2. その出会いに意味なんてあったのか
その日も台所の隅で丸まっていると、急に叩き起こされた。驚くイフェリアに使用人がぶっきらぼうに告げる。
「大事なお客様が来るから絶対に姿を見せないようと奥様がおっしゃっていたわ。ほら、さっさとあっちにお行き」
ネズミを追い出すようにほうきの先でつつかれ家を追い出された。
この家にいる子供はスペリアだけじゃないといけないから。だから、いつものように庭の目立たない場所で魔法の練習をしていた。
「―――すごいね。めずらしい魔法だ」
魔法を編むのに集中していたイフェリアは、びくりと肩をふるわせて弾かれたように振り向いた。
そこには身なりのいい格好の男の子が立っていた。茶色い巻き毛の下の目を輝かせながら彼女を見ていた。
「……ごめんなさい」
唐突な謝罪に男の子は戸惑う。目の前の女の子は肩を震わせて怯えきっていた。
怖くて顔も上げられない様子でびくびくする女の子に戸惑っていると、もう一度かすれた声で『ごめんなさい』と言ってうつむいた。
「ねえ、どうして? どうしてごめんなさいなの?」
問いかけにまたびくりと体を硬くする。そんな彼女を真剣なまなざしでのぞきこむ。
「……わたしは、使っちゃダメだって……ずっと言われてるから」
ぼそぼそと泣きそうな声でようやく話したが、もっとわからなくなっていた。どうしてともう一度聞けば、もう何も話してくれそうもなかった。
「じゃあ、今見たことは秘密だ。絶対に誰にも話さないよ。すごくもったいないけどね、あんなにすごい魔法なのに」
イフェリアにとってまっすぐ褒められたことなんてはじめてのことだった。おずおずと顔をあげると、男の子の無邪気な笑みが見えた。
記憶の中の笑顔とはいつも痛みと一緒だった。
あるものは、服の中にハチを入れて転げまわる様を笑っていた。
あるものは、使用人の自分よりみすぼらしい身なりを笑っていた。
あるものは、『死になさい』と笑顔で傘を振り下ろした。
男の子のまなざしはどれとも違う。こんなにも真剣で敵意のこもっていない、力強い―――そんな瞳で見られたことははじめてだった。
「……うん」
かすかに顎を動かしうなずいてみせたイフェリアに、男の子はパッと顔を明るくさせた。
「よし、それじゃあ同じ秘密をもったことだし名前教えてよ。もしかして、そっちも秘密?」
自分の名前を言おうと口を開きかけたところで考える。男の子が本当に秘密を守ってくれるのだろうかと急に不安になった。
「……スペリア、わたしの名前はスペリア」
「優れた子か。うん、いいね。キミにぴったりだ。その歳で魔法が使えるなんて本当にすごいよ」
「うん、そうだね。スペリアはすごい」
姉は本当にすごいひとなんですと思いながらうなずくと、彼はおかしそうに笑った。そうすると歳相応の表情が現れる。
「キミ、おもしろいね」
それは今までにかけられた言葉にはない種類のものだった。イフェリアにとって、目の前の男の子の表情は新鮮なものだった。
そこに誰かを呼ぶ声が聞こえた。
男の子はしまったという顔で声が聞こえたほうを向く。
「呼ばれちゃったみたいだ。ねえ、今度ボクに魔法おしえてよ。苦手でなかなか上手くいかないんだ」
また来ることを約束して去っていった。遠くからのぞいていると、彼と似た茶色の髪をした男と一緒に家に戻っていった。
「……ミディウム」
それが彼の名前らしい。別れ際に聞いた名前の感触を確かめるようにイフェリアは呟いた。
馬車が来たときと逆の方向に去っていくと、なんとなく屋敷全体がほっと力を抜いたようだった。
それからいくらもしないうちにスペリアがやってきた。
「あんた、ちゃんと目に付かない場所に隠れてたでしょうね」
スペリアと話すのはひさしぶりだったのでうれしくなった。いいつけ通りちゃんと屋敷の裏の陽が差さない場所にいた。
そういうと、ふうん、とスペリアは興味のなさそうな返事をする。
「まったくやんなっちゃうわ。お父様の仕事相手らしいけれど、挨拶しろだなんて。仮病を使って部屋にひきこもってやったわ。侯爵なんていってたから、男爵家のうちを見て絶対にえらそうにするに決まってるわ」
スペリアは人前ではあまり口数が多いほうではない。人前ではにこにこと笑って話の輪にとけこんでいる。そんなところが数少ない共通点だった。
だから、こうして彼女が愚痴をこぼしにくるのは自分のところだけ。自分にだけ打ち明けてくれているということに誇らしくなるのだった。
だから、ここで会った彼のことを秘密にするのは少し心が痛んだ。