転移完了
目覚めると白い天井がまず目に入った。次に消毒液の匂いが鼻腔をくすぐり、扉が開く音が後に続いて聞こえてきた。
「目が、覚めたか」
体を起こし、扉の方を見ると黒いスーツをキッチリと着こなし、よく似合っている黒い中折れハットを被った中年のハンサムな男がそこにはいた。
「いッ…!」
「ああ、あまり動かない方がいい。頭を怪我してるからな」
「あんたは…?」
「俺は…。…明智小次郎だ。道路で倒れていた君を病院まで連れてきた、しがない警官だよ」
帽子を近くにある机の上に置いて男は名乗った。
道路で…。おそらく、意識が「器」に入った瞬間に気を失ったのだろう。
「君の名前も知らないうちにここに連れて来たから手続きが大変だったよ。君の名前は?」
「俺は…」
そういえば誰の身体なのか俺も知らなかった。考えるように下を見ると、胸に膨らみがあることに気がついた。
(は?)
あのクソ神、まさかとんでもないことやらかしたんじゃないのか?
「どうした?」
俺の異変に気づいた男…明智が訊いた。
「俺…わたしは坂本…龍華…。坂本龍華です」
流れ込んできた「器」の少女の情報を頼りに名前を言った。
(自分で考えて言ってもよかったんだが、ま、ややこしくなりそうだしいいだろ)
「坂本…?…まさかな。ありふれた苗字だ。そんな偶然有り得ん」
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
何か呟いていたが、なんでもないと言うならこれ以上言及しない方がいいだろう。
「では、坂本さん」
「龍華でいいですよ」
「…なら、龍華さん。君はどこから来たんだ?」
なにか俺の奥底を覗き込むような目で明智は見てきた。
「どこからって…?」
声が震える。伝えてもない、信じてもらえないだろうからと伝えなかったことをこの男は言ってみせた。恐怖を感じる。
「ああ、君には警官としか言ってなかったかな。俺は異界から送られてきた人間を保護する特例課に所属する者だ。君もそうなんだろ」
「異界…?どういう事ですか?」
「この街には極稀に、突然意識を失う人間が出てくることがあるんだ。そいつら…いや、その対象たちはみな別の世界、別の時代から来たと言っている。君も道路の真ん中で倒れていたから、そうなのではないかと思ったんだが、違ったかな」
なんだ俺だけじゃなかったのか。なら仲間がいるってことじゃないか。安心した。
「いや、違わない。わたしはその別の世界だか時代だか分からないけど、そういう所から来た人間だ」
「やはりな。ではここから先、我々に保護されるか坂本龍華として生活していくかは君次第だ。どうするんだ」
ああ、なるほど。俺は俺だから坂本龍華として生きていくのは大変だ。この娘の生活の再現なんて出来るはずがない。
だったら答えは一択。
「保護されるよ」
「了承した。ああ、その彼女の親御さんについてはこちらが何とかするから気にしなくていい。では、頭の傷が治るであろう1週間後、またここに迎えに来るから、それまで怪我人生活を存分に謳歌したまえよ」
帽子を再び被り、俺に背を向けたまま手をひらひらさせて告げた。
(なんだ怪我人生活って)
そう思ったことは心の中に収めておこう。