決意
僕はなんて馬鹿なんだ。この世界でようやく近づいた温もりだったのに。
彼女はとっくに覚悟を決めていたのに、勝手に守ろうと言ってついてきて。彼女のことを気にせずニーズヘッグに挑んで、そして、自分のために彼女を死なせた。
本当は彼女のことを守ろうとなんて思ってなかったんだ。ただ誰かの側にいたかったから。ただ寂しかったから。
――さようなら、オガタさん。
「うあああアアアアッ!!」
僕は叫んだ。奴に、ニーズヘッグに負けない声で。
殺してやる。
イレーヌは死んだ。だからもうどうでもいい。ただ僕が殺したいから殺すんだ。
心にどす黒い感情が満ちた時、黒い光はより一層深く燃え上がった。
「殺す! お前のそのでっかい目ん玉を真っ黒にしてやるッ!」
ニーズヘッグは竦まなかった。重く構えて僕を見下ろしている。
「グオオオオオオン……」
こちらを誘うように奴は鳴いた。
「お高くとまりやがってッ!」
僕は走った。奴の足に向かって。
少しでいい。【受け流し】か【緊急回避】で体に触れることができればそれで終わりだ。
「ガァアアアアッ!」
その時、ニーズヘッグは鋭い咆哮を放った。
耐性があるから前のように気絶することはないが、その圧は人の体が受け止めきれるものではない。
体が浮き、そのままの勢いで僕は壁に叩きつけられた。
「ぐっ! ううううぅ……」
内臓か骨かよくわからないけど、きっとどこか壊れている。そんな痛みだった。
だが、そんなことはどうでもいい。心の方が痛いのだから。
僕はまた走りだした。
その様子を見て、奴はまた吠える体勢に入る。
「その攻撃、ここに来たばっかの時にも見たぞ」
構わず僕は走った。
奴は大きく息を吸い、次こそは息の根を止めてやる、という顔で僕を睨んだ。
しかし、二度目の咆哮は発されなかった。僕を庇うように、黒く大きな影が奴の目の前に立ちはだかったのだ。
「その姿にさっきの叫び声、やっぱり親子だったみたいだな」
僕が盾にしたのは、僕が始めに殺したトカゲ。岩のように黒く輝くそいつは、この巨大なニーズヘッグの子供ではないかと予想したが、当たっていたようだ。
「【死体操作】か……便利なもんだな。こいつだけ食わずに捨てておいてよかった」
本当は皮が固くて食べられなかっただけだが、それが後に効をなすとは思いもしなかった。
イレーヌさんを殺した時に会得したスキル――【死体操作】は文字通り死者を操るものらしい。
子供がたてついたことに動揺したのか、ニーズヘッグは後退った。
「どうした、子供には手をあげられないか!」
僕は死体の尾に乗り、力まかせにそれを振らせた。
「ラアアアアッ!」
勢いのまま飛び上がり、ニーズヘッグの顔面へと拳を突き立てた。腕を、手を、爪先を伝って黒い光が奴の体に染みていく。
「ゴォオオオアアアアアア!」
奴の悲鳴が響いた。子供を殺した時とは比べ物にならないほどの絶叫に、四方八方から岩の崩れる音が聞こえる。
痛い。苦しい。【音波耐性】の上からでも音圧に塗り潰されそうだ。
けれど、放してやる気はない。
「お前もさっさとあっちへ逝けぇ!」
黒い光が繭のように奴を包んだ。
ニーズヘッグは最後にビクリと震えて、そのまま動かなくなった。
砂と岩に埋もれた穴から子供のニーズヘッグが這い出した。そいつが口を大きく開けると、中からイレーヌさんの遺体が滑り出た。親のニーズヘッグが事切れる時、咄嗟に彼女を口の中に隠したのだ。
「すみません。あなたのお願い、聞けませんでした」
僕は泣きながら、ただ無機質に頭へ響くレベルアップ音を聞いていた。