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9. 地面の色を見て水溜りのない場所を歩いてきた

 ミディウム・ハイラインにとって父親とはどんな存在かと聞かれると答えに詰まる。答えたくないのではなく、言葉にした途端その言葉に囚われてしまいそうだった。


 決してミディウムを嫌っているわけでも疎んじているわけでもない。しかし、明らかに自分と比べて劣っている息子に苛立ちを感じている。

 自らのものさしではかり、同じ年頃の自分なら可能だったのだから息子もできて当然と考える。できないということは怠惰となる。それがミディウムの感じる父、サーフェス・ハイラインという人間だった。

 

「父上、入ります」


 扉を開けた先には、ミディウムと同じ茶色の巻き毛の男が机の前に座っていた。ペンをはしらせていた手を止めて顔をあげた。

 常に寄せられている眉間の深いしわを見るたび、心臓を鎖で巻きつけられた気分になる。

 

「ミディウム、呼び出してすまないな。直接おまえの考えを聞いておきたかった」

 

 鋼色の瞳の前でミディウムは身を硬くする。

 無駄を嫌う父がわざわざ学園から呼び出した用事、それに心あたりがあった。

 

「おまえの婚約者であるスペリア・フェルディナント嬢についてだ」


 気遣いや前置きというものを一切取り払った質問。表情、姿勢、口調、すべてに隙がなく緩みもない。こうして対面しているだけで抜き身の刃物を突きつけられたような気分になる。

 

「……彼女は各教科で優秀な成績をおさめ、他の生徒とも良好な関係を築いています」

 

「それが、おまえから見た彼女の姿でいいのだな?」

 

 まるで裁判にたたされた罪人のような気分であった。嘘偽りのない気持ちを並べたつもりだった。

 

「……はい」

 

「そうか」

 

 ギシリと背もたれに体重が乗せられる音がやけに耳に残った。ただ、もどかしさを胸に鎮めて次の言葉を黙って待つしかなかった。

 

「五年前、彼女に興味を持ち婚姻を進めるように言ったのは、おまえからだったな」

 

 父に初めて自分の意志を示した。親の価値観に正面から向かい合い説得するため、気力と知恵を振り絞った。緊張する自分に向けて『わかった』と、そのただ一言を残してサーフェスはフェルディナント家へと婚約を持ちかけた。

 

「彼女に感じた価値、それをどう活用するか見ていた。そして、今のおまえが口にした彼女の特徴。それはありふれた、どこにでもある、誰もが知ることだ」

 

「彼女は……」

 

 言いつくろおうとするが言葉が続かない。

 

「貴族としての体裁をかろうじて保つあの家から援助を頼まれた。断るつもりだったが、私はおまえの言葉によってあの家へと投資することを決めた」

 

 まだ続ける価値はあるのかと父の目がきいていた。

 

「……今度、学園開かれる披露会に来ていただけないでしょうか? そこで、彼女の魔法を目の当たりにすればきっと納得いただけるはずです」

 

「わかった」

 

 渾身の気力を振り絞っての言葉にサーフェスはただ頷いただけだった。それっきり視線を机の上に戻して、ペンを走らせはじめる。

 

「失礼します」

 

 ミディウムが頭を下げて父を視界から消す。視線を合わせないまま部屋から退出した。それで親子のやりとりは終わった。


 婚約者が待つ学園へと戻る。その足取りは重かった。

 ふと、イフェリアの顔が浮かぶ。


 あの悪意の雨に打たれ続けている少女は、最近少しだけ表情が明るくなっていた。どこかで気の置けない友人ができたのかもしれない。

 素直によかったと思う反面、どうしても不安に思ってしまう。



 探していた人物はラウンジにいた。ひとり座って紅茶のカップを傾けている。いつもであれば同級生の間で談笑している姿が多かった。

 一人でいる彼女はどこか印象が違う。表情や姿勢、具体的に何かが違うというわけではないが、余計な何かが抜け落ちた本来の姿が見えたような気がした。

 

「あら? ミディウム様、ごきげんよう」

 

 こちらの姿をみとめると、スペリアはいつも通りに微笑んでみせてくる。慌てず騒がず常とかわらぬ微笑をたたえたままの姿は淑女としてかくあるべきという理想の姿そのものであった。

 

「キミと二人きりになれるのを待っていた」

 

「そうなのですか……? あまり時間もとれませんでしたものね」


「責めているわけではない。キミの立場も理解しているつもりだ」

 

 申し訳なさそうにするスペリアの向かいに腰を下ろす。途端に二人の間には薄幕で隔てるようなよそよそしさを感じた。だから同じように微笑みを浮かべる。

 

「ただキミの妹であるイフェリア嬢について少し話をしたかった」

 

「あら? せっかく二人になれたというのにどうしてあの子の名前を?」

 

 スペリアはいつも通りに微笑んで見せている。表情はさきほどと同様に笑みを形作っているが、その鳶色の瞳は笑っていなかった。

 

「確認したいことがある。最近、学園で彼女のよくない噂が流れている。キミはどう思う?」

 

「わたしにとって、あの子は妹。それ以上にもそれ以下にもなることはありませんよ。ただ、わたしの友人達にとってはそうではないようです」

 

 彼女の表情は揺るがない。音を立てずにカップを置く彼女の様子を見ながらミディウムは無言であった。

 

「友人たちとの雑談ですこし妹について相談したことがありました。少々、行き違いがあったようで彼女達に誤解を与えてしまったようです」

 

「行き違い……?」

 

「なかなか言い出せないわたしに代わって妹に注意してくださったそうです。自分の言葉が周囲に影響を与えるということを改めて考えさせられました」

 

 視線をふせながら反省を口にする。もっとも、それが彼女の本心であるとは思っていなかったが。

 

「相手を思いやった結果望まない結果になることもある。誤解はきちんと釈明すれば……きっと、わかってもらえる」

 

「あら、それはいけませんわ」

 

「…………」

 

 ミディウムはしばし無言でいることを選んだ。彼女がすべてを納得することはないとは思っていたが、はっきりとした拒絶を口にしてきた。

 

「あの方々の家とは今後も長い付き合いになると思いますの。この学園での立ち振る舞いはとても重要です。それはハイライン家の名を背負うあなたにとっても大切なものだと思いますの」

 

 彼女は当たり前の常識を口にする。当然といった顔でミディウムに理解を促す。

 

「今度、彼女達とお茶会を開きますのでミディウム様もいらしてください。じっくりと話し合えばきっと分かり合えるはずですわ」

 

 楽しげに言葉を続ける婚約者を見ながら、ミディウムは全身が腐り落ちていくような倦怠感を覚えた。

 そう、わかっている。

 きっと自分は確認したかっただけなのだということを。見ておきたかったのは彼女の表情。正確にいえば、妹の名前を聞いたときに見せる冷ややかな瞳だった。

 理由はわからない。そこにあるのは憎しみだった。

 

「それにしても学園で初めて顔を会わせただけだというのに、妹のことをとても気にかけてくださるのですね」

 

「それは―――」

 

 ミディウムは言葉に詰まる。

 彼女とは学園に入学したときが初対面のはずだった。スペリアから紹介される彼女は視線を避けるようにうつむいていた。彼女の口からその名前を聞いた。『イフェリア(劣った子)』と。

 

「キミの大切な妹だからね」

 

 そうして選んだのは最も使いやすく曖昧な言葉だった。

 

「そうですね、あの子はわたしの妹ですから」

 

 微笑むスペリアの前で、ミディウムも口に端を引いて微笑を深めてみせた。

 とりあえず、それがこの場でふさわしいと思ったから。


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