1. スペリアとイフェリア
イフェリア・フェルディナントは思った。
姉のスペリアがわたしを殺すとしたらどんな方法で殺すのだろうか。たとえばいつものように硬いもので頭をなぐるのかもしれない。ときどきそうするように首をしめるのかもしれない。頭のいい姉はそれを事故にみせかけて、わたしが死んだと両親に報告するのだろう。
そのときの両親の答えは
「そうか」
きっとこうだろう。
両親が間接的で遠回りな方法で自分を遠ざけていることを知っていたし、そのままいなくなっても気がつかないだろうという確信があった。
イフェリアとスペリアは双子の姉妹だ。男爵家であるフェルディナント家に生まれたが、その扱いにははっきりとした差があった。
姉は美しく活発で笑うときはぱっと花が咲くようだった。両親に大事にされて、屋敷の使用人たちからも愛されていた。そして、イフェリアも姉のことが好きだった。
イフェリアの食事は忘れられることが多く、いつもおなかをすかせていた。空腹であえいでいると、残飯の載った皿を差し出す姉は天使のように見えた。よりわけられたニンジンやピーマンを夢中でほおばりながら、口の端を持ち上げて見下ろす姉にイフェリアは「姉さん、ありがとう」と感謝していた。
屋敷の中で唯一イフェリアと言葉を交わそうとするスペリアを見て、両親は怒らなかった。彼らが姉を叱っていることはなかった。
両親は姉を大事にしていた。だから、わたしも姉のことを大事に思わなくてはならない。それがイフェリアにとってのルールであった。
姉の分のお菓子はあるのに自分の分だけ用意されていない。姉には新しい服を買うのに彼女はずっと古くてほつれた服のまま。
「イフェリア、あなたは姉を見習って我慢を覚えなさい」
それが母のいつもの台詞だった。これもルールの一つであった。
朝、笑顔で食卓を囲う三人を離れた場所から見ていた。トーストや目玉焼きの皿が運ばれていく。それはスペリアの前に置かれて終わり。三人分の料理が並ぶと食事が始める。
そんな光景は見ないほうがいいのだが、イフェリアの寝床は台所の隅にあった。
注意しなければいけないのは、彼らのことをあんまりじろじろと物ほしそうに見てはいけないうこと。見ていたことがばれると、使用人たちがほうきを持って片付けにくる。
そんなとき、逃げ回る彼女を見てスペリアだけが笑っていた。
イフェリアにとって姉だけが心の拠り所だった。かわいくて頭のいいスペリアはみんなから愛されて、自分も彼女と血のつながった家族なのだと誇らしい気持ちになれたから。
ある日のことだった。
姉が外に出てきたのを庭の植木の影からそっと見ていた。そばにはヒゲをはやした男が立っていた。彼が家庭教師だということを知っていた。いつもはスペリアの部屋で勉強を教えている場面をこっそり見ていた。
彼が懐から木の棒を取り出す。先端を庭先に向けながら何かを呟いたように見えた。隠れてみるイフェリアの位置では遠くて聞き取れなかった。しかし、すぐ変化が現れた。家庭教師の男の前に水の球が浮かびあがっていた。
驚きながらそれを見つめていると、ばしゃりと音を立てて地面に落ちた。地面にはバケツをひっくり返したように濡れた跡が残っているだけだった。
今度はスペリアも木の棒を取り出した。ところどころ施された金の細工が光っていて、先生のものよりも豪華だった。
彼女も先生と同じように何かを呟いた。
イフェリアがわくわくしながら待っているが、何かが出てくることはなかった。
「スペリア様、魔法の習得には時間がかかります。根気よく続けていきましょう」
おもしろくなさそうにスペリアは説明を聞く。
イフェリアはさきほど魔法を初めて見たときよりも驚いていた。頭のいいスペリアが何かを失敗しているところを見ることは初めてだった。
二人が家の中に入った後、手ごろな木の枝を探しはじめた。姉のやっていることを遠目に見てはマネしていた。
だけど、今回のは難しいだろうという予感があった。なぜなら、あの姉が失敗したものなのだから。
姉がやっていたことを思い出す。
木の枝に指を添えて呪文を呟こうとして、手が止まる。
姉たちがつぶやいた言葉がわからなかったのだ。
それらしい言葉をひねり出そうと頭をかしげ、あたりに視線をまわす。
庭のすみに一輪の小さな花がちょこんと咲いていた。
ゆれる花弁を見ながら、これがいいと思った言葉を唱えることにした。
【咲いて】
蕾をほころばせて花びらが開く様子を頭で思い浮かべながら木の枝を振るった。
「わぁ、できた」
目の前で薄い水の膜を広げた花びらが咲いた。
姉ができなかったことが自分にはできた。彼女にとってそれは初めての感覚だった。心が躍っているみたいだった。
毎日の楽しみができた。その日も自分の魔法で何ができるか試そうとしていた。
髪をふわふわさせながら楽しそうにスペリアに話しかけてきた。
「ねえ、あんた何それ? 魔法使いごっこ?」
イフェリアが手に持つ木の枝を指差しながら、その口元には愉悦をたたえられていた。
「え、でも、先生も姉さんも同じものもってたから」
「ふうん、こっそりみてたんだ。いやな子ね」
「……ごめんなさい」
「まあいいわ。そのみすぼらしい木の枝で魔法が編めるっていうのならやってみせてよ」
スペリアは口のはしにたべかけのチョコをつけたまま、吐き気がするぐらい甘ったるい息を吹きかけながら笑った。
姉の機嫌がもっと悪くならないうちに魔法を見せようと思った。
【咲いて】
この呪文も間違っているのだろう。姉の口の端がおもしろがるように広がるのを見て気分が沈む。
しかし、目の前に浮かんだ水の花を見てスペリアの表情がすとんと抜け落ちた。
「……なによこれ」
やっぱり怒らせたんだとイフェリアはうつむいて肩をすぼめる。スペリアの手がのびて木の枝をひったくった。
「あんた、このこと誰にも言ったらダメだからね」
真っ二つに折られて地面に打ち捨てられた枝の残骸をじっと見下ろす。もしも秘密をばらしたら自分は殺されるのだろうと思った。
それからも魔法が使えることを隠し続けた。
自分以外の誰にも知られず、誰かに見られたりしないようにしながらこっそりと練習を続けた。
スペリアも魔法の練習をしていたが一度も成功することはなかった。いつからかその時間はダンスや他の勉強の時間に使われるようになっていった。