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『歴史喫茶 イツワ珈琲』  作者: 称好軒梅庵
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1杯目 豚の王

 宮中に血の嵐が吹き荒れた。劉義恭りゅうぎきょう柳元景りゅうげんけい顔師伯がんしはくら重臣達が皇帝を廃そうとしていたことが発覚し、一族郎党を含めて皆殺しにされたのだ。族滅といっても言葉もわからぬ幼子は見逃されることも多いのだが、皇帝である劉子業りゅうしぎょうの処置は徹底的なものであった。

 劉子業の叔父である湖東王の劉彧りゅういくは、その肥満体を引きずるように宮中に参内した。皇帝からの呼び出しを受けてのことだった。気が進まないが、さりとて行かなければ殺されてしまう。果たして鬼が出るか蛇が出るか。


「おお、来たか、豚。今日はお前に良い物を見せてやろうと思ってな」


「ははっ、ありがたき光栄です」


 劉子業は皇帝に即位してからというもの、目上の親族に対してもこの調子だった。言葉遣いはどうあれ、通例はそれなりの礼をもって接するのであるが、彼は自分以外の人間をごみか何かだと本気で思っているらしい。劉子業は宦官に硝子ガラスの壺を持ってこさせると劉彧を手招きした。

 硝子の壺には蜜が溜められ、中には二つの球体が浮かんでいた。


「先頃処刑した義恭の目玉だ。あまりにも目つきが気に入らないので、殺す前にくりぬいてやったのだ。泣き喚いて、のたうち回って、傑作だったぞ。生きながら両手両足を切り落とそうとしたが、途中で死んでしまったのは残念だった」


「それはそれは、臣も見とうございました」


 目玉だけになった重臣の姿に、劉彧の声は恐怖で上ずってしまった。劉子業の目が妖しく光る。


「豚ぁ、何か不服か。大逆を犯す者など、何度殺しても殺したりないくらいだろうが」


「い、いえ、決して不服などという事は」


 劉子業はしばらく無言で睨みつけていたが、急にニコニコと笑い始めた。


「そうだよなぁ。畜生には変な気を起こすような才覚はないよなぁ。よし、せっかく来たのだし、食事を取っていけ。ご馳走を用意しているんだ」


 劉子業がポンと手を叩くと、屈強な兵士達がわらわらとやって来て、劉彧の両脇を掴んだ。

 半刻後、劉彧は裸に剥かれて泥の詰まった穴に肩まで埋められていた。他にも弟の劉休仁りゅうきゅうじんが同じように埋められている。目の前に置かれた桶には、残飯に汚物をかけた物が入っている。劉子業が目をいからせて命令する。


「食え、豚らしくな!」


 劉彧は顔を桶に突っ込んで食べ始めたが、あまりの悪臭とこの世のものとも思えぬ味に、全て吐いてしまった。


「お前が立太子に反対してるという話は摑んでいるんだ。“猪王ぶたのおう”も屠殺の頃合いのようだなぁ」


 子供のいない劉子業は、後継者をはやく決めて態勢を盤石にしたかった。そのため家臣の妻が妊娠したと聞き、離縁させて自分の子として産ませようとしていた。迂闊な行為で皇統の正当性が失われることに、劉彧が疑義を呈したのは事実であった。

 その時、劉休仁が笑い声を上げた。


「豚めを殺すのは今日にあらず。今殺しては勿体のう存じます」


「なんだと?」


「皇太子殿下が誕生したその日に、豚の肝と肺をとって殺すのです。祝の料理と致しましょう」


 劉子業は呵呵大笑すると、その提案が気に入ったのか、二人を開放してしまった。


 華林園かりんえんの広大な池にかかる朱塗りの橋。そこで鯉に餌を与えている皇帝劉子業の姿は、遠目には長閑のどかに見えた。与えているのが罪人の指や耳でなければもっと長閑なのだが、そこまで望むのはいささか贅沢というものだろう。


「よし、決めた。やっぱりあいつら殺そう。阮佃夫げんでんふ、お前もそう思うだろう。あいつらは俺様の命を狙っているんだ。そうに違いない」


 この場に集まっている阮佃夫や李道児りどうじといった群臣は、みな劉彧や劉休仁といった諸侯王の腹心であったが、劉子業はこれらに金を与えて自らの間諜としていた。


「左様。我々は劉彧様から陛下を殺めるように仰せつかっております」


「おお、やはり裏が取れたな!劉彧め、ありとあらゆる苦痛を与えて美味しい豚料理にしてやるわ」


 阮佃夫と李道児はお互いに目配せすると、剣を抜き、おもむろに劉子業に斬りかかった。肩口から大量に出血した劉子業は、死にたくない、助けてくれ、と喚きながら四つん這いになって橋から這いずって行った。壮士たちがその背中にぶすぶすと剣や槍を刺し、楊枝でつまむ宴会料理のような姿になって、この狂った皇帝は生涯を終えた。

 事態を察知した弟の劉休仁は、先に宮殿の喧騒を鎮め、臣下の礼をもって新皇帝たる兄の劉彧を迎えた。

 即位後すぐに、劉彧の即位に反発する他の皇族が反乱を起こした。しかし、劉彧は反乱の首謀者だけを殺し、その他の者には寛仁な態度で臨んだ。南朝の多くの皇帝が“昏君こんくん”、つまり度を越した暗愚や狂態を晒したくらい君主とされているが、猪王こと劉彧はその列には加わっていない。

 しかし、さりとて名君とされているわけでもない。それはなぜか。


「もういい、降りろ」


 寝所で泥浴びをする豚のように横たわっていた劉彧は、自分に跨っている寵姫の陳妙登ちんみょうとうに、不機嫌そのものといった声で命じた。

陳妃はしばらくは劉彧の陽根を触っていたが、劉彧が豚のように鼻を鳴らすと、諦めてその身体から降りた。寂しげに衣の袖に細腕を通す陳妃に、劉彧は語りかける。


「お前は元は豚飼いの娘だったな。豚の陽根がどんな物か見たことはあるか」


「存じあげませんわ。子供の頃は、豚小屋がなんだか恐ろしくて、寄り付きませんでしたの」


「あれの陽根は普段は小さいが、まぐわう時は鞭の様に伸びて、雌の陰門に突き刺さるのだ。……まったく、朕が本物の豚であったならどんなに良かったことか」


 過度の肥満は劉彧に性的不能をもたらしていた。肉がつかえて、この態勢でなければ陰門に挿れることも難しく、体力がないためにそれもすぐに萎えた。腹肉が邪魔で行為中は妃の姿が見えないことや、妃達の必死さも劉彧の性欲をさらに減退させた。

 捨鉢になった劉彧は腹心の李道児りどうじに陳妃を与えてしまった。

 李道児のもとで陳妃が懐妊すると、劉彧はこれは後宮にいた時の自分の種であると言い出し、再び離縁させて後宮に連れ込んだ。劉彧の性欲不能は既に噂になっており、疑惑の子が皇太子となることになった。

 劉彧は、知らず知らずのうちに自らが廃した劉子業と同じ狂気に陥っていた。

 晩年、幼い皇太子を遺して死ぬ事に不安を覚えた劉彧は、多くの皇族を処刑した。その数は実に三十人程にも登った。処刑された者の中には、命の恩人であるはずの弟の劉休仁までもが含まれていた。

 劉彧の死後、皇太子の劉昱りゅういくが皇帝となった。その性質が劉子業をも上回る邪悪さである事は直ぐに民衆の知るところとなった。

 常に武器を持ち歩き、目についた者を理由なく鈍器で殴打し、あるいは刃物で切り裂いて殺した。それが日常の行為となっていたので、人殺しが出来なかった日は一日悶々として過ごしたという。

 大蒜にんにく好きの将軍は腹の中まで大蒜臭いのか等と言い出してその将軍の腹を割いた、お腹の子の性別が気になって妊婦の腹を切り裂こうとした、等という話は枚挙に暇がない。

 劉子業と同じく、最後は暗殺されてその生涯を終えたことは言うまでもないことだろう。

 南朝宋は廃帝、つまり狂気や無能力から廃された皇帝が二人いるという不名誉な王朝である。同じ廃帝でも区別するため、猪王の廃した劉子業を前廃帝ぜんはいてい、猪王の息子とされる劉昱を後廃帝こうはいていと呼ぶ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マスターのコーヒー飲んでみたいです。 [一言] 劉宋の暗君たちも大概だけど、その次の南斉も負けず劣らずなのが何ともはや……。
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