクさせてる。ピクピクーッ!
「はは、ガキに当たんなよ」
「っせぇ!」
仲間の言うとおりだと思うが、今は何を言われてもイライラするのだろう。うるさいの最初の文字すら忘れてしまうほど、怒髪天らしい。まったく、たかが遊びで何をそんなムキになってんのか。
しかし、このままでいると少年たちが危険だ。俺を人間にしてくれた恩を今ここで返そうじゃないか。
「おいおいおい、ガキを威圧してそんなに楽しいか?」
ん?面と向かって顔を見てみるとどっかで見たことあるよな気がするなコイツ。いや、どこにでもいそうな顔ってだけか……。ところで、体のピクピクが止まらないんだけど。どうすればいいのだろうか。
「な、なんだテメェ!体ぴくぴくさせて気持ち悪いんだよ!」
「ああ、それな。俺もそう思うんだけどさ。止まらねぇんだよ」
「は?何言って」
「なあ、これどうやったら止まるんだ?教えてくれよ。なあ、なあ!」
俺が一歩近づくたびに後ろへ一歩下がる。そして、周りの奴らもすこし頬を引くつかせながら、
「なんか、こいつヤバくないか?」
「ああ、おかしいぞ」
「ぴく、あ、とうとう口まで、ぴく」
「や、やばいって」
「おい、もう帰ろうぜ」
周りの奴らも帰りたそうにしている。もう一押しだな。
「ピクピクピクーぅっ!」
「…………」
「…………」
あれ?どうしてみんな無言になるの?もしかして、俺またなんかやっちゃいました?
「に、」
「に?」
「逃げろおおおお!」
「うわぁぁぁぁぁあ!」
「お?お?」
何か知らんが、みんな逃げて行ったぞ。やったー、目標達成だ!
もう安心だと、少年とお母さんを安心させるために後ろを振り向く。
「きゃああああああ!」
「うわあああああ!」
どうしてアンタらまでそうなるんだよ!
少しして落ち着いたのか、お母さんは俺にコーヒーを買ってくれた。俺コーヒー飲めないのに。
「もしかしてコーヒー嫌いだった?もしそうなら捨ててもらってもいいのよ?」
俺が中々開けないことを不思議に思ったのだろう。少し不安げに聞いてくる。気遣って捨てていいとまで言ってきた。なんて優しい人なのだろう。
「うん、嫌い。だから捨ててくる」
「えっ」
せっかくだからお言葉に甘えさせてもらおう。俺がそのままゴミ箱の方へ向かうと、なんとも形容しがたい顔で俺のことを見てきた。
「……冗談ですよ」
「本当に?」
「本当ですよ!そこまでひどい人間じゃないんです俺は!」
「そう……」
「まあ、コーヒー嫌いなのは本当ですけど」
するとまたも微妙な顔をされてしまった。本当のこと言っただけなのに、俺は悪くない。
「まあでも、最後に飲んだのは何年も前ですから、挑戦してみます」
「あ、無理に飲まなくても」
お母さんの制止の声を無視して、そのまま一気に流し込む。
全部飲み終えると、お母さんの顔は呆れたような、でも嬉しそうな顔になっていた。
「うん、久しぶりに飲んでみると意外といけますね。今度から大好物の欄に追加しときます」
「本当に?」
「ホントホント」
ズボンを引っ張られる感覚があったので視線を落としてみると、興味深々って言う顔で少年が俺を見上げていた。
「ねえ、お兄ちゃん。どんな味?」
「大人の味だ。ガキのお前にはまだ分からんだろうな!」
少年は少し不機嫌そうになりつつも、もう一つの疑問をぶつけてくる。
「むぅ、じゃあお兄ちゃん。どうしてピクピクしてるの?」
そうなんだよ、まだ止まらねぇんだよ。ピクピク。
「ふふ、そういうお年頃なのよ」
全部それじゃねぇか。この世の不思議な事象全部それで片付けるつもりじゃあるまいな?少年の将来が不安になってきたぜ。
「じゃあ俺もう行きますね」
いつの間にか時間が経っていたようで、もう帰らなくてはお婆ちゃんに怒られてしまう。
少年は寂しそうな顔をするが、その辺はしっかりしているようで我儘は言わない。本当によくできた子だ。
「お兄ちゃん、また会える?」
「君がコーヒーを飲めるようになったらまた会ってやる」
「がんばるね!」
嬉しそうに返事をしてくる少年とそのお母さんにもう一度挨拶をして歩き出す。
「……もう、無理しちゃって」
やっぱコーヒー苦ぇわ。口直しにビールでも買って帰ろ!




