表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

わたしがアニメ業界に入ったらやりたいこと

作者: 不慮乃徹夜


(以下の文は、偏見にまみれた個人の感想です。)




わたしがアニメ業界に入ったらやりたいこと



私がアニメ業界に入ったら、とにかく面白いアニメを作りたいです。というのも今のアニメは心から面白いと思えるものが少ないからです。単純に面白いアニメが無いから自分で作りたいという発想です。

 

今のアニメは面白くないと感じます。(元々私はあまりアニメを見ないので、いい作品に巡り合えていないだけかもしれませんが)

以下そう思う点と、その理由を述べます。(①〜⑧まで)


①一部の男性を喜ばせるだけの萌えアニメ


:本質的に人物の容姿頼みの商業アニメ。うまくは言えませんが、現実世界も含めて容姿がすべて、金がすべてというのは違和感があります。


②人物がほとんど動かず、冗長なセリフ回しが続くアニメ


:人物が動かないのはアニメーションとは言えないと思います。締め切りに間に合わすための苦肉の策なのは分かりますが、製作背景からは惰性しか感じません。


③どうしようもなく空虚な内容を下手に間延びさせて"今泣くところですよ"と言わんばかりに煽情的な音楽を流すシーン


:上辺だけ取り繕ってもダメなものはダメだと思います。こういう類のアニメの中には原作のブランドだけで成り立っているようなものもありますが、いいものが作れないから今は放映しないという手は無いのでしょうか。


④"現代社会って問題だらけだよね、嫌だよね"ともっともらしく子供に語り掛け、気分を暗くさせるもの


:子供向けにこういう作品を作ってどうしたいのか全く分かりません。子供がこれを見たら、"ああ、やっぱり世の中って嫌だな、大変だな、面倒だな"と思わざるを得ないと思います。それは、子供がそういった世の中の悪い側面を見て、そう思って当然だろうということもあるけれども、もっと深いところでは、"また大人の世界に、大人が考える社会というものに、付き合わされるのか"という絶望感、諦め、虚脱感、やるせなさを持たざるを得ないだろうということです。これを見た子供が、世界を肯定し、生きようと思えるでしょうか。大人が見れば満足かもしれませんが、子供には見せられないものだと思います。映画でわざわざ教えられなくても、現実を生きる中でこういった社会の悪い側面というのは否が応でも認識させられるものだからです。


⑤とってつけたように唐突なシーンやセリフが展開され、脚本家の傀儡と化した登場人物が不自然に行動し、製作陣の作為が目立ち、押しつけがましいメッセージだけが先行するもの


:何か伝えたいメッセージがあるなら、あくまで登場人物たちの人生から汲み取れる形にするべきだと思います。まず登場人物の人生があって、その中から自分たちにも共通の大切なことを見出してもらうのではなくて、まるで製作陣の通訳かのようにいくつかのメッセージを伝えるために不自然に仕組まれた人物がもっともらしいことをしていても、まったく現実感がなく無駄に教訓めいていて面白くありません。


⑥矮小な自己を世界に投影し、自我に埋没しきっていつまでも現実を見ようとせず、ただうだうだとわがままな言葉を並び立てる登場人物たちの傷の舐め合いを見せることで、観客の傷を舐め、共感をあおるもの


:自分のことで悩んでいるのは観客も同じなので、自分と同じような人物を見せられても共感や同情しか生まないと思います。それでいいのかどうか。


⑦写真を絵にしてまでストーリー世界に現実感を持たせようとするわりに、登場人物の思考がむやみやたらにファンタジックなもの


:アニメはそもそも虚構であって、現実感を持たせようとするとどうしても無理が生じます。なのでストーリー世界が現実世界と同じなのだなと観客が理解してしまうと、その世界の中では本来アニメの長所である虚構的な要素というのが非現実的で受け入れ難いものになってしまいます。むしろ私の考えでは、この世界は嘘であなたたちの世界とは関係ありませんよ、という前提から始まってストーリーを展開していくことで、観客は自分と切り離して客観的にアニメを見ることができ、その中で自分とは異なる次元に生きている人物たちと自分との共通点を見出し、それが普遍性という意味で現実感のあるものに感じられるのではないでしょうか。要するに構造的には、本当の中に嘘がある話よりも嘘の中に本当がある話の方が、現実感が印象強く映るのだと思います。


⑧紋切り型で誰もが考えるような、決まりきった、固定化された表現ばかりのもの


:世界は多様性に満ちています。木も花も草もどれ一つとして同じものはなく、吹く風も飛ぶ鳥も流れる川も常に異なる動きを見せます。人と人との違いなどは枚挙にいとまがなく、1人の人の中でも、表情はさまざまに変容し、気分も移り変わり、どれ一つとして同じ瞬間は無いと言っても過言ではないと思われるほどです。そういった多様性に目を向けず、木なら木、人なら人と、一つの対象をある種象徴的なものとしてひっくるめて、記号的に表現するというのは、事情としては仕方のないことではあるにしても、何か違うのではないかと思います。確かに対象の要素や性質を捨象し類型化することは、その対象を評価したり、典型例として表現したりするためには必要なことです。しかしそうやって世界のものごとを抽象化し均質的に見ることは、一種の方法論にすぎず、そればかりに偏重すると本来あるはずの多様性というものに目を向けられなくなってしまいます。アニメは記号的表現である以上、こういった課題は乗り越えられないものなのかもしれませんが、それでも何か考えるべきことはあるのだろうと思います。また先ほど述べた方法論は、そのまま科学にも当てはまることであり、こういった多様性を顧みない科学的方法論というものに、私自身違和感があります。自分としての結論は出せていませんが。


 以上長々と今のアニメに対しての意見を述べましたが、自分としては素直に面白いと言えないだけであって、そういうアニメは悪だから消えるべきだと思っているわけではありません。そもそも産業というものはそういうもので、アニメを作ろうとすれば人件費を含めた資金としてお金儲けしなければならないのは当然だし、時間的・経済的・人的制約の中で良いものを作ろうとすれば、外部の人間にはわからない苦労があるのは想像できます。良し悪しは相対的なものだから、良いものの数だけくだらないものもあるという構造的な問題もあるでしょう。そもそもものづくりというのは行きつくところ自己満足なわけだから、社会的影響とかアニメを作る意義とかあれこれ考えずに好きなように作ればいいという考えも自分の中にあります。アニメは作る人にとっても娯楽、観る人にとっても娯楽で、“ああおもしろかった”で終わってしかるべきものだと考えることもできます。


ですので上述のようなアニメを、大手を振って批判できるとは自分自身思っていないですし、またそこを批判すればまず間違いなく自己矛盾が生じるので安易に批判し難いのですが、そこを批判していたいというか、批判しなければならないという気持ちが自分の中にあります。例えばある崇高な目標を立てたとして、それが現実問題として実現不可能だと思われる場合、その目標を打ち捨てて現実路線で行ってもいいかというとそうでもないと思います。戦争はしないなんてことは性質上不可能だから、大いに戦争をしようとはならないことと同じだと思います。


今憲法に関わるような日本対他国の戦争について取り沙汰されていますが、戦争がどういうものかを考えてみると、もうこれは必要悪だと考えざるを得ません。一つのものがあって、二者がいる。二者が一つのものを分け合うのが目指している平和と言えましょう。しかし二者がいる以上力の強弱というのが嫌でも現れてくる。そこで力の強弱に関わらず分け合い続ける者もあるでしょうが、自分の取り分を多くしたり、独り占めしたりする者も現れるでしょう。どの選択もできないことは無いですから。そこで不満に思った者は、我慢するかもしれないし、話し合いによる解決を試みるかもしれませんが、武力に訴えるかもしれません。これらの選択もどれをすることはできないという決定的な制約はありません。こうして戦争になるのです。たしかに道徳的に戦争をしないのがよいという正義があって一般的ではあるかもしれませんが、力のある者が他者を支配して世界を治めて何が悪いという正義や、私たちが今の惨めな現状を打破するには戦争をするしかないという正義という、この場合において例外的な正義が生まれてこないとはどうしたって言い切れないわけです。これは国家間だけでなく、個人間にも言えることです。例外の無い純粋な世界が理想なのかもしれませんが、現実には例外が続々と生まれ、その例外が停滞の時代を革新に導き、その手段としての戦争は確かにあったのです。ですがやっぱり戦争は無いほうがいいとも思います。


公私混同を取り沙汰され辞職する政治家の問題に関してもそうです。たしかに公私混同は咎められるべき問題です。しかし厳密に公と私を分けている政治家は果たしてどのくらいいるのでしょうか。公私を分ける人もいれば、混同する人もいるはずです。この次に当選する人は前者かもしれませんが後者かもしれません。公私混同しない方が理想ではありますが、絶対に前者であるとは限らないわけです。法的な制約があっても、絶対的な制約は無いですから。政治資金を私的に流用してはいけないという正義もありますが、ばれなきゃいいだろうという正義もあるわけです。ですがやはり公私混同は良くないと思います。


話はだいぶそれましたが、たとえ理想が非現実的であっても、だからといってそれをないがしろにするのも良くないと思う、というのが私の考えです。アニメに関してもそうで、理想的なものを作るのは大変だとは思うのですが、理想的なものを作りたいと思えているうちはたとえそれが現実的でなくても作ろうとしていた方がいいと思います。


長くなりましたが、こういうことで終わりにしたいと思います。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ