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『歴史喫茶 イツワ珈琲』  作者: 称好軒梅庵
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6杯目 華麗なる帝国

 鼻がもげるような臭いと、狂ったように飛び回る蝿の羽音。討ち取ったアフガン人達の首で作った京観けいかんを前に、バーブルは苛立ちを隠せない。


「もうよい!片付けろ」


連日の茹だるような暑さの中で、敗者の首は急速に腐敗しつつあった。市場の瓜が下から傷んでいくように、はじめのうちに並べられた首は、率直に言えば溶けはじめていた。

サマルカンドも暑いには暑いが、朝は冷涼であり、そこには減り張りというものがあった。そして、彼の地には喉の乾きを癒やす麗しき果実があった。ああ、甘く瑞々しいメロンが食べたい。ないのだから仕方がないと、割り切れればどんなにか楽だろう。

サマルカンドの奪回に三度までも失敗し、ヒンドゥースタンに活路を求めて嶮しい山々を越えた。敗北に起因する旅路ではあったが、そこには再起への強い意志があった。インダス川のほとり、パーニーパットでイブラーヒーム・ロディーを破り、デリーに入城したまではよかったのだ。

バーブルは片付けられていく首には一瞥もせず、自室に戻った。機嫌の悪さを恐れてか、給仕係がおどおどとした表情で入ってきた。


「陛下、お食事の用意が出来ました」


バーブルは顔に憂鬱を貼りつかせて、運ばれてきた皿を眺めた。


「また、この泥のような飯か」


この地の料理人はなんでも香辛料と一緒に原形を留めぬくらい煮込んでしまう。デリー占領の当初は立腹してサマルカンド流の料理に変えさせたのだが、すぐに後悔することになった。猛烈に腹を下したのである。水が悪く、食材も傷みやすいこの地では、香辛料とともに強火で煮こまねば、死を覚悟しなければならないのだ。

食指がわかず水を飲む。これも一度煮沸しなければ危険だ。喉が乾いていたので一気に嚥下したが、むせてしまった。

杯の底を見ると黄色い砂が溜まっている。忌々しいこの砂。どこにでも入り込み、目や喉を苛んでくる。

メロンのかわりに置いてあるのベトベトした黄色い果物だ。こんなむつこい果実をデザートにする連中の気がしれない。

バーブルは半ば自棄を起こして、唸りながら怪しげな煮込み料理を口に運んだ。


「いつの日か、故郷を取り戻す。羊の串を頬張り、メロンで喉を潤す。凱旋の日を極上の葡萄酒で祝うのだ。麗しきサマルカンドへ、いつの日か」


 偉大なる開祖バーブルから創めてムガル帝国は五代目の御世となっていた。

開祖バーブルの悲願を果たすため、故郷を取り戻すための大遠征。ブハラ・ハン国に攻め込んだ第五代シャー・ジャハーンは耐え難い寒気に襲われて目を覚ました。

この寒暖の差はなんだ。昼はヒンドゥースタンのように暑いが、朝は凍りつく程に寒い。これはまずい。

ジャハーンは午前中一杯を使って閲兵したが、風邪を引いている将兵が数え切れない程におり、その多くが戦う前から士気を損じていた。

頭を抱え込むジャハーンの天幕に、給仕係がおずおずとやって来た。


「現地の料理人を捕らえて作らせました。御先祖様の愛した味を集めたものです」


ジャハーンはまず羊の串を掴んで口に運んだ。何とも味気ない。塩味しかしない。


「この地では肉に香辛料はあまり使わないのか」


次に果物を口に運ぶ。


「水っぽいな。これはなんだ」


「は、メロンなる果物です。開祖の大好物だったという」


このシャバシャバした果物は、ヒンドゥースタンのマンゴーの足元にも及ばない。

はっきり言って、戦う前から嫌気が差してきていた。

ああ、早くデリーに帰って、カレーを食べたいなぁ。


遠征はもちろん不首尾に終わった。

中央アジアに端を発したムガル帝国。しかし、我々がその名を想起するのは、あくまでインドの王朝としてである。

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