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7. 思い出も何も失って暗い海に沈んでいく

 毎朝の日課としてイフェリアが寮の前の石畳をほうきではいていると、寮から校舎に向かう生徒に話しかけられた。

 姉以外の人間と会話するのは三日ぶりのことだった。そのときの話し相手は郵便屋、姉が両親に宛てた手紙の配達を頼みにいったときだった。

 

 しかし、今日の会話はそのときより長いようだった。

 

「あなたってスペリアさんの妹よね? どうしても姉妹に見えないわ」

 

 同じ学生寮に住む女子はそう話しかけてきて、一歩後ろについてきた女子が一斉に笑った。

 彼女の言ったことは間違っていなかったから疑問は感じなかったが、周りの笑い声にはいやなもの感じていた。

 

「だめよ、彼女が傷つくじゃない」

 

「悪気はなかったのよ」

 

 イフェリアは「……はい。大丈夫です」と返事をしようとしたが、久々に声に出したせいでかすれた声になった。ほうきで地面をはきながら、はやく行ってくれないかなぁと思う。

 

 本来は寮の掃除は生徒でもちまわりの仕事だった。

 この学園は貴族ばかりが通う学校であったが、屋敷のように使用人はいない。それは自立を促し一人前の紳士淑女になるという学校の方針によるものだった。

 しかし、姉の一言によって寮の掃除も含めた雑用は彼女の押し付けられていた。

 

 それでもイフェリアは姉に感謝していた。

 

 この学園に通えるようになったのは、姉のおかげだった。彼女の入学が決まったとき「自分だけなんて妹がかわいそう」と一言いっただけで、両親は姉と一緒に入学させることにしたのだから。

 

 掃除を終えて部屋にもどって急いで支度をするころには、授業が始まっていることもあった。教室に駆け込んだイフェリアに教師が眉をひそめる。

 

「イフェリア・フェルディナント、あなたはいつも遅いですね」

 

 朝早く起きて掃除をはじめて、教室に入るときはいつも遅刻ギリギリだった。

 

「……すいません」

 

「まったく、今日は試験の日だというのに緊張感がありませんね」

 

 呆れたようにため息をつかれる様子を見ながら、教室のあちこちからクスクスという含み笑いが漏れていた。

 

 昼の長い休み時間になると、イフェリアは急いで寮の部屋に向かった。姉に大事な用があるといいつけられていた。

 扉を開けると、スペリアが形のいい眉をしかめながら待っていた。

 

「遅いわね。早くきなさいって言っておいたでしょ」

 

「……ごめんなさい」

 

「あんたになんか頼みたくないけれど、しょうがないわ。これからわたしのクラスで魔法学の試験があるからあんたが行ってきなさい」

 

「どうして?」という疑問が浮かぶが口にしない。姉は自分の言葉をさえぎられることをひどく嫌うから。

 

「あんた、こっそり魔法を練習してたんでしょ。本当は知ってたけどお母様たちには黙っておいてあげたのよ。大好きな魔法の授業も受けられるのは誰のおかげかわかっているでしょう?」

 

「……うん」

 

「あなたがいい成績なんてとったらきっと疑われてしまうわ。だからわたしの名前を使わせてあげる。そうすれば何も問題は起きないわ」

 

「ばれない?」

 

「大丈夫よ。おんなじ顔だもの。余計なことは話さずに、試験が終わったらすぐに戻ってくればいいわ」

 

 部屋の中で二人は入れ替わった。

 服は同じ制服なのでそのままで大丈夫だった。ぼさぼさの髪をなんとか整える。

 うまくいったかどうかわからないけれど、スペリアの表情を真似して表情を作ってみせる。鏡をのぞきこむとなんとかスペリアに見えた。

 

「なにやってんの、早く行きなさいよ。休み時間が終ってしまうわ」

 

 ベッドに腰掛けるスペリアが憮然とした表情で見ていた。部屋をでると、寮の廊下を姉のように歩いてみた。

 顔を上げて楽しそうな顔をしてずんずん進んだ。すると、自分がいつも背中を丸めて歩いていたのだと気がついた。

 

 教室の中に入ると、いくつもの視線がイフェリアに向けられる。視線から逃げたくなるが、今の彼女はスペリアだった。

 

「スペリアさん、試験の準備はどうでしょう」

 

 女子生徒の一人が親しげな様子で話しかけてくる。

 

「スペリアさんに限って、そんなこと聞く必要ないでしょう」

 

 言いつけどおり無言でいると、別の女子生徒が返事をして「それもそうね」と笑い声をあげる。こういうときスペリアはあまり自分の主張はせずに、周囲にあわせて微笑みを浮かべていたことを思い出す。

 

 聞いていたスペリアの席についたが落ち着かなかった。視線の置き場所に困っていると、一人の男子生徒と目が合いそうになる。スペリアとミディウムは同じクラスだった。イフェリアにとって二人は愛し合う婚約者だった。だから、にこりと笑いかけてみせた。

 

 

 教師が入ってくると、試験前の緊張に教室が包まれる。

 試験の内容は見本の像と同じものを、土の魔法で生成するというものだった。

 

「……先生」

 

「はい、どうしました?」

 

 まだはじまった間もないというのに手を挙げたイフェリアに他の生徒たちの視線も集まる。差はあるけれど、彼らの前には土の塊ができ始めたところだった。

 スペリアなら一番にできるはず。だからイフェリアは何の気負いもなく手をあげていた。

 

「造形、密度、硬さ、問題ありませんね。すばらしい、合格です。ここまで早くできた生徒は初めてですね」

 

 ざわざわと騒ぎ出した教室をすぐに後にして、姉が待つ部屋に向かった。

 扉を開けるとベッドに寝そべっていた姉が顔を上げる。

 

「もう戻ってくるなんてなにしてんのよ。まさか試験から逃げてきたんじゃないでしょうね?」

 

「合格したよ。先生もよくできたって褒めてくれた」

 

「あっそう……」

 

 短く答えたスペリアはすぐに視線を元の位置に戻した。

 イフェリアは姉の視界に映らないように部屋の隅で膝をかかえて丸くなる。それが彼女の定位置。部屋に二つあるベッドのひとつは姉の私物置き場になっていた。

 

 それから試験の時間が終わる頃になると、スペリアは部屋から出て行った。

 一人になりほっと肩の力を抜くと、窓からくるくると鳩の鳴き声が聞こえた。イフェリアは窓を開けてうれしそうに彼を迎え入れる。

 

【おまえさんは何で姉のかわりに試験を受けてんだ?】

 

「白鳩さん見てたの?」

 

 見てたならわかるはずだ。それが一番だってことが。

 

【おまえは自分の試験をさぼったってことになるだろうがよ。それはいいのか?】


 白鳩の疑問をイフェリアはただ不思議に思った。 

 心配ないよ。

 何もかも上手くいくから。

 心配ないよ。

 少しもね。

 だって、スペリアがそう言ったのだから。



 魔法学の授業の先生はやさしそうな男の人である。廊下でスペリアと親しそうに会話していた。

 イフェリアがぺこりと会釈して通りすぎようとしたところで呼び止められる。

 

「どうして試験に出なかったんだね?」


 詰問口調におどおどしながら、イフェリアは姉に言われたことを思い出す。こんな風に聞かれたとき、どうすればいいかと姉に言い含められていた。

 

「その……おなかが痛くて……」

 

 すると、くすくすという笑い声がすぐ近くから聞こえた。姉の方を見ると彼女は口元を隠している。

 

「まったく! そうやって適当な言い訳を口にする。本当に信じられないな。キミが本当にスペリア君と姉妹なのだろうか。キミはね、できないことから逃げているだけなんだ。やる気がないならこの学園をやめてしまいなさい」

 

「……すいません」

 

 うなだれながら歩くイフェリアをいくつもの視線が向けられる。その中には彼のものもあった。何かを言われる前にその場を立ち去った。

 

 それからの授業の内容など頭にはいらず、教師に何度も注意された。

 スペリアに言われたとおりのことをしただけだったはずなのに……、どうして彼女は楽しそうに自分を見ていたのだろう。

 

 寮の部屋にたどりつき、いつものように部屋の隅でひざを抱える。そうすれば心が元に戻るはずだった。だけど、息を吸っているはずなのに胸が苦しい。

 呼吸困難になったようにはぁはぁと急に呼吸が荒くなった。

 

【おいおい、イフェリアちゃんよぉ。陸の上で溺れ死にそうになるなんて本当におかしなやつだな】

 

 窓をコツンと叩く軽い音が聞こえた。

 そのずんぐりして丸っこい身体をみていると、彼女の呼吸は落ち着いていった。

 

【だから、いったじゃねえか。いいことなんてなにもねえって】

 

 開けてもらった窓から中に入ると、白鳩が呆れたように口にする。

 

【おまえの力を見せ付ければいいじゃねえか。学校の試験なんてちっちゃいことじゃねえ。かなえたい願い事とかあるだろ? その力ならなんでも叶えられるだろうさ】

 

 願い事。

 やりたいこと。

 夢。

 

【ん? ないのかよ。どんな高望みだってできるだろう。その力がおまえにはあるんだよ】

 

 それは日常という名の世界でみんながほしがるもの。そして、自分が世界におしつぶされないようにするためのもの。

 

「あるのかな。わたしにもそんなものが……」

 

 何かをほしいと思う余裕もなく、その日生きていることにずっと必死だった。

 生まれたときから味方はいなかった。屋敷の使用人たちは自分の存在をないものとして扱った。学校の同級生はわたしを見る目は冷たい。教師はあてにならない。家族は守ってくれるどころか一番の敵である。

 

 逃げ込む場所は思い出の中だけ。

 小さい頃の記憶。彼と過ごした時間。それこそが最後の一線で自分を守ってくれるものだった。

 

 だけど、彼はまた前に現れた。何より確かな事実が自分の意識を現実に引き戻してしまった。もしも思い出だけでいてくれたらどれだけよかっただろう。あのときのことがただの夢で幻だったらよかったのだ。

 

【気づいてないだけだろうさ。欲望ってのは、心の底に沈めて隠しても段々と澱んでいくもんだ。とりわけおまえさんのは濃そうだな。ちっとは吐き出さねえと耐え切れなくなって塊を吐き出すかもしれねえぞ】

 

「そうしたらどうなるのかな……」

 

【化け物になるんだよ。気がついたらたくさんの死体が転がっているかもな】

 

 笑い声と共にバサリと羽音を立てて白鳩が部屋からいなくなる。

 窓から飛び去っていく白い羽を孤独な少女が見上げていた。

 

「願いなんて……、わたしは白鳩さんがいてくれればそれでいいよ」


 

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