千両役者③
1.商人達の一幕
「こらまた……えらいことになったなあ」
今井宗久が空を見上げぽつりと呟く。
「誰が予想出来たんや、この展開」
寝酒を傾けていたら、いきなり空から声が響き渡った。
何だ何だと外に出てみれば、雲ひとつない夜空に本願寺顕如の姿が映し出され演説が始まったのだ。
矢銭の催促が来ていたし、一向宗の門徒どもが各地から集結しているのも知っていた。
なので少々驚きはしたが顕如の仕込みかと一先ずは納得した。
大方、決起の様子を見せることで銭を出させようとしたのだろうと。
――――が、そんな生易しいものではなかった。
異人将軍の登場から空気が一変。
これは顕如の仕込みではなく異人将軍――カールの仕込みなのだと思い知らされた。
「将軍様も御存知の通り、なあ。どうにも胡散臭い空気は感じとったが」
根はかなり深そうだ。
単なる権力争いなどという枠組みを外れて、裏では何かとんでもないことが起きていると見て間違いない。
宗久は苦い顔をしているが、同時に安堵もしていた。
顕如の誘いを無視したのは、カールにただならぬ何かを感じていたからだ。
八方手を尽くし調べはしたが、それらしい情報は掴めず。
どうしたものかと迷っていた矢先にこれだ。
「連中の話に乗らんで正解やったな」
流れを読むことに長けた商人だからこそ分かる。
一向宗と顕如が口にしていた勢力はもう破滅が決まったも同然だと。
「役者が違い過ぎるわ」
たった一人で敵地に出向いての大立ち回り。
並みの度胸ではない。
恐怖を抱きながらもそれを覆い隠していると言うのならばまだ付け入る隙もあるし可愛げもある。
だが異人将軍は、カール・YA・ベルンシュタインは違う。
恐怖など微塵も抱いていない。楽観? 否、そうではない。
やると決めたのだから成し遂げる以外の結果はないと。本気でそう思っているのだ。
熱量が違う。極まった狂人――言い換えるなら尋常ならざる傑物。
顕如らも傑物ではあるが狂ってはいない。
「まあ、別の意味で狂うとるようやけど」
あの狂い方は駄目だ。己のままに狂うカールと己を失い狂う顕如。
前者は上手くやれば他者にも利益を齎すが、後者は益どころか害を振り撒くだけ。
「っと。ぼやいとる場合ちゃうな。おい!!」
傍らで呆けたように空を眺める丁稚に声をかける。
「な、何でしょうか旦那様」
「今直ぐ会合衆の主だった連中を呼びに行ってくれるか。いや、ひょっとしたらもう向かっとるかもしれんけど」
この状況だ。
傍らの丁稚のように空に映し出された戦いに釘付けとなっている可能性もある。
「念には念をや。他の者にも声かけて直ぐに向かってくれや」
「わ、分かりました!!」
「なるべく急いで頼むわ。堺の運命がかかっとるさかいな」
丁稚を見送ると別の家人に会合衆を迎える用意を指示し、宗久は改めて空を見上げた。
異人将軍カールはまるで絵巻に出て来る化け物退治の武者が如く派手に立ち回っている。
宗久は商人で戦いなどこれっぽっちも分からないが人心を動かす術についてはよーく理解している。
ゆえに、
「……わざとやな」
カールの立ち回りが群衆に見せ付けるためのものであることを看破した。
そうとは悟られぬようわざと傷を負いながらも化け物相手に一歩も引かず覇気を吐く。
古今、強い指導者というものはそれだけで民草の心を掴むものだ。
「大した役者やで、いやホンマ」
今夜の出来事はまず間違いなく物語になるだろう。
たった一人で敵地に乗り込み威風堂々たる振る舞いで悪と対峙。
鮮やかに化けの皮を剥ぎ取って見せた後は、手に汗握る熱い戦い。
それが終わった後の展開も予想出来る。演説をぶって盛大に“悪”を糾弾するのだろう。
これほど分かり易く民衆に受ける話もあるまい。昔からの鉄板だ。
「あの御仁、自分の見せ方っちゅーもんをよう分かっとるわ――っと、来たみたいやな」
外が騒がしい。かなり早いが、恐らくは早期に立ち直って準備していたのだろう。
五分と経たず会合衆の主だった面々が宗久の屋敷の庭に集まった。
「今井はん! こりゃあ……」
「まずは茶ぁシバいて落ち着き。冷静にならんとまとまる話もまとまらんで」
「宗久殿。茶菓子を持参しましたのでどうぞこれを」
「おお! 宗易はんの茶菓子か。こら期待出来るで。ほら、ありがたく頂こうや」
敷物の上に座り茶と菓子で一服。
取り乱していた者らが落ち着くのを見計らって宗久が切り出す。
「空のアレ。素人やから正確なことは言えへんけど流石に葦原全土で見えるっちゅーわけやないやろ」
「ですな。将軍様の背後には晴明殿も居られるが、彼の御仁は京の完全なる守護がため力の多くを割かれている。
陰陽寮の術者を総動員すれば何とかなるでしょうが、それほどの動きを見せれば他勢力も勘付きましょう」
最低限で最大限の効果を発揮すべく狙い撃ちにしているはずだと宗易が言う。
「その通りや。京と堺。あとは畿内の幾らかってとこやろな。他所はともかくこの堺であんな見世物を開いたんは」
お前らはどっちにつく? というカールのメッセージだ。
「そら銭やろ。三好の勢力を殆どそのまま使っとるから当然っちゃ当然やけど、あん殿様。銭の重要性をよう分かってはるわ」
宗久、宗易と並ぶ会合衆の代表である宗及が言う。
今は亡き大内。三好一党。織田家。
生粋の商人である彼らから見て本当の意味で金の力を理解していると言えるのはそれぐらいだ。
だがカールは違う。三好一党が傍に居るからと言うよりは、
「大陸の出身の常識やろなあ。あっちやと商人が国を興したりもしとるらしいし銭の力がちゃんと働いとるんやろ」
顕如のように直接、矢銭を要求するのではなく迂遠なやり方で選択を迫ったのは商人への配慮だ。
言われて従うのと自ら申し出るのでは扱いが違うのも当然。
要はそちらさんにもしっかり得をさせますよと言っているのだ。
「将軍様がおっかない人なんはアレ見りゃよう分かると思うけど話の通じん御方でもない。
うちらへの配慮を鑑みるにむしろ、中々ええ商売相手になるんちゃうかな。
せやけど、や。逆に敵となったらこれこの通り。恐らくこの後、一向宗と顕如が挙げた勢力は幕敵どころか朝敵認定されるやろ。
あんさんらにも分かるよなあ? 将軍様の内に秘めた苛烈さ。あらあ一度、敵と認定されたら塵も残らんほど徹底的にやられるで」
「つまり堺は幕府を支持すると?」
「せや。一応、将軍就任の際にも祝いの品やら銭を送ったけど言うてアレはお義理兼保険みたいなもんや」
だがこれからは違う。幕府に一点賭け。
これ以外に道はないと宗久は力説する。
「せやけど今井はん、流石にそれは……」
「危険は承知。せやけど、敵になるか味方になるか。選択肢は二つしかないやろ」
カールは商人への配慮を見せた。
が、性格上黒でも白でもない灰色の立ち位置を許容するとは到底思えない。
味方にならないなら本気で潰しに来るだろう。
「それとも何か? これから民衆の支持をごっそり失う連中に賭けえ言うんか? わしは御免被るわ」
為政者にとって民草とは自分達を肥やす糧であり同時に頭痛の種でもある。
支配出来ているなどと思っている者は為政者失格だ。
一人一人は無力でも、その無力が百、千、万と束ねられれば容易に為政者を喰らってしまう。
だからこそ顕如を始めとする宗教勢力は強いのだ。
御仏の名の下に民心を集めた宗教勢力は大名達にとっては厄介極まる存在だ。
滅ぼすにしても一気に片付けられるような方法を取らねば火種があちこちに散らばり酷いことになってしまう。
それを一つ一つ消し潰していたら先に国が滅ぶ。
ゆえに宗教勢力には中々手を出せず、連中はぶくぶくと肥え太っていくのだ。
そんな民心を集める手腕にかけては誰よりも長けている宗教勢力相手にだ。
真っ向から民心を奪いに行くことを躊躇なく選択し、それを成功させようとしているカールに喧嘩を売るなど分が悪いにもほどがある。
「これから民心は幕府に――いやさ、将軍様に大きく傾くやろ。
それを取り戻そうと思ったら、あれ以上に派手な衝撃と名分を用意せな不可能や」
民心を集めても、その上に立つ人間がアホならまだ手の打ちようもある。
が、カールにそれを期待するのは難しいだろう。
欠点は相応にあるのかもしれないが人々を惹き付けて已まぬ英傑の資質もまた確かに存在する。
欠点にしても人を集めれば補えてしまうし、弱点にはならない。
「加えて帝の御墨付きや。力のある将軍と帝が足並み揃えとるんやで? 誰に止められるんやこんなもん」
「う、うぅむ……津田はんと宗易はんはどないです?」
「宗久はんに賛成や。宗久はんが言い出さんかったらわてが提案しとったわ。
つーかもう出掛けに今集められるだけの金を集めるよう指示も出したしな。宗易はんもわてらと同じ気持ちやろ?」
話を振られた宗易がゆっくりと深く頷きを返す。
「仰る通り。ですが……その、宗久殿や宗及殿のように一商人として堺のために、という気持ちではありませんが」
「ほう?」
「いや、無論堺のためにというのもありまする。ありまするが、それ以上に一個人としての興味が上回った次第で」
「詳しく聞かせてや」
宗及が促すと宗易は静かに語り始めた。
「将軍様の御姿に私は美しき“黒”を見たのです」
商人、千宗易ではなく茶人千宗易の顔だ。
宗久もまた茶人であるがゆえに、宗易の言葉に強く興味を引かれた。
「誰しも清きものをばかり見ようとしますが、人とはそうではありませぬ。
光と闇が入り混じる“まだら”こそが人なれば黒にも目を向けねばなりますまい」
非道を犯す者は乱世ゆえ特に珍しくもない。
だがその者らが真正面から己の闇に向き合っているかと言えばそれは違う。
目を逸らし非道を犯す者が大半だろう。
「白はもう、わざわざ掘り下げんでもええが黒はちゃうと。
なるほどなるほど宗易はんが何ぞ悩んどるのは知っとったが、それがあんさんの茶の道言うわけやな」
黒とは未開拓の領域に等しい。
そこに踏み込み、己なりの形と成すことを宗易は己の道と定めたわけだ。
「然り。されども……私の未熟ゆえ、あやふやな状態が続いておりました。
黒を形にすると申しましても、単なる悪をと言うのは何か違う。であれば黒とは何か?
恥ずかしながら商いも上の空で懊悩に耽っていたのですが将軍様を見て、その輝ける“闇”を見て視界が啓けました」
静かな語り口。
だが、そこにはこれまで宗久が感じたこともないような熱が込められていた。
「己が不明を晒すようですが先の将軍就任の儀においてその御姿を拝見した際、私は彼の御方が強き白の方だと思いました」
「ああ、せやな。わしもそう思うたわ」
覇気に満ち溢れた姿が脳裏に浮かぶ。
今にして思えばあれは猫を被っていたのだろう。
今も大衆向けに猫を被っているが、分かる者にはその恐ろしさが分かってしまう。
「しかし、それはとんだ勘違い。物事の一面しか見えていなかったと言わざるを得ません。
煌々と輝く黒が爛々と眩き白を生み出していたのです。
そしてその逆も然り。命萌ゆる白が何をも殺しかねぬ黒を生んでいる」
つまるところ、
「光が強くなればなるほど影も濃くなる。闇が深ければ深いほどその中で輝く光も照り映えるっちゅーわけやな」
「左様。人の白と黒は殺し合う仲でもなければ、ただ混ざっているだけでもない。
互いに活かし合うものなのだと理屈ではなく心で理解致しました。であればこそ、それを教えてくれた御方の生き様を見届けたい」
遠く海を渡った先にある大陸からやって来たカールがこの国で何を成そうとしているのか。
それを見届けたいから彼を支持することに決めたのだと宗易は言い切った。
「中々面白い話を聞かせてもろたわ。なあ、宗及はん」
「おうさ。将軍様を茶の席に招いてみとうなったわ」
そのためにも、しっかり繋ぎを作らねばなるまい。
「ほなら、わしら三人。朝一で堺を出て京まで行こか」
宗久の言葉に二人は頷きを返す。
空を見れば、戦いはいよいよ佳境を迎えていた。