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8. 教科書の余白に書いた理想の自分

 階段の踊り場に一人の女子生徒が倒れていた。彼女は黒髪を広げたまま動こうとしない。

 

「ちょっと、これ……まずいんじゃないの……」

 

「だって、ちょっと脅かすつもりで落とすつもりなんてなかったのよ」


 動かない彼女を見下ろしながら、階段の上に女子生徒数名が声をひそめていた。

 彼女達は愚鈍な生徒にしかるべき報いをうけさせるためであった。しばし前に図書館で受けた介入によって、作業は中断していた。同年代とは思えない威圧感によって、仲間達が怯えてしばらく様子を見ていた。

 しかし『彼』が積極的に関わってくる様子がないとわかったので、再び彼女に対する教育を始めた。


 思い出しただけでうっとうしい同級生―――イフェリア・フェルディナント


 ことあるごとに目の敵にしてきたが、反応のない彼女に業を煮やした。そうして、仲間達の目を意識してより過激な方法をとるようになっていた。


「どうせ動けないふりしてるだけでしょ」

 

 強気な言葉で自分を落ち着かせようとする。階下で動かなくなったイフェリアに近づこうと一歩足を踏み出したときだった。

 

「あら、みなさんお集まりでどうなさったのでしょう?」

 

 そこにいたのは一番見られてはいけない相手だった。この状況の言い訳を、彼女の姉であるスペリアにしなくてはならなかった。


「これは……その……」

 

「なにをしているの。さっさと立ちなさい」

 

 ぴくりと床に投げ出されていた指先が震える。ゆっくりと体を起こすイフェリアを見て、ほっと空気が弛緩する。

 

「ほんとうに間抜けね。階段を踏み外すなんて」

 

「……ごめんなさい」

 

 足元をふらつかせて体を支えている妹を前に、スペリアの表情に変化はなかった。その態度から不安そうにしていた女子生徒たちは自分達の正しさを認識していく。

 

「スペリアさん、本当に妹に厳しいのね」

 

「いいのよ、じゃないとあの子ったらすぐにさぼるんだから」

 

 明るい笑い声が去っていき、後にはうつむくイフェリアが一人残された。

 


 イフェリアが医務室に向かうと養護教師はいなかった。それは、逆に都合がよかった。前回もケガの理由をたずねられていたから。

 

 何度か来ているうちに棚に置かれているものは覚えていた。足首に包帯を巻いていく。不恰好な巻き方だったけれど十分だった。

 

 階段はそれなりの高さを持っていたけれど、足を軽くひねっただけで済んでいた。

 身体は昔から丈夫なほうだった。

 もう死にたいなと思いながら無抵抗でいても死ぬことはなかった。

 

「……ねえ、あんただいじょうぶ?」

 

 動く気力が湧かずに座ったままぼーっとしていた。急に聞こえた声に視線をあちこちに向ける。

 

 もぞりと何かが動く気配がした。

 入ってきたときは誰もいないと思っていたはずだった。黒髪の女子生徒がベッドの上で体を起こしていた。

 

「……すいません」

 

「へ……?」

 

 唐突な謝罪の言葉に、彼女は面食らったように目をしばたかせる。勝手に使ったことを見咎められたのかと説明するイフェリアに、彼女は大声で笑い始めた。

 

「それって別に普通でしょ。あたしもこうやってベッド使ってるし」

 

「あまりに堂々と病人しているので、てっきり」

 

「堂々と病人って、あんた、ほんとおもしろいね」

 

 また彼女は笑い出し、笑いすぎておなかが痛いといいながら口元をひくひくさせている。

 聞いていてこっちも嬉しくなる笑い声は初めてのものだった。……いえ、二人目か。

 

「ねぇ、あんた名前は? あたしはスフィア、名字はないからね。平民だから。特待生になれば授業料免除だっていわれたけど、まわりが貴族ばっかりでやんなっちゃうよ。んで、こうして医務室に避難してるってわけ」

 

 あっけらかんとサボりだと言う彼女に面食らう。彼女は本当に思ったことを素直に口にするタイプらしい。

 

「初対面みたいな顔しているけどさ、あたしはあんたのこと知ってるよ。いつも寮の掃除してて偉いよな」

 

「え、あれは……」

 

「いやいや、謙遜するなよ。いつも走り回ってるし、元気なやつだなって思ってたんだ」

 

 本当のことを話していいのか警戒する。親しげな顔で話す彼女だけど、ここを出たらおもしろおかしく誰かに話すかもしれない。

 

「あーごめん、なれなれしかったかな……。なんかマトモに他人と話すのってひさしぶりだったからさ。ごめんな」

 

 申し訳なさそうにする彼女を見て、ここまで警戒心を持っていることに罪悪感を持った。だれかに本心を話したい、聞いてもらいたい。そんな気持ちを揺り起こされた。

 

「……イヤだったんです」

 

「えぇ、そこまで言うか」

 

「ち、ちがいます……。あなたのことじゃなくて、掃除のことです。本当はやりたくなんてなかったんです」

 

「そっか」

 

 スフィアは少し哀しげに微笑むとイフェリアの言葉を認めた。それだけで、イフェリアの心は暖かいもので満たされた気がした。

 一度話しだすとあふれ出し、徐々に声が大きくなっていく。ただ彼女はそこにいて、静かにあいづちを打ってくれた。言って何かが変わるわけでもないけれど、でもそれでよかった。

 

「それと名前……、イフェリア・フェルディナントです」

 

「お、貴族様か。にしてはあんまり貴族らしくないね」

 

「よくいわれます」

 

「お、やっと笑ったね。さっきもあんまりにもひどい顔で、よっぽどあんたの方が死にそうだったよ」

 

 この日、学園に来てから普通の会話だった。

 不思議だった。自惚れかもしれなかったが、彼女はイフェリアを嫌いになったり拒否したりすることが絶対にないような気がした。

 まるで見えない糸でつながっているように心の底から共感してくれている。その感覚が心地よかった。


 

 放課後、イフェリアは医務室のドアの陰から中をのぞいていた。きょろきょろと視線でさぐっていると、ベッドからスフィアの頭が生えてきた。

 ほっとしているイフェリアに予想外の場所から声が降ってくる。

 

【そんなにびくびくして、巣穴から出てきたネズミみてえだな】

 

 自分の頭の上に向けられたスフィアの視線からイフェリアは手をのばそうとする。手には何の手ごたえもなく、羽ばたき音が部屋の中に飛んでいった。

 

「鳩? あんたのペット? というか、しゃべってる!?」

 

「し、白鳩さん……!? だめだよ」


 イフェリアが慌てて白鳩の姿を隠そうとするが、その手をすり抜けて頭の上に着地する。

 

【こそこそしてやがるからどこにいくかと思えば、薬くさくてかなわねえな。しかも、そこにいるのはサボり魔の落ちこぼれときたもんだ】

 

「うっわ、口悪い。鳥の癖に生意気だぞ、こいつ」

 

 ぎゃあぎゃあと言い合いを始める二人であったが、イフェリアは笑みを浮かべていた。彼女にとって会話は聞いているだけで楽しいものであったから。


【おい、イフェリア、願いをかなえたいんだったらこんな不良とつきあうんじゃねえぞ】


 白鳩は捨て台詞をはくと医務室の窓から飛んでいった。一羽がいなくなると騒々しかった空間は二人きりになる。そうすると、イフェリアは何を話せばいいかわからなくなった。   

 もともとここに来たのも、スフィアと会って二言三言話せればそれだけでいいと思っていた。


 スペリアのように他人を交えて雑談する姿に憧れていた。姉のように振舞えない自分の方が人間としていびつなのだろうと思う。


「もう授業も終わったし、外あるこっか」

 

 誘われるままにイフェリアはスフィアと一緒に外を歩いてた。彼女が選ぶ場所は人の気配を避けているようだった。そんな所が自分とちょっと似ているのかもしれないと思った。


「まったく変な鳥だったな。あいつってあんたの知り合い?」

 

「うん。わたしの友達かな……。今日は急にごめんなさい。いつもだったら人が来ると逃げるのに、どうしたんだろうね」

 

「別に怒ってるわけじゃないんだよ。もう少し可愛げがあればいいわけよ。あたしってこう見えて動物が好きでさ」

 

 話しながら彼女の視線は地面を気だるげに歩く猫に向かっていた。白地に茶色のぶち模様がある猫だった。スフィアが手を伸ばすけれど、無愛想な三白眼はスフィアを無視して目の前を通りすぎていく。

 

「なんか昔から動物には懐かれないんだよね~」

 

「でも、白鳩さんとは仲が良さそうだったよ」

 

「仲良くなった動物の記念すべき一羽目があいつかぁ」

 

 スフィアの不満げなため息にイフェリアは苦笑をもらす。それはとても自然なやり取りだった。このゆったりとした時間が大好きだった。

 

 イフェリアが失ったはずの宝物。それが戻ってきたようだった。

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