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「キミは、キミだけのことを考えて。」と
靖子さん。
「なぜ、そう思うんですか?」
靖子さんは、遠くの景色を見ながら
「これは、私にも言いたい事なんだけど・・・そうしないとならない時ってあるの。
家から出たのもそれで、なの。だから・・・キミも、家が困ってるからって
自分を犠牲にする事はないの。」
僕は思う「靖子さんは、そういう・・・。」
靖子さんは、頷く。「思い遣られるって、ありがたいんだけど
思い遣ってくれる人の思い通りに生きても、私は幸せになれない事もあるもの。
そういう時は、冷たいようだけど。別れるしかない・・・と、
私がそうしちゃったから、ちょっと自己弁護かな。へへ。」と
ちょっと、きまりの悪い顔をした。
自然な表情の靖子さんは、19歳なりの雰囲気だ。
そうでない時は、どこか神秘的な感じ。
「だから、陽子さんにしてもね。家を出てきたのはいい事だと思う。
家にいたら「いいお姉さん」でいないとならないし。お母さんの目もあるから。」
と、靖子さん。
「・・・靖子さんもそうなんですね。」
靖子さんは頷く「だから・・・なんとなく、うららさんとか、フダさんとか、スズさんとか。
有難いんだけど、何でも話せない事もあるでしょう。『あなたたちの思い遣りが
鬱陶しいと思う事もある』なんて。」
と、笑った。
「そうですね」と、僕も笑った。
・・・確かに、父や母、兄になんでも口を挟まれるのは面倒だ。
それに、なんでも説明できる訳でもない。
「だから、キミもそうならないように、と思うの。
転校の事もね、『あの人たち』の希望だから。それは。」
と、靖子さんは、踵を返して
音楽科の建物の方へ。
・・・ふうん。靖子さん、いい人だな。
「まあ、パイロットを諦めてミュージシャンって
随分贅沢な話」と、僕は正直、そう思った。
「でも、そういう事が出来るんだな」
奨学金制度ってすごいと思った。
どういう仕組みか知らないけど、貸してくれて。
返すのは大人になってからでいいってのは
「ありがたいなぁ」と。
なーんとなく、ぶらぶらと
音楽科の、さっきのエントランスから
ホールの方へ行くと。
「あ、町野くん。」と、理佳ちゃんが
ピアノのところで、何か弾いていて。
グランドピアノが、真ん中のところにあって。
理佳ちゃん、にっこり。
夏服からのぞく、白い素足も刺激的。
胸元が大きく開いていて。
でも、可愛らしいので
あんまり、Hな感じはしなくて。
どちらかと言うと、幼い女の子がそのまま大きくなったみたいな
そんな感じに見える。
ホールは、相変わらず様々な音が、それぞれに鳴っている。
「こっちに転校するんだとさ、どこに住むの?」と、理佳ちゃん。
たっぷりとした髪は、すこし茶色っぽいけど
そういう色みたい。
さらりと流している。
色白で丸い顔、がっちりした体つきは
なんとなく青森らしい雰囲気。
「まだ、考えてないよ」と言うと
「ねえ、あたしの家へ来ない?広いから。ひとりじゃ淋しいし。」と
理佳ちゃんは刺激的な事を言うので
16歳の僕は、ちょっとドキドキした。
「家、あるの?」と聞くと
「うん。親戚が農家だったんだ。でも、後継ぎが居なくて空き家ー。それもあったんだ。
ここへ来たの。」と、理佳ちゃん。
「・・・なるほど。」
いろんな人生があるんだな、と思った。
「芸大受かってたら大変だったね。通うの」と言うと
理佳ちゃんは、ははは、と笑い
「受かるわけないよ、私なんかに。芸大だもん。」と。
「そんなもんかなぁ」と、僕が言うと
「そんなもんよ。上には上が居るんだって、オーディションだけで判るもの。
田舎で『天才』とか『神童』なんて言われててもね。」と。
ちょっと、ピアノでショパンなんかを、さらっと弾いて。
「上手いね」と、僕が言うと
「その程度じゃなくて。+αねー。聞き手が感じる何か、somethingが無いと。」
と、理佳ちゃんはにかっ、と笑う。
「じゃ、あたし行くね。」と言って
メモをさらっと書いて
「これ、家の電話だから、気が向いたら掛けてきてー。家に居ると
ひとりで淋しいから。」と。
にこにこ。
じゃねー、って、手を振って
軽快に駆けていった。
「・・・あんまり、淋しいって感じじゃないけどなぁ」と
僕は、見送りながら思った。
午後の音楽科。
「あ、でも夏休みなのにね。理佳ちゃんも熱心だな。それとも・・・
ほんとにひとりが淋しいのかな。」
なーんて。
「陽子さんにも、こんな風に誘いが来るんだろうな。」と思ったりもした。
そういう時に、自然に・・・
別れていくのかな、僕らは。
と、思ったりもする。
そういえば、ほとんど陽子さんと会話していない。
「会いに来たのにね」と。
そんな風に、翻弄されていくんだろう。人は。
そう、16歳の少年は思った。
3時頃になって、うららさんが美術科の2階から降りてきて
玄関のところで。
「ああ、待たせてごめんね」と。にっこり。
なんとなく、絵の具の匂いがする。
「絵描きさんって感じ」と、僕が言うと
「そうかな、ふふ。ありがと」と、にっこりすると
なんとなく可愛らしいのが面白い。
「バスね、バッテリーは冬になるまえに変えるか、充電した方がいいかも」と、僕。
うららさんは「そう。ありがと、叔父に言っとくね。まあ、夏休みが終わったら
バスは要らないから返すけど」と、にっこり。
「うららさんは車持ってないんですか?」と、僕が言うと
「うん、私はね。要らないもん、今は。卒業したら買うかもしれないけど。」と。
「・・・そうですね。忙しいですものね、今。」と。
「何買うんですか?」と僕。
うららさんは「そーねぇ。なんか、お洒落な小さいの。シトロエンとか。」と。
「ああ、いいですね、似合います。それ」と。
うららさんはにっこり。
風が涼しくなってきた。
「あ、フダちゃん。こっちこっち!」と。
礼子さんは、駆けてきて「ああ、終わってたの。」と。
にっこり。
「どうしよ、これから、晩御飯まで間があるし。時間が半端で」と、うららさん。
「ねね、町野くん!バイク見に行こう!」と、礼子さん。
「ああ、いいですね。みんなに聞いてみてから。」
「うん、そうね」と、礼子さん。
玲子さんも階段を下りてきて。
「あ、陽子さん」と、僕が見つけると
陽子さんはにっこり。
何か、考えていたようだった。
「後は、靖子ちゃんと、マサエちゃん。いつもこのパターンだなぁ」と、玲子さん。
「僕、見てきます」と、音楽科へ。
靖子さんはピアノブースかな・・・。と、ひとつひとつ見て行ったけど。
居なかった。
「どこだろ・・・・。」と、あちこち見ていて。
2階へ上がって。
屋上へ。
「あ、靖子さん。マサエさん」
屋上にふたり。
なにか、楽しそうに風を感じていた。
「ああ、町野君。」と、マサエちゃんは
大きな丸メガネがキュート。
丸顔にソバージュなので、なんか、アニメキャラクターみたい。
靖子さんも表情が柔らかい。
「みんな、エントランスに居ます」と、僕が言うと
「そう、じゃ、いこう。」と、マサエちゃん。
僕はふと、「マサエちゃん、ってどんな字書くんですか?」
「水晶の恵。」って。
「かっこいいですね。水晶の恋人だとcrystal gale だけど。」と言うと
「そうそう。良く聞くね、その名前」と。
「歌もいいですね。」と、僕。
階段を下りながら、僕らは名前の話をしてた。
「ヤスコさんって靖子さんでしょ?沢口靖子の。」と、僕が言うと
頷く。
「どうして?」と聞くので
「なんとなく、そういう感じ」と言うと
靖子さんは「そうかなぁ」と、はてな顔。
それもなんとなく面白い。
「町野くんの珠ってのも珍しいね」と、マサエちゃん。
「そう。なんか、魂の意味らしいです。soul , nirvana。」
「信仰の人?」と、靖子さん。
「ひいじいちゃんが坊主で。今でもお寺はあって。親類が継いでます。」と。
「そういう感じするわね。高貴な、って言うか」と、マサエちゃん。
「名前はね」と、僕が言うと
「そうじゃなくて、人が」と、マサエちゃん。
楽しく笑いながらエントランスへ。
「何、楽しそう」と、うららさん。
「名前の由来の話で」と、マサエちゃん。
「なーるほど。それぞれにあるものね。名前付けた人の思い」と。
うららさん。
「うららかな人になってほしい、と、そうだわね実際」と、礼子さん。
「礼を尊んでるかなー、あたし」と、礼子さん。ははは、と笑う。
「それはそうとさ、バイク見に行かない?」と、礼子さん。
「わたしはいいけど・・・みんなは?」と、スズちゃん。
「うん、坂を下って、通りのところに大きなバイク屋さんがあるし。
なんでバイクなの?」とうららさん。
「町野くんがSR400に跨るとこ見たいし」と、礼子さん。
「あるかなぁ、出たばかりだし」と、僕。
「あると思うよ。試乗車」と、礼子さん。
「試乗はした事あって。それでいいな、と思って。」と僕。
「町野くんに試乗しちゃうぞー」と、礼子さん。
「それはダメ」と、うららさん。
わはは、と、みんなで笑うと
「みんなでア・ソ・ボ」と、うららさん。
「どっきりするなぁ、それ」と、僕。
ははは、と、和やかに。
「これかぁ」と、礼子さん。
みんなで、VWバスに乗って
やってきたのは、坂道を下ったところの
県道沿いにある、大きなバイク屋さんだった。
SR400は、栗色のバイクが
試乗車として置いてあった。
砂利敷きの、ひろい敷地に
バイクが沢山、その中の一台だった。
「僕がほしいのは黒なんだけど」
と言うと、うららさんは「この色もいいね、でも」
「すみませーん、ちょっと跨いでみていいですか?」と
僕は、少し離れたところにいた整備服の店員さんに。
「どうぞ」と、あまり愛想のない店員さんだったが
それが、却って嬉しい。
あんまり、にこやかに寄って来られるのもちょっと(笑)。
僕は、メインスタンドで止めてあるSR400の、スタンドを降ろす。
ぱたん、と軽快に降り、ばねが跳ね返る音がして
スタンドが、2回くらい踊る。
それが、軽そうで好きだった。
「けっこう柔らかいね、足」と、礼子さんは
その様子を見て。
「はい。オフロード車みたいですね。」と、僕。
跨いで見ると、また深く沈むので
810mmあるシート高よりは、乗るとそう高くは感じない。
ハンドルはちょっと高めで、なんとなくオフロードっぽい。
「デザインが綺麗ね」と、陽子さん。
「高級そうね、上品」と、玲子さん。
「エンジン掛けて見て?」と、靖子さん。
「え・・・でも、いいのかな」と、僕が言うと
「いいですよー」と、さっきの店員さんは
バイクを整備しながら。聞こえていたらしい。
じゃ、と。
僕は、エンジンに触れて
すこし温かいのを感じて
チョークを引かずに。
キックを引き出して、踏む。
ピストンを上まで上げて。
左のクラッチレバーの下にある、デコンプを引いて。
ピストンを送る。
それ!と。立ち上がるようにしてキックを踏む。
アクセルはちょっと開いて。
とととと・・・。と。エンジンは掛かる。
が、アクセルを急に開くと
止まるので、ゆっくり開いて。
ととととと・・・るるるるる・・・るーん。
「いい音ね」と、マサエちゃん。
「音楽的ですね」と、靖子さん。
「走ってみせて」と、うららさん。
「それはちょっと・・・。」と、僕は躊躇う。
さっきの店員さんは「いいですよ、壊さなければ」と、にっこり。
こういう店員さんはベテランだ。
僕の気持を分かってくれている。
ヘルメットが無いので、店の前だけ。
サイドスタンドを左足で払い、クラッチを握って1速へ。
かちゃり、と入る。
ちょっとアクセルを開き気味にして、クラッチをつなぐと
さ、と
後輪が砂利を蹴り、走り出す。
「軽いな、やっぱり」と、礼子さん。
「体にあってる」と、陽子さん。
僕は身長が173cmなので、ちょうどいいのかな。
店の前で2速、3速、と入れて
とととと・・のまま、スピードを上げて。
止まる。
道路に出るとお巡りさんに捕まるから、そのまま
1速に落として、Uターン。
戻ってくる。
ととととと・・・。
元いた所に戻り、アイドリング。
ととととと・・・。
「いいね。」と、うららさん。
「いいでしょ?」と、僕。
「それ買ったら、バイクで遊びに来れるね」と、玲子さん。
「転校したらナシだけど」と、僕。
「そっか」と、礼子さんも笑う。
「来れるといいね。」と、マサエちゃんはにこにこ。
「まあ、才能ないからな。」と、僕は笑う。
ミュージシャンになるなんて、考えた事も無かった。
でも・・・なれたらそれはいいのかな。なんて思う。
「どこに住むのかな?」と、うららさん。
僕は、素直に「音楽科の人がね、家が広いから来たらって言ってくれて。」
と、そう言った。
「それはいいかもね」と。礼子さん。
「誰?」と、マサエちゃんは、ちょっと訝しげに。
「ドラムを叩いてた、理佳ちゃん。」と、僕は素直に。
「えー。それは危ないんじゃない?」と、玲子さん。
僕は「そうかなぁ。そういうムードじゃなかったけど。」と言うと
うららさんは「危ないね。ハズミでね。ヘンなことになったりするから。」と。
・・・そうなのかなぁ(笑)。いまひとつ分からない。
「第一、陽子ちゃん、心配でしょ?」と、うららさん。
陽子さんは「・・・・まあ。」と、ちょっと、静か。
僕は「まあ、まだ奨学金ももらえてないんだし。先の先ですよ」と。
まあ、受かる筈がないから(笑)。絵空事に過ぎないと思っていて。
僕は、SRを貸してくれた店員さんにお礼を言って。
「ありがとうございましたー。」
店員さんは、にっこり。
僕らは、それからVWバスに乗って。寮に帰ろうとした。
「なんか食べていく、なんてのもいいけど、寮のご飯、作ってくれてるからね」と
うららさん。
「いつもそうなんですか?」と、僕が聞くと
玲子さんが「そうよー。ご飯美味しいし、たまーにお菓子とか買って帰るけど」と。
僕のために?
・・・いや、自分への言い聞かせでもある、って言ってたな。
・・・・って事は、靖子さんは故郷に・・・ちょっと思い残した事が、あるのか。
なーんて、僕は思った。




