fall winter
高校2年の冬・・・・と言っても
バイトを一生懸命していた。それだけだった。
相変わらずの生活で、学費は安いから有難いけど。
4500円だったと思う。ひと月。
バイトも、ちゃんこ鍋屋さんに決めてからは
新聞配達みたいに、眠い思いもしなくて済んだ。
とは言え、終わるのは21時だったから
朝眠いといえば、眠いけど。
うちのアパートには、ハハのチャッピイ50スペシャルと
兄のGR、今はもう僕のものになりつつあったが。
そのうち、そこにSRを置くのが夢だったりして。
学校が冬休みになる前に、進路指導がまたあって・・・。
一応、進学志望にしてあった。
なぜかわからないけど、先生がたも成績のいい子は
大学とかを薦めた。
僕は、入試の時は85番と
かなりいい成績だった・・・のに。今は200番とか
そんなだった。
でも、日本史の関根先生は「キミはやればできるから」と言って
進学を勧めた。
大学に行けるとは思っていなかった(奨学金が貰えるはずもなかった)から
専門学校に行くと言う・・・空想でそれを書いた。
レコーディング・エンジニアにでもなるか、と思ったのだった。
ミュージシャンになれるとも思っていなかった。
・・・と言うのは、ジャズ系の音楽を好んで聴いていたので
ジョージ・ベンソンや、リチャード・ティー。
それを基準にしていれば、自分の演奏がヘタに聞こえるのも当然だ。
ロックはそこそこ・・・だと持田先生も評価していたから
ヴォーカリスト・オーディションにでも出れば良かったのだけど。
後々、ギターに向いていない事に気がついて
フルートや、サックスを吹くと、結構ジャジーにいけるので・・・・。
そっちに行けばよかったが、貧乏なので楽器が買えず。
アルト・サックスでも8万円はした。当時の高卒・事務職の初任給くらいだから
今の20万くらいだろうか。1/3くらいの価値。
その、日本史の関根先生は天皇制が嫌いな人で(笑)
よく、天皇家の家系図を持ってきて「ここに、これだけ不明な点があるんだ、
どうしてこれが家系なのだ」と
天皇制批判をする。
普通の家で、お父さんが誰かわかんない子がいるか?とか。
授業してよ(笑)と言う批判がないのは
日本史って選択メニューだったし、その頃は
大学受験って社会は無かった(と思う)から?かもしれなかった。
田舎だったし、進学校でもなかったから
のーんびりしてたんだと思う。
この関根先生は、クルマ通勤だったが
学校のすぐそばの鉄道のガードから、智治の青いKHが出てくるのを
帰りに見かけて。
智治のKH250、リアフェンダーに
通学用
北高
2213
なんて、ステッカーが貼ってあって(自転車の)。
その番号見ると、智治だってバレちゃうんだけど。
関根先生は KHの後をギャランで追いかけて。
智治は、鈴木忠男レプリカヘルメット(自分で塗った)
被って、一生懸命に逃げて
狭い路地に入り込んで逃亡。
捕まらずに済んだ(笑)。
学校に、なんでバイクで来るんだろ(笑)まあ、粋がりなんだな。
ちょっとした反抗心みたいなもんだろうと思うけど。
そうこうしているうちにクリスマスも過ぎて・・・バイトが忙しく、お金になったから
学校がないと、夜12時まで働いた。
今思うと労基法違反じゃないかと思うけど(笑)。少年だもん。
でも、お金になるなら・・・と、みんな、懸命に働いて。
バイク買った。
バイクって、そのくらい憧れのものだった。
楽器もそうだったけど、楽器は割りと借りられるし。
僕も、学校のピアノとか、トランペットとか。
マウスピースだけ買って、それで吹いたり。
大晦日もバイト。お正月もバイト。
お金が溜まるかと言うと、そうでもなかった。
父にお金が掛かったし。
でも、SR400のあの端正なフォルムは憧れだった。
31万円。頑張れば買えそうだ。
そう思った。




